美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

「ガレの庭」を逍遥する

ガレの庭
この言葉を冠した展覧会が東京都庭園美術館で開催されている。
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アールデコの館と呼ばれる旧朝香宮邸で一時代前のアールヌーヴォーの展覧会を開催する。
それはとても魅力的な催しだと思う。
同時代のものをそこに置くことも魅力的だが、あえて一時代前の様式の美を配する。
それにより、どちらも一層の美しさを見せることになる。
美を愉しむには建物との関係性も含んでみると、より歓びが深くなる。

例えばこの館が大正時代のものではなく、明治の煉瓦積み洋館だとする。するとそこに合うインテリアは何か。
同時代のものやそれより未来のものではいけない。
一番合うのは建物より前の時代のもの、江戸時代の指物や清朝の工芸品がとても似合うのだ。
だからこのアールデコの館でこそ、アールヌーヴォーの美を本当に愉しめるといえる。

ガラスは透明なものとそうでないものとがある。
わたしたちの意識にはガラスは透明だという思い込みが強く活きているが、一方で曇りガラスも色ガラスも等しく愛し、大事にしている。

ガレの拵えるガラス作品は自在だ。
半濁していたり透明だったり、その表面にぬらぬらと何かが這い回っていたり。
また、様々な美しい花が置かれたことで形そのものが花になりもする。

オールドマスターたちの泰西名画とは異なり優しく咲く花々。
トンボ、バッタ、はてはカエルまでが飛ぶ瞬間をガレはガラスに写し取る。
自らの影を写し取られた小さな生命たちは、そのことにより永世の生命を得る。
彼らはもう死ななくなる。生命の形は変わるが、ガラスに取り込まれたことで新しい生命を得て、壊れるまでは活きる。
壊れなければもう死ぬことはない。
小さな生命はこうして永遠になる。

そうしてふと気づけば、この館のそこここにもそのようにして生命の在り方を変えた生物たちがいる。
可愛いチューリップが咲いていたことに初めて気づいた。
ラジエーターに住まう鉄の魚たちにはいつも眼で挨拶をしていたのに、このチューリップは知らなかった。
ガレのガラスを見て歩く中で気づいた存在だった。

ガラスは変容する。
銀箔が挿入され、光の彩度が変化する。右から見たときと左から見たときとでは、まるで別な存在のようにも思える。
そしてそれはほかのすべての事象にも当て嵌まる。

ガレの技巧を凝らした花瓶が居並ぶガラスケースは遠目にもきらきら煌めいている。
照明の力もあって、花瓶たちはそれぞれの美を露わにする。花瓶たちは隠しどころを持たず、観るものに自身の美を曝け出す。
視覚の死角だけがそれを捉えきれない状態になる。

なおも凝視するうちに違うものが見えてくる。ガレの花瓶が並ぶガラスケース越しにこの館の大理石に彩られた空間が見えてくる。キャラメル色の柱もまた。
こうしてわたしたちは二つの愉しみを得るのだ。

ルネサンス、アラビア、様々な様式、様々な嗜好を採り入れたガラスの容器。
折衷ではなく融合。溶け合う理由は高熱を用いて生みだされるガラスだからかもしれない。

逍遥する。
「ガレの庭」を逍遥する。
本当に足がついているのはアールデコの館なのだが。

装飾のない喫煙室に入る。かつてはここで朝香宮家の人々やお客として招かれた人々が談笑しながら喫煙していたのだ。
喫煙は今では罪の一つになりもしている。そのようなことを思いながらここでガレの得たインスピレーションの源を見る。

海を渡った日本の絵がガレを誘惑する。多くのフランス人、英国人、それにオランダ人も、極東の鎖国を長く続けた国の文化に心を奪われた。
自身の作品に日本の絵を模写と言う形で招いた画家もいれば、それらを意匠の一つとして工芸品に再現した作家もいる。
鷹に雪持ち松、雀のお宿、うねる波の下の鯉…
花鳥風月の概念を知ったことで新たな世界観が生まれる。

楽しそうな鳥の絵など西洋にはなかった。
古代の壁画にしかそれらは見いだせず、楽しそうな鳥たちが描かれたとしても添え物に過ぎなかった。
他は全て意味を持たせられた存在として描かれている。
ジャポニスムは西洋に花鳥の美を伝えたのだ。

階段を上がる。
階段自体の美しさを味わいながら上がる。
上がりきるとそこに大きな薊の花が咲いていた。ガラスという無機質な体を持ちながらも、この薊はイキイキしている。
色素を変化する光が当てられていて、花はいよいよ明るく咲く。しかし光が変化すると少しずつその様子を変えていった。
わたしは単純にこの大きな薊のガラス瓶を綺麗だと思ったのだが、それではすまされなかった。
この薊瓶にはヴィクトル・ユゴーの言葉が刻まれていた。
その理由を教えてもらう。
ガレは人権擁護者として、ドレフュス事件やアフリカの奴隷解放に関わっていたのだ。
そこからユゴーの言葉をここに示したのだった。

