美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ビアズリーと日本 2

昨日の続き。
ビアズリーの影響を受けた後続の画家と日本の画家たちと。

1.ビアズリー、日本上陸

当然ながら最初の紹介物は「白樺」ということになる。
百年前の明治末期、学習院卒の仲良しさんたちのおかげで、泰西名画からリアルタイムの芸術までを知ることになった。

ごく最初期の「白樺」誌で既に柳宗悦によるビアズリー論が掲載され、里見弴の部分訳で「三人の楽手」が紹介されているそうだ。
絵の方は「サロメ」のヨカナーンの首を見ているもの、ウェヌスの綺麗な白ドレスに刺繍があるもの、などなど。
思えば雑誌「白樺」の中身というものを殆ど知らない。
復刻されたものがあってそれを読めるのなら、手に取ってしみじみと味わいたいものだ。

丸善が刊行する「學燈」でもビアズリーの紹介がある。「アーサー王」の中の城にみっちり居並ぶご婦人方の絵、丸々とした頬を揺さぶるように哄笑する婦人等々…
これは「イエローブック」では批判の対象になったそうだが、日本は軽く受け入れている。

1922年にはビアズリーの装画集なる本も刊行されている。「ラインの黄金」などである。
やがて関東大震災が起こり、出版人は多くが関西へ避難した。
そこで中山太陽堂の出版部門・プラトン社が黄金時代を築くことになった。
雑誌「苦楽」や「女性」などが刊行された。
1923年、「女性」誌では「ワグナー聴く人」の絵が紹介されている。
この当時ワグナーは日本人をも<籠絡>していた。

夢二の表紙絵で有名な「婦人グラフ」誌でもビアズリーの絵が表紙絵に使われている。
「初夏の曲」から。大きな羽根を持つ美青年の天使がチェロを弾いている図。

ところでこの「學燈」だが、清方の随筆にこんな話がある。
家に来ていた按摩さんがその本を見て「トウガクとは灯りのなにか学問ですか」。
昔のヒトだから字を→ではなく←で読んだという話。
こういう勘違いの話は大好きだ。
「春泥尼抄」では「比較文学専攻」というと「皮革の文学ですか」と問われるシーンもあった。だからというのでもないが、さかなクンが「どんな水槽のことが学べるのかな♪」と吹奏楽部に入った、という話が本当に好きだ。

閑話休題。

「詩と版画」でもビアズリーが取り上げられている。「エキス・リブリス」と題して恩地孝四郎が自身の小版画とビアズリーのそれとを共に紹介している。

日本における「サロメ」の翻訳が二つばかり紹介されている。
荒川金之助と阿部謙太郎のが。
荒川のタイトルがちょっとばかり面白い。
「月と女」「孔雀のスカート」「黒いテーブル」はいい。「プラトニックな哀泣」もいい。
しかしいくら何でも英文通りに「胃袋の舞踏」はないでー。ストレートすぎるがなw
クライマックスを「高潮」でもいいけど、それなら「絶頂」の方が意味的に合うだろうとか色々思いつつ。
なお、日夏耿之介訳のはここにはない。残念。

2.誘惑のサロメ
日本の芸術家によるサロメ。

永瀬善郎 サロメ 木版 ふっくらした裸婦が生首の口に自分の乳首を吸わせている。
下半身を大きく描かれた女は眼を閉じながら生首にその行為を強いる。
首は真っ黒で表現され、滴る血は白で刻まれる。グロテスクな行為だが、リアルな線でない女の表現が、まだ救いとなっているようにも思われる。
イメージ (53)

山六郎の二点のサロメがある。どちらも深い頽廃性と強烈な耽美性を具えている。
「女性」誌のサロメは どこまでがサロメでどこからがヨカナーンの首か判然としないほどに縺れに縺れた濃密な線描画。
「苦楽」誌のサロメは孔雀の裳裾を長く曳き(まるで血の流れがそこにあるようだった)一人バルコニーに佇むサロメの背中を描く。
しかしこのサロメはこちらに背を向けつつも顔だけねじて、印象的な眼をこちらに向けているのだ。
後者のサロメは益田太郎冠者「狂戀のサロメ」の挿画。1926.
同年、溝口健二が「狂戀の女師匠」を映画化しているが、そのタイトルの「狂戀」は当時の流行言葉だったのかもしれない。
「何が彼女をさうさせたか」同様に。

華宵もサロメに惹かれた画家だった。
丁度この時代、舞台でサロメを演じる人々がいた。
帝劇の松井須磨子をはじめ浅草でもサロメ女優がいた。
誰が書いたか忘れたが奇術師の松旭斎天勝のサロメがいちばん艶めかしく、いちばん魅力的だったそうだ。
わたしも写真で見ただけだが、確かに官能的で破滅的な魅力に満ちたサロメだった。
華宵は浅草でサロメの魅力に熱狂したらしい。

浅草電気館でみたセタバラのサロメを描いている。
野口武美「運命の指輪」の挿絵のサロメは銀盆のヨカナンの首を見つめ、少女雑誌の付録の便箋にもサロメを描いている。
sun659.jpg
いずれもとても好きな作品。弥生美術館で展示される度にときめく。

陽咸二 大人向けの色っぽいサロメ。1928年という時代がどんな時代だかをここから見てもいいかもしれない。
IMGP8364.jpg
同じ作者で彫像もある。先月東近美で見たばかりの色っぽいサロメ。

竹中英太郎のサロメもいた。乱歩の生み出した謎の女「江川蘭子」を描いている。
たまらなく官能的な女である。

谷中安規も「舞踏」としてモダンダンスを描くが、どこかサロメを思わせるところがあるようだった。

ところでここでは「ヨカナーン」と統一しているが、「ヨカナン」また「ヨカナァン」という表記も共に好ましい。

3.挿画の爛熟
日本と西洋の同時代の「白と黒」。

名越國三郎 「初夏の夢」より「薔薇咲く庭」 緻密な描写。
イメージ (28)

若い頃の谷崎潤一郎は西洋礼賛に満ちていたが、関東大震災で関西に移住し、生粋の大阪人らとつきあううちにだんだんと宗旨替えし始め、小出楢重描く「蓼食ふ蟲」の挿絵でとうとう宗旨替えしてしまった。
その谷崎の若い頃の西洋の美を礼賛したものの一つに「人魚の嘆き」がある。
水島爾保布の白と黒だけでち密に構成された妖艶な世界。
イメージ (51)

蕗谷虹児のモノクロの魅力にも囚われる。
蝶の美しい翅を持った少女、何かに驚いて逃げようとする少年、雪山を往くのにアイゼンを調べる青年…
これは展示されていないが、彼のモノクロの魅力を参考までに挙げる。

イメージ (54)


次に茂田井武が現れた。童画ばかりが集められているが、これらはみな白と黒とばかりだった。
茂田井の白と黒の良さは幼いころから知っている。
幼児向けの「おはなしだいすき」には茂田井の挿絵も入っているのだ。
この展示会場で唯一官能性や破滅性とは無縁な感じのする、暖かささえ感じる作品が集まっていた。

長くなりすぎるので一旦ここまで。
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