美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」その3

ここからは「夢想」が出現する。
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4.「世紀末のエグゾティスム」
不吉な美しさ・頽廃的な夢がここに集まっている。
背徳的な存在の美しさは公に褒めそやせないからこそ、永遠の生命を保つ。

ヤン・トーロップ 生命の守護神 1895 去年の五月にここで初めて見た。
インドネシアの女性と白人女性がそれぞれ赤ちゃんを抱っこして立つ姿が描かれている。
生命保険会社のポスター原画らしい。
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蘭印、仏印、やがて日本も参入するその土地。
白々しいとか植民地主義とかそう言った言葉は措いておいて、絵の構図の良さ、二人の女性の美しさを味わう。

ヴァロットンのにぎやかな木版画が出てきた。
三菱一号館で大きな回顧展があった時、その作品群の醸し出す重苦しさに負けたのだが、木版だけ数点が並んでいるのを見ると、やっぱり妙に躁状態になる。ケークウォークのリズムがアタマの中で流れ出すのだ。

ジュール・ヴェルヌの著書を本当に読んだことがあったか、どうも自信がない。
「80日間世界一周」にしても「海底二万哩」にしても映画ばかりが思い浮かび、翻訳文が思い浮かばない。
ああ「十五少年漂流記」(二年間の休暇)があるか。しかし「蠅の王」と話がごっちゃになっている…
ヴェルヌの著作をみつめながら記憶を探り続ける。
「記憶をたどる」こともまた旅の一つなのだ。
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ルドン デ・ゼッサント ユイスマンス「さかしま」の主人公。黒のルドン。
1914年の谷崎「金色の死」、1926年の乱歩「パノラマ島奇譚」、それより遡ること30―40年の「さかしま」。
極彩色の世界を作り上げながらも本人は黒で表現される。
そのことを改めて考える。

色彩豊かな「世紀末」芸術と、黒と白の「世紀末」芸術。
モローとビアズリーが出現する。

1886年の「不和の女神」「恋するライオン」が出ている。
近年わたしはモローbotをフォローすることで日々モローの絵を画面上でだが見続けている。
モローを知ったのは高校生の時だった。
友人が高野山にお籠りしたあと土産にとモローの絵ハガキをくれたのだ。
何故高野山でモローの絵ハガキがあったのかはわからない。
だがその「雅歌」一枚でわたしはほぼ逆上し、モローへの酷愛が始まった。
しかしながら当時はいくら熱狂してもモローの絵を間近で見ることは叶わなかった。
画集もなかったように思う。
大学になってようやく大岡信編モロー画集「夢のとりで」が世に出た。
他に見るべき本はなかった。
それが今ではこうしてモローの絵を画面越しとはいえ毎日眺めている。
モローの絵を見るためにパリに行った日は、もう遠いものになっていた。

ビアズリーのサロメが現れる。
このビアズリーと先のモローの二人のサロメこそが、人々の意識に深く存在する「サロメ」だと言っていい。
シュトゥックのサロメ、寺松国太郎のサロメ、華宵のサロメ…
いずれも魅力的だ。しかしビアズリー描くサロメには深い悪意があふれている。それこそがいちばんの魅力なのだと思っている。

わたしがビアズリーのサロメを知ったのは手塚治虫「MW」に引用されていたからだった。
誘惑するもの・されるものの対峙、妥協も和解も出来ない会話のシーンにビアズリーのサロメの絵が引用され、顔だけが主人公たちに置き換えられていた。
小学生が読むべきではない物語だったが、当時から今に至るまで折々読み返しては深い歓びにふるえている。
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なお「ビアズリーと日本」展は1/31まで宇都宮美術館で、ついで2/6から3/27まで滋賀県立近代美術館で開催。

世紀末芸術が続く。
シェレのポスター、ガレのやきもの、エミール・ベルナールの油彩画。
ガレはガラス製品ではなくやきものが並ぶことも面白く思った。
しかもその作品はどこか抽象的で、岡本太郎、堂本印象の先人といった味わいがある。
ジャポニスムの影響を強く受けたガレ。
海を越える浮世絵、お返しのように日本に届くアールヌーヴォー芸術。
旅する美術。