二階にはプライヴェートな部屋がいくつもある。
姫宮、若君、妃殿下のお部屋をゆく。
御母として姫宮の部屋には愛らしいモチーフのものを選ばれたのだが、和歌を記した色紙を飾る空間がある。それを見ながらこの室内に飾られたガレの作品を見ると、妙に愛らしさが濃いようにも思えた。

面白いのはポンシフ(意匠型紙)に描かれたジャポニスムのモチーフ。西洋人であるガレがそれらを写すと、どこか奇妙な歪みが生まれ、それが面白くもある。

妃殿下の居間にはガレのデザインした家具があった。
アールヌーヴォーらしいうねりの活きたデザインである。しかしそれらは古色さを見せず優雅な様子をみせていた。
寄木細工による植物のモチーフ。妃殿下という高貴な立場のひとにふさわしい優美さがある。
そしてこの部屋には多面性球体の大きな丸いものがあり、それは植物の膨らみきった母体のようにもみえた。
開くときが来れば四方に新たな生命を飛ばしてゆくような。
照明からの光は花の種の発芽を促しているかのようだった。

次の部屋へ移る前にふと作り付けの棚を見た。何もなかった。
少し前の展示ではここに不思議な仮面が収められていた。忘れられない景色である。
その呪力が強いのか、ここにはガレのガラスの容器は飾られなかった。

小食堂のラジエーター飾りが源氏香を崩したような文様だということに初めて気づいた。
51の紋がそこにある。パターンは二つきり。
そこには菊にカマキリというモチーフの月光色のガラス鉢が置かれていた。
目に見えないたべものがその鉢に盛られ、やさしい手がそのたべものを家族のために取り分ける様子をわたしは、視た。

適度な距離感を保つ展示は美しかった。
建物全体をアールヌーヴォーで飾ったかのようだ。
一方、ガレの側から見れば、やはりここは「ガレの庭」になった場所なのだった。

わたしは坂田靖子の描いた「孔雀の庭」を想う。
19世紀末の英国、美麗な館の最期を見届けるために、そこから外へ出ることを諦めた青年がいる。
邸宅をもう少し生き延ばすために青年は家に伝わるレンブラントの絵を売る。
レンブラントとその家族が描かれた絵で庭に孔雀がいる。青年はその絵を「孔雀の庭」と呼んでいた。
実際この邸宅には孔雀がいて、建て増しに告ぐ建て増しを繰り返した不思議な空間は不意に天空庭園に出ることもあり、そこで孔雀が飛ぶ様子を見ることにもなる。
英国式庭園とは趣を異なる庭園で、不思議な構造を見せる建物同様、その庭も迷路のようにも思える。
庭にはガレのヒトヨダケの花瓶を置くのが似合う、と絵を買いに来た画廊の主人は思う。
この物語はパラダイスの語源がペルシャ語の「閉じられた庭園」だということを教えてくれ、さらには入り組んだ庭園の羊歯の向こうにガレのガラスを置けばいい、と唆しもする。
わたしが知る中で、最も魅力的な邸宅と庭園を描いた作品の一つである。

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新館へ向かった。
通路には外の日差しが燦燦と降り注ぎ、ガラス表面に作られた小さな連続点を波の形に変えていた。わたしはその上を歩く。
足元が波で洗われるような気持ちになる。

新館はガレの作品を一挙に楽しませる設えとなっていた。
わたしは先ほどとは違う心持で整然と並ぶガレの作品を観て歩いた。
純粋に作品を愉しむにはむしろこの装飾のない空間がいいだろう。
しかし、とわたしはひとりごちる。
あの愉楽を味わった身としては、やはり壮麗な空間でこそ味わいたいものだ…

ガレは黒色ガラスを開発した。闇や死を象徴するときにその黒色ガラスが選ばれた。
しかしそれらは決して恐ろしいものではない。ただ、寂しくはあるが。
死や闇となじむことも心には大切なことだ。
わたしはガレの黒色ガラスをみていて村松英子の詩を思い出した。
その詩の最後を挙げる。
「…勇気を出して呼びかけてごらん 遅くなりすぎないうちに こたえは返ってくるだろう きっと あのやさしい死の向こう側から」
ガレの黒色ガラスの欠片は、誰の胸にも刺さっているのかもしれない。

もし「どれか一つだけあげる」と言われたらわたしはどうするか。
「いらない」と答えてしまうだろう。
ガレは一つだけではいけない。
いくつも所有し、なおかつ、その置き場所にふさわしい環境をもたなくては、ガレの作品を所有するわけにはいかない、と思っている。
そうでなければガレのガラスは活きない。
だからわたしは見るだけでいい。

今回の展覧会は、本当に美しいものを愉しむにはどのような場が必要なのかまでを、教えてくれたようにも思う。
とても幸せな気持ちになった。
「ガレの庭」は4/10まで。
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