美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

ご存知なら教えてください。「西鶴と近松の比較」について

昨日挙げた「ビアズリーと日本」展の中で山六郎の作品が色々あるうち、「妖姫タマル」という蠱惑的な絵があったが、それはプラトン社の雑誌掲載の絵だった。
(1922年「女性」第2巻第6号)

見開きの左ページに絵がある。
そしてわたしが気になったのは右ページの近松と西鶴の比較論。
これがかなり面白かったのだが、誰が書いたものかがわたしにはわからない。
ここにわたしが写したものを挙げるので、もしご存知の方があればぜひ教えていただけたらと思う。
なおご返答はツイッターの方へお願いします。

また写したわたし自身の判読不能文字があり、それらは< >で空欄とした。
旧仮名遣いは現代のものに改めている。

・西鶴の描いた女性
西鶴の骨の髄まで巣食うものはリアリズムであり、近松の毛細血管の末まで流れるものはアイディアリズムである。両者の目に映ったものは同一の事象であったとしても、その事実を受け入れる心持の上には両者の態度を正反対の方向に引きずってゆく相違があった。
従って男女間の情事を写しても西鶴の女性は肉の奴隷として現れるのに対し、近松の女性は精神の君主として現れる。
一代女や五人女の中に出てくる女性と近松の世話物の中に出てくる女性とを比較する。
到底すべて同じに語ることは出来ない。
「森の門松」のお菊や「心中天網島」のおさんのような女はかつて一度も西鶴の頭脳に描きだされたことはないであろう。
西鶴は肉の上に一つのエリシアムを築き上げた作家である。彼の思想の中には根底にある信仰も< >あるわけではないが、幾分伝統的シナの神仙思想が< >していたらしい。
努力よりも無為を、未来よりも現世を重んずる態度は彼の作品の随所において散見するところである。
あの一代男の主人公がその最後において未知の無何有郷に向かって出発したということは、自ずから彼の思想が暴露したものであると思う。

学芸員さんに「妖姫タマル」の前ページの一文について問いかけたらよいようなものだが、なかなか出来ない。

中で例として挙げられている以下の芝居はわたしでは調べきれなかった。
・「森の門松」のお菊

わたしは近松研究者ではないのでますますわからない。
「森の石松」は幕末だし近松は元禄だし、と色々とかんがえこんでいる。

どうかご存知の方があれば教えてください。

追記:大正解の巻

わたしが東京ハイカイ中にツイッターで色々教えてくださった方々がありました。
まず
この文の筆者について
・日本図書センター刊「女性」復刻版第4巻によると、表題は「西鶴の描いた女性」、著者は「赤木桁平」、とあります(p.92ー104.)
さらに
・国会図書館で検索したら、池崎忠孝著『亡友芥川竜之介への告別』の書誌に「井原西鶴の描いた女性」あり。

自分でも調べたところ、
赤木桁平=池崎忠孝
ということでした。
なるほどなあ。

また最後に
・「森の門松」のお菊 とは、「寿の門松」(山崎与次兵衛寿の門松)のお菊(与次兵衛の妻)のことでは無いでしょうか
そうでしょうなあ。
これは雑誌自体の誤字。
納得です。

皆さん、ありがとうございました。
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