美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ビアズリーと日本 1

滋賀県立近代美術館の「ビアズリーと日本」展に行った。
期待していた以上の素晴らしい内容だった。
チラシは「サロメ」の「クライマックス」シーン。
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1894年初版。
白と黒だけで無限に世界が深まってゆく。

わたしが「サロメ」を知ったのはここからだった。
ただこの絵を描いたのがビアズリーだと知ったのは少し後のことだった。
とても惹かれ、画集を手に入れたのは高1のときだった。
わたしが最初に見た「ビアズリーのサロメ」は手塚治虫が作中に引用したものだった。
「MW」をリアルタイムに読んでいたので、そこで見て子供心に異様なときめきを覚えたのだ。
1977年のことだった。
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第一章
1.初期ビアズリー

22歳のビアズリーの肖像写真が二枚並ぶ。
とても有名な写真である。
節の入った高すぎる鼻が印象的な若い男の横顔。

早熟の天才・ビアズリーのごく初期の頃の作品が並ぶ。
戯画風なパガニーニがある。ちょっとばかりSF作品の挿し絵のような感じもある。これが16の時の作品。後世恐るべし16歳の絵。

2頭身キャラの戯画もあり、それは可愛い。

詩人の残骸  セセッシォン風の構成である。本を開く青年の後姿。1970年代の山岸凉子の作画を思い出す。彼女は自身がビアズリーの影響を受けていることを自認しているそうだが、それはむしろ70年代までのものではないかと思っている。
そしてそれは1978年までの「妖精王」、短編「ドリーム」で昇華され、以後の「日出処の天子」、近年の「テレプシコーラ」ではビアズリーの影は見いだせない。
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2.「アーサー王の死」と「名言集」 見いだされた才能

トーマス・マロリー「アーサー王の死」の挿絵の仕事が並ぶ。わずか21、22歳でこんな細密描写の挿絵。
ビアズリーの場合、あまりに早い死のために「晩年」というものはなかった。
最盛期が即ち晩年でもあり、デビュー当時も人生の経年数から思えば晩年なのだった。
作品の衰退もそんなに見受けられない。

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「アーサー王の死」の挿絵は手元にあるので、久しぶりという感覚はないものの、自分が持っていないシーンの絵もここには出ていて、そこから物語を想い、その世界に漂うている。
この挿絵は装飾的で、しかも官能性の薄い作品だった。
わたしは高校の時にこれらを知り、喜んで手元に集めたが今こうして原画を目の当たりにしても、ここには官能性は他に比べて見いだせない。

マーリンとアーサー、湖水のランスロットに手渡されようとする剣、魔女たちとランスロット、ベッドで半身を起すトリストラムに話しかける女…、そのラ・ベア・イズーがトリストラムに手紙を書く机には砂時計がある、モルガン・ル・フェイがトリストラムに三角形の盾を手渡そうとする…
他にも様々な絵が並び、物語が目の前に立ちあがってくるようだった。

ところで「アーサー王の死」だが、わたしが中一の時に東映動画が「燃えろアーサー」を放送し、それで「アーサー王と円卓の騎士」を知った。
それで原作を知ろうと図書館でみつけたのが福音館の「アーサー王と円卓の騎士」でこちらはラニアの編著。挿絵はアンドリュー・ワイエスの父で挿絵画家のN.C.ワイエス。
こちらの登場人物の名称の表記はマロリーのそれと同じで、たとえばトリスタンではなくトリストラムであった。
(とはいえアニメの原作もマロリーに依っているが、表記はトリスタンやギネビアである。これはやはり対象年齢を考慮したものかと思われる)
東映動画の製作意図などは知らないが、マロリーの著作(翻案:御厨さと美)から作品が作られたことを思えば、製作者側も当然ビアズリーのそれを見ていたことだろう。
ここでも「ビアズリーと日本」の片鱗がある。