ポール・セリュジエ 急流のそばの幻影 または妖精たちのランデブー 以前にも見ているが汐留で見たのか別な場所で見たのか自信がない。
妖精の美しい女たちが森の中を逍遥(あるいは行進)している。その一段の美しい姿を木の間越しに村人たちがぽかんとしながら見ている。
誰も手出しをすることもなく、追いかけることもなく、ただただその場で美しい女たちを見つめ続ける。
妖精の力で動けなくされ、もしかするとこのランデブーを見たということ自体を忘れさせられてしまうのかもしれない。
このわたしのように、「どこかで見たのだが、どこで見たのかがわからない」というように。

ゴーギャンの旅はどこに始まりどこで終わりを告げたと言えるだろう。
かれはタヒチを愛し欧州大陸へ帰らずポリネシアで没したが、パリ生まれながらもリマで幼少期を過ごし、海軍に勤務してインドで母の死を知った。画家として世に出る以前の若い頃に既にこれだけの旅をしている。
「10の木版画集」
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決して行くことがない地、本当にこうした情景があったのか確かめることも出来ないだけに、憧れだけはいよいよ募る。
他者の旅には憧れが生まれる。

5.「空想の旅・超現実の旅」
タイトルに惑わされたわけでもないのに、ここへきて不意に、動線が狂っているような錯覚に陥った。
本来ならグランヴィル「もうひとつの世界」から見るべきなのに、わたしは何故だかヴァランティーヌ・ユゴーの描いた幼く美しいランボー坊やの絵の前に立った。
左へ向かうべきなのに右へ歩いた結果だった。

森でも町でも分かれ道に行きあった時、大抵の物語の主人公たちは行ってはいけない道へ進んでしまう。最初は良くても途中からまずい道だと気づき、気づいても後戻りできなくなっている。
わたしはそのことを思い出し、少し足踏みをしてから道を戻した。

再びヴェルヌの小説が現れた。SF小説の父。
私市保彦が「意味の果ての旅」と評したのはヴェルヌの描いた旅だったか、ポーの旅だったか。
呪われたネモ船長はどこへ向かうのか。
書物の旅は終わりがない。

ドレの挿絵が待っていた。
ゴーティエ(子)「ミュンヒハウゼン男爵の冒険」 今ではミュンヒハウゼン症候群という病にその名が冠されている。
そういえばこうした豪快なほらふき譚は日本では案外少ないように思う。中国、アフリカでは見受けられるのだが。
とはいえ、「話を盛る」のは日本の物語にも多いから程度の問題なのかもしれない。
ドレの絵は妙にポップな感じがした。

「ペロー昔話集」がある。
「赤ずきん」「ロバの皮」「親指小僧」が紹介されている。
そして中川陽介による映像がここでも上映されている。
幼いくせに男を誘う目をした赤ずきん。むっちりした二の腕のなんと美味そうなこと。
老婆が狼に襲われる。飼い猫は慌ててベッドの下に逃げ込む。
以前に世界各国の赤ずきんの絵を集めた展覧会があった。
そのときもドレの赤ずきんは誰よりも艶めかしかった。狼は誘惑する者からされる者に転じたようにしか、思えなかった。
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「ロバの皮」は妃を失くした王が実の娘である姫に結婚を申し込んだことから話が始まる。
姫は逃げ出し、ロバの皮をかぶってその美しい正体を隠して森で暮らす。
やがてさる国の王子の求婚を受け、世に戻る。反省した父王もその結婚式に出席する。
映像ではインドからやってきたお祝いの使者の乗ったゾウが動くように見えた。

ペローにしろグリムにしろ採集した民話には時折インセストの匂いが強いものがある。
「シンデレラ」では父親は再婚したが、その妻より実子に目を向けていたのではないか。
岸田今日子の小説「セニスィエンタの家」はまさにそのシンデレラの物語だった。
少女セニスィエンタに王宮の舞踏会に出席できるようなドレスや靴を支度したのは彼女の父だった。そしてその代償には…
岸田今日子は30年以上も前に罪の物語を静かに綴っていた。
ドレの絵を見ながらそのことを想った。

