美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

富岡鉄斎 近代への架け橋

兵庫県美術館で「生誕180年記念 富岡鉄斎 近代への架け橋」展が開催されている。
なにしろ莫大な作品数なので前後期完全入れ替えということで、わたしはこの虎に会いたかったので後期に出かけた。
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クリックすると巨大な虎が飛び出してきそうになります。

土曜は夜間開館日で20時までなのでちょっとゆとりで出かけたら、やっぱりじっくり見れたね。
展示作品の七割くらいは清荒神の鉄斎美術館から来ている。
ほかにも大和文華館、京都市美術館、東博、付き合いの深かった和菓子屋の虎屋から名品がずらり。
名品、というたが、それはもう世間でその作品群が名品だと認識されているからだが、実際のところわたしなどはあんまり鉄斎の良さと言うものがわからない。
これについてはまた例の一つ話を持ちだすが、昔の日曜美術館で「女子供に分からぬ鉄斎の良さ」というのを聴いて以来、そのコメンテーター共々鉄斎がすっかり嫌になったのだ。
しかし悪いのはそいつだけの話だから、現在ではそんなこと関係なしに鉄斎に対している。

展覧会の副題「近代への架け橋」とある通り、洋画家たちは鉄斎の絵に未来を見ている。
だから展示の最後は鉄斎に影響を受けた洋画家たちの作品が並ぶ。

さて膨大な数をみたが、自分が好ましいと思ったものだけしか感想が書けないことをはっきり書いておこう。
わたしは儒者も好かないし文人気質と言うのもわからないし、で、とんでもないことしか書かないので、鉄斎さん、悪ぅ思うてくださるなよ…

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粉本)雉子図 安政元年(1854) 19歳 紙本着色 95.2×30.7 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
特定の絵の師匠を持たなかった鉄斎は粉本主義というか、先人の名品を模写することで腕を磨いたそ
雉が菜の花を見つつ顔を挙げている。巧いとかそうでないとかはわからない。
だが、真面目に取り組んでいることだけははっきりと伝わってくる。

大田垣蓮月肖像 明治10年(1877) 42歳 絹本着色 102.5×43.2 個人蔵
出家した歌人の蓮月老尼に「学僕」として仕え、薫陶を受けたそうである。
彼女を描いた絵と言えば林司馬かな、そのあたりが描いたのを見ているが、どこかぬるりとしたものを感じたが、こちらは傍仕えしただけにリアルな感じがある。耳の後ろに髪があるのもリアルだ。

登嶽巻 明治8年(1875) 40歳 紙本着色 19.2×514.3 株式会社 十一屋
南朝の尹良親王の墓の調査に赴いた帰りに富士山へ出かけたそうだ。
鉄斎は南朝ゆかりの人々を多く描いているが、それは時代の要請なのか個人的思想によるものなのか。
Wikiを丸呑みするわけではないが、この親王を知らないのでちょっと調べた。
なにしろわたしは護良親王くらいしか知らないのだ。
…長くなるのでちょっとやめる。

耶馬渓図・宝珠川図 明治時代 40歳代 絹本着色 各143.8×18.4 碧南市藤井達吉現代美術館
新婚すぐに嫁さん置いて九州旅行してるよこの人。尤もそれで得た感興を絵にしているからまぁいいのか。
川沿いに髑髏型の大岩が三つ並ぶのが面白い。

湖光山色図(琵琶湖図) 明治19年(1886) 51歳 紙本金地墨画 167.5×368.0 一般財団法人 布施美術館
パーッと視界が開く。おお、琵琶湖か!という感じ。石山寺の方向から描いたそうだ。なるほど。

攀嶽全景図 明治22年(1889) 54歳 紙本淡彩 215.7×137.7 大和文華館
大きな絵。富士山。「あかん、仙人になれんわ」という意味のことを横に書いている。

蝦夷人図屏風 明治25年(1892) 57歳 紙本金地着色 各158.7×336.0 個人蔵
これは前にも見たがイヨマンテしている図。鉄斎は別に実見したわけではないそうだ。
イヨマンテと書くだけであの歌声が蘇るなあ。←古すぎる!

楠妣庵図 明治27年(1894) 59歳 絹本着色 140.4×49.6 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
こちらも南朝ゆかりの絵。河内の甘南備にあったそうだ。それが鉄斎の頃には畑になっていて誰ももうここにそんな庵があったことを知らない。鉄斎は一人でその在りし日を描いて追悼・顕彰する。
…という意味の解説があったが、ちょっと調べてみると、明治6年に廃絶された後、大正6年に再興され、今も富田林の甘南備にこのお寺があるそうだ。伊東忠太(!!)により復元されたとある。