話を戻しビアズリーだが、かれは18歳の時にホイッスラー製作の「孔雀の間」を見学させてもらったそうで、当時の英国の美術界のことを思うと、いい時にいいものを見ているように思う。(とはいえ彼は後にホイッスラーに悪く思われて腹いせにホイッスラーの戯画を描いたそうだが→後年ホイッスラーから謝罪を受けて和解)
さらにはバーン=ジョーンズに絶賛されて、プロの道へ向かった。
一方かれはウィリアム・モリスとは仲が悪かったそうである。
「アーサー王の死」を出した直後にモリスから剽窃呼ばわりされたが、言い返している。

こういう人間関係のゴタゴタ・ドロドロは英国の美術界がいちばんドラマチックでもある。
映画化してくれれば、という声があるのにも納得する。

同時期の他の作品を見る。
「名言集」の挿絵などがでているが、こちらはややグロテスクさの方がつよい。
キモチの悪いような胎児の絵がある。
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3.日本からの影響

ビアズリーは浮世絵の春画集を貰うと、喜んで額装し、寝室に飾ったそうだ。
どのような作品だったか知りたいところだが、ここではその言及はない。
尤もこの展覧会ではビアズリーの艶笑的な作品はほぼなく、「女の平和」などは展示されていない。

「北斎漫画」の展示がある。これらに影響を受けた作家・工芸家は多い。
ガレもこのビアズリーもそうだった。

日本美術紹介本も色々でていたようで、開かれたページを見るとやはり浮世絵が多かった。
狩野派や土佐派などは流出しなかったから、というだけでなく、外国人から見ると他国の東洋絵画と区別がつかないのかもしれない。
この辺りの事をもう少し詳しく考えてもみたい。

型紙がある。日本の型紙である。6種ばかり並ぶが、いずれも濃やかで細密な構成の図案ばかりで、丁寧な仕事の道具というより、それ自体が一個の美術品としての価値を持つ。
先年三菱一号館、京近美でみた「型紙」展の素晴らしかったのが蘇ってくる。
葡萄唐草、雀に葵、雪輪に梅・紅葉などなど。
密生した草花文はむしろモリス商会的なデザインだったか。

ウォルター・クレインの壁紙二点がある。
孔雀の正面向きのものと、アーモンドの花(桜より一回り大きい花)とツバメなどの意匠のものである。色もとても綺麗。
クレインの回顧展が来春今頃ここで開催される。
去年もそうだが、冬の終わりから春先の頃に世紀末芸術を開催するのがここの習わしになっているのかもしれない。それならとても嬉しいのだが。

花鳥や季節の描写に西洋の画家は惹かれたのだろうが、同じモチーフのものであっても洋画では「死んだ自然」となり、東洋ではイキイキと描かれる。
宗教観も含めて、この辺りの考えはどちらがいいともなんとも言えない。

芳藤の猫集まりの「猫之怪」がある。師匠の国芳も描かなかったタイプの猫集まりもの。
これに比較されるのがビアズリー描く「黒猫」。
ポーの「黒猫」である。ほっぺたがにくにくしく垂れた黒猫が妻の遺体の上に鎮座して、崩された壁の中から出現する。

4.「ステューディオ」創刊 ビアズリーのマスコミ・デビュー

雑誌「ステューディオ」の数冊と「キーノーツ叢書」などが展示されている。
悪意に満ちた顔つきの者たちが描かれている。

5.衝撃の「サロメ」

冒頭にも挙げたようにやはりビアズリー=サロメという認識がある。
いやむしろサロメ=ビアズリー、そしてモロー…というべきか。
モローのサロメを始め多くの画家たちのサロメも魅力的だが、ビアズリーの「サロメ」が生まれなければ、後世、ここまで多くの人々がサロメに惹かれ続けることはなかったのではないか。
時代的にはビアズリーの20年前にモローのサロメがあったが、人々が彼女の毒に溺れたのは間違いなくビアズリーの絵があったからだと思う。