ドレの「親指小僧」を知ったのはこの私市保彦の著作からだった。
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トリックスターである親指小僧は一度目は小石を撒いて家への道しるべにしたが、二度目はパンくずだったため他の兄弟共々森の奥に置き去りにされる。
家へ帰れない彼らはさまよった末に人食い鬼の家にたどりつく。
ドレの絵では優しい人食い鬼のおかみさんが子供らを気の毒がるシーンがある。
家には鬼に喰われた野生動物の骨が飾られている。
物語はここで鬼が子供らを食べるはずが、親指小僧の機転で間違ってわが子らを食べてしまう展開を見せる。そして親指小僧たちは宝を得て脱出する。
ドレの描く、森の奥という、意識の暗い領域へ進む一行の姿は忘れがたい存在となって胸に刻まれる。

リチャード・ドイルはコナン・ドイルのおじに当たる人だが、彼は妖精画の第一人者だった。これまでいくつか妖精画の展覧会を見てきたが、必ずそこにドイルの絵があった。
ウィリアム・アリンガム「妖精の国で」の挿絵が展示されている。
大勢の小鳥たちが集まって一人の妖精を囲んでいる。森の中、色彩豊かな絵。
シッダルタは鹿に囲まれて話をしたが、イングランドの妖精は小鳥たちに囲まれて彼らに魔法をかける。

世紀末のイングランドは本当に面白い。
「ラファエル前派」展の活躍も素晴らしいが、童話・童画の発展も豊かだった。
同時期に「ラファエル前派」展がブンカムラで開催されているので、その感想もまた後日挙げる。

ルイス・キャロルがその時期に「不思議の国のアリス」を発表したのも興味深い事実だと思っている。
彼自身による「アリス」とテニスンの世上名高き「アリス」が並んでいた。
わたしはディズニーの「アリス」から始まっているので、今でもあの容姿が最初に思い浮かぶ。
それで思い出したが日本に最初に「アリス」が入った頃「愛子ちゃん」として翻訳され黒髪の少女として描かれていた。
「アリス」は世界各国で翻訳され、様々な画家によって描かれたが、金子國義の「アリス」のように磔刑に掛けられる姿もまたよいものだと思う。そしてルイス・キャロルがもしそれを見ていたら、第三の続編を執筆していたと確信している。

エドモン・デュラックとカイ・ニールセンの挿絵の美しさは、ただごとではないと思う。
そのデュラックによるアンデルセン「雪の女王」が現れた。
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わたしはアンデルセンの長編に好きな作品が多いが、この「雪の女王」もひどく好きで何度読んでも感動している。
心と目に見えない鏡の破片が食い込んだカイ少年が雪の女王の国に連れ去られてしまう。少女ゲルダはカイを追って旅に出る。
絵はトナカイに乗って旅を続けるゲルダが、もう動けなくなったトナカイに走ってほしいと懇願しているところか。
しかしゲルダの願いは届かずトナカイは倒れる。ゲルダはたった一人で雪の女王の氷の宮殿へ向かう。

雪の女王の美しい絵がある。
美しすぎるほどに美しい女王の姿である。
彼女はカイに氷のかけらで出来た言葉のパズル遊びをさせている。
「永遠」という言葉がカイの手により作られることを待っている。
だがカイはなかなかその言葉が作り出せないでいる。
やがてゲルダが宮殿に来てカイを抱きしめて熱い涙を降り注ぐ。
その涙がカイの眼と心に刺さった破片を溶かす。
それと同時に言葉がつながる。「永遠」という言葉が作られたのはゲルダが現れたときだったのだ。
雪の女王は静かにその姿を玉座から消す。
絵はそこを描いているようだった。
深い感動が再びわたしの胸に広がっている。

わたしがこの「空想の旅・超現実の旅」に踏み込んだ最初道を間違えたのは、右手に異様に美しい男児の絵があったからだった。ユゴーの子孫・ヴァランティーヌ・ユゴーによる「七歳の詩人たち」の挿絵に惹かれ、そちらへふらふらと寄って行ったが、これはランボーの詩に彼女が絵をつけたものだった。
難しい目つきをした愛らしい男児に魅せられて、わたしが道を間違えるのも仕方ないことだ。
少年はヴェルレーヌの人生の道も踏み外させている。
だから―――仕方ない。

アンドレ・ボーシャン ニンフたちの洞窟 1946 洞窟に美しい女性、というのは古今東西の決まりごとのようなものかもしれない。
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遭難船から陸地に上がった男たちが彼女たちを見るシーンが描かれている。
その後どうなるのかは知らない。
洞窟の美女といえばハガード「洞窟の女王」、スリランカのシーギリヤ・ロックの壁画の美女たちが思い浮かぶ。そして「八犬伝」の伏姫は富山の洞窟に暮らした。
やはりとても妖しい。

ウジェーヌ・アジェの写真が出てきた。
様々なパリの姿がある。20世紀初頭の都市風景写真はなぜこんなにも魅力的なものばかりなのか。見て歩きながらも不思議でならない。そしてその写真に魅了されて、その時代のその地に行きたくてならなくなる。

アジェのパリ、福原信三の東京、写真集「老上海消逝」に集められた上海灘の街並み、不況が広がるNY…1910―1940までの都市を歩きたい。

レオノーラ・キャリントン 狩猟 1942 久しぶりに彼女の絵を見た。シュール・レアリスム絵画のうちでも彼女の作品はとても好きだ。
何故好きなのかを考える。やはりこれは絵自体が可愛らしいのと、部分ずつは理解できるもので構成されていて、それらが一堂に会すると常識の外に出てしまうからだろうか。

最後にデルヴォーの三点の絵が現れた。
森 1948、駅 1971、女帝 1974 この三点。
旅の交通手段の一つに鉄道があるが、デルヴォー描く鉄道は、決してどこにも行けないものだ。
銀河鉄道にもならないし、「ねじ式」の鉄道ですらない。ただし森の奥には行けるだろう。二度と帰らないようだが。

まだ「旅」は終わらず、もう少し続く。




6.「旅行者の見た日本 列島の自然」
いよいよ旅も終わりに近づいた。
日本に来た。

北斎の「富嶽百景」で始まるというのもいい。
そしてワーグマン、ビゴーらによる明治の富士山。
日本に来た多くの外国人の見た日本風景が油彩画と写真とで表現される。

ベアトの写真、イザベラ・バードの紀行文などにより明治初期の日本の様子が世界に伝えられてゆく。
そうこうするうちとうとう日本人の写真家による風景写真が生まれだす。

1888年の磐梯山爆発を捉えたウィリアム・バートンの写真、ビゴーの記録画。
災害とそれに対処する日本人の様子が赤裸々に描かれる。
そして1891年の濃尾地震もまた。
日本は自然災害の多い国だということを改めて自覚しなければならない。

「旅と芸術」展はここで終わる。
監修者・巌谷國士による同題の本が平凡社から刊行されている
無論本は図録として美術館でも販売されている。
素晴らしい本である。
とはいえ、この「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」展をそのまま再現できるわけではない。中川陽介の動画がないのも無念だ。
しかしそれでもこの本の魅力は大きい。

最後に「旅」に関する言葉で途轍もなく好きな言葉を挙げる。
開高健の言葉である。
「旅は円寂した。環は閉じた。」
もしかすると正確ではないかもしれない。
自分の記憶の奥から引き出してきた言葉だからだ。
巌谷國士さんには申し訳ないが、やはり旅の終わりにはこの言葉が浮かぶ。
展覧会という形での「旅」がおわるとき、大きな空虚感が生まれたが、この言葉を思うことで、静かな諦念が生まれて来る。
そして新しい「旅」を始めようかと思うのだ。

展覧会は1/31まで。
もう時間がないが、行ける方はぜひとも。
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