太秦牛祭図 明治30年(1897) 62歳 絖本着色 149.0×53.0 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
これは別版もみているが、このお祭りも例の廃仏毀釈のあおりを食って廃絶してもたのを明治20年に鉄斎らが尽力して再興させたそうな。
ぞろぞろとケッタイなお面の人々が牛に乗って登場。
描きながら鉄斎はやっぱり嬉しかったろうなと思ったりする。

盆踊図 明治時代 60歳代 絹本着色 各55.0×71.8 髙島屋史料館
おお、これは好きな作品。時々史料館でみる。右は円舞、左は斜めに動く人々。
右は緑系、左は藍染の浴衣。昔の上方の浮世絵師の風俗画に倣ったそうだが、気軽に見てゐられるよろしい絵ですな。

富士遠望図・寒霞渓図 明治38年(1905) 70歳 紙本着色 各154.7×359.6 京都国立近代美術館
あー、海が真っ白。陸地の隆起したのがよくわかる。
これはどこかドイツロマン派な山と東欧のアニメーションの背景ぽいな。
かっこいい。
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もしかしてこうしたところが鉄斎の近代性なのかもしれないな。
なお寒霞渓は紅葉が赤々。しかしお猿さんはいてません。

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華之世界図 大正3年(1914) 79歳 絹本着色 140.1×41.6 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
「緑が濃い」のではなくほんまに「青」。文人画にだけ南画にだけある青。なんか違う漢字を嵌めたい青。
川と松とがいい感じ。

高遊外売茶図 明治~大正時代 70歳代 絹本着色 132.2×42.2 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
川の前で商売道具おろして一休み中の爺さん。売茶翁。秋ですなあ。商いは秋ないですよ。文句言うてんと働きなはれや。

富士山図 大正7年(1918) 83歳 絹本着色 97.0×227.0 学校法人 樟蔭学園
金地にどーーーんと横長の富士。これは樟蔭学園の創立者・森平蔵から依頼された絵。

不尽山頂上図 大正9年(1920) 85歳 紙本墨画 44.3×68.2 車軒文庫
絵を見たとき、左上の丸いハンコに目が行く。「頂上之印」とあり、左右に口と表の字。よくわからんのだが、これは富士山登山証明の印らしい。鉄斎は明治8年に登頂したそうな。それをここに再現。…こういう字も書けるんだ。←そこかよ。

富士山図 大正13年(1924) 89歳 紙本木炭 45.0×61.0 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
実はこれ、洋画の方の紙に書いてある。
鉄斎の孫娘は洋画家の正宗得三郎から手ほどきを受けていたのだが、そこへふらりとおじいちゃんが来て「面白そうやな」とばかりに自分からその紙で富士山を描いたそうな。ちゃんとぼかしてみたりして、紙や技法を変えてもやっぱり鉄斎らしい絵になるのが面白い。

靖献遺言人物像・南朝忠臣遺像 右隻 明治3年(1870)左隻 明治4年(1871)
35歳 36歳 紙本着色 各165.1×369.0 竹苞書楼 佐々木惣四郎
何も知らずに見てみると歴史上の人物画、特に南朝の人々と中国の高士らかと思うが、これは安政の大獄で師友らを亡くした心の痛み・憤りなどを込めているそうだ。
珍しいほど端正に描いている。

層巒積翠図 明治時代 40歳代 絖本墨画 138.1×40.2 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
ああ、なんかもうこの墨でヒトの手指のような山々がズンズン並ぶのって畑中純ぽいなあ。

普陀洛伽山図 明治20年(1887) 52歳 紙本墨画 158.0×79.5 是住院
やたらと山の中の。山中他界か。

漁樵問答図 明治33年(1900) 65歳 紙本着色 各155.6×361.0 京都市美術館
労働の歓びにあふれた屏風絵。右隻の小舟で煮炊きするちびっこ可愛い。左は網を打ったりもしている。樵は見当たらないが、とてもいい感じの漁師の人々。
どこか蕪村風な味わいもある。

蓬莱仙境図・武陵桃源図 明治37年(1904) 69歳 紙本着色 各178.0×365.0 京都国立博物館 6W
わっ大きい絵。しかしその大きい絵いっぱいの自然の中に、小さいロバに乗る赤い衣の人をみつける。そのことが面白くもある。自然と人と。

十年研錬帖 明治40年(1907) 72歳 紙本着色 各28.0×41.4 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
このノートはいい。楽しい絵がいっぱい。
カラフルな蝶々の群れ、可愛い狸、蝶を噛む猫など。狸は森徹山のを倣ったそうだ。

寒月照梅華図・梅華満開夜図 明治44年(1911 76歳 紙本墨画紙本着色 各150.5×40.8 大和文華館
これは好きな絵で、大和文華館で出るのを割と楽しみにしている。

雲龍図 明治44年(1911) 76歳 紙本淡彩 138.5×51.2 鳩居堂
龍のファンクな顔立ちが可愛い。まん丸の眼に鼻や口。のほほんとした龍だった。

猛虎図 大正6年(1917) 82歳 紙本着色 