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ビアズリーはフランス語が自在だったからワイルドの戯曲の仕事の前にオリジナルのサロメを描いていた。
そちらはやや煩雑な線が見受けられる。

そしてワイルドの存在を忘れさせるほどの「ビアズリーのサロメ」が誕生する。
今回全ての画が展示されていた。

「サロメ」のショックを受けた日本人たちの話は後に紹介されている。
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6.「イェローブック」 ビアズリー時代の光芒

仕事が軌道に乗っているようだったが、この辺りの作品にはわたしはあまり関心が湧かない。

「ルキアノスの本当の話」の挿絵が色々とグロテスクなのもあるが面白い。
他の画家のも入っているが、よかったのは葡萄の生えた髪の者に抱きしめられようとする悪い奴らの絵。
これとはニュアンスは違うが、猫十字社のシリアルなイラストに葡萄の男が求められて女に自らの葡萄を渡すのを思い出した。

他にもどこか日本風な顔が描かれたものがあった。
これは1973-1974年の高階良子「血まみれ観音」(原作:横溝正史「夜光虫」)で時計塔の洋館の階段に飾られている絵の一つにも使われていた。
当時は気づかなかったが、80年代のある日再読してみつけたとき、たいへん嬉しかった。

ポーの作品のための挿絵が並ぶ。ただしこれらは未使用作品。
「モルグ街の殺人事件」 ゴリラが女を掴んでいる。
「黒猫」前述のにゃーっとしたところ。
「アシャー家の崩壊」 カーテン前でしょんぼり坐る男。(ロデリックだろう)
「赤死病の仮面」 踊りだしそうな様子。

ポーの怪奇幻想小説には白と黒の絵がよく似合う。

7.「ヴィーナスとタンホイザーの物語」 早すぎた死

タンホイザーがヴィーナスの誘惑に溺れ危うく廃人にされかける…
ワグナーの楽曲とルノワールの絵は共に多彩な美に彩られているが、ビアズリーは白と黒でその頽廃的な愛欲の時間を描く。

ピエロの絵があった。ピエロ・ライブラリーの仕事出ているが、いずれも顔のメイクはなく、静かな面差しの青年が描かれている。

「サヴォイ」誌の仕事が紹介されている。
ここでビアズリーは自作小説「丘の麓で」も発表している。
細密すぎる絵である。物凄い質感がある。
ただただ見入るばかり。
山本鈴美香「エースをねらえ!」の作中、テニスに青春をかける青年の蔵書にこの本が並ぶのを発見したとき、一人でものすごくウケた。
しかもある夜、彼の友人らがその部屋に集まった時、みんな知らん顔で本をめくっているのだ。1973年の二十歳前後の青年の話。

「サヴォイ」での挿画がいくつか。
・王のような男に寄り添って幸せそうな顔で天に昇って行く女
・宮廷でワイワイと寄り集まる人々
・暗い森の中での逢引き。妙な顔の像がある。
・サテュロスと言いながら、ただの野人にみえる男

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「タンホイザー」の未使用原画にはヴィーナスのお供たる双鳩もいる。ちょっと離れた先に噴水があるのもいい。

またルキアノスの何かが出てきたが、これはあれだ、伊藤晴雨の先達のような絵。
ポートフォリオ版。三点ばかりある。

テオフィル・ゴーティエ「モーパン嬢」の挿絵もある。
ポートフォリオ版 青灰色がいい。男装のモーパン嬢の顔の一つが、70年代の森川久美のキャラに似ていた。
森川久美も70年代は耽美的な画風だった。

やがてビアズリーは若すぎる死を迎える。
「ステューディオ」誌の1898年5月出版のビアズリー追悼記事がある。
そこには室内で馬に乗る女が描かれている。「ショパン バラード3」とある楽譜をもつ。

ビアズリーの影響を深く受けた画家たちがこの後も世に出てくるが、それは第二章での紹介となる。
長くなりすぎるので一旦ここまで。
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