美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「おにたのぼうし」で思うこと

毎年節分になると必ず「おにたのぼうし」をよむ。
絵本だから「みる」でもいい。
あまんきみこ&いわさきちひろの名作。
イメージ (7)
幼稚園の時に読んで感動し、いまも大事にしている絵本。
本を手に入れたのは実は社会人一年生の時だったが。

ひとりぼっちのこどもおにのおにたは、なかなか気がよくて、間借りしている家の人が雨に気付かない時は、そぉっと洗濯物を取り込んだりしている。
でもだれもおにたのことに気付かない。

おにたは小さい角を隠すために麦藁帽子をかぶる。
節分の夜、おにたは麦藁帽子をかぶって、豆もまかずイワシをヒイラギに挿さない家を探して、そぉっと忍び込む。
だが、その家ではおかあさんが寝込んでいて、小さい女の子が何も食べずに看病していた。
一瞬意識の戻ったお母さんが女の子にご飯を食べたか訊くと、おんなのこは「赤飯とウグイス豆の煮豆」をもらったことを言う。
実際にはコメも何もないし、くれる人もいない。

おにたはちゃんと服を着て長靴を履いて、角隠しの麦藁帽子をかぶって、女の子のもとへ「赤飯とウグイスの煮豆」をもってゆく。
喜ぶ女の子だが、その子は豆まきがしたいと口にする。
おにたは「鬼だっていろいろあるのに」と身震いしたかと思うと、不意に姿を消す。
あとには麦藁帽子と豆まきの豆がある。
おんなのこはそっと豆まきをする。

これまでただただおにたが可哀想だと思うばかりだったが、今日ふと思ったことがある。
豆に追われるおにたなのに、赤飯や煮豆は大丈夫なのか。
おにたが姿を消し後に麦藁帽子の中に豆が入っていたが、わたしはあれを「豆がニガテな鬼族が豆を出したらその鬼は消滅」のようなルールがあるとずっと思い込んでいた。

わたしが「あれれ?」と思ったのはそのことではない。
おにたは豆まきをいやがるのに、赤飯の小豆やウグイス豆の煮豆は平気なのか。
読み始めてから数十年後の今、改めてそのことを思った。

おにた、また会いたい。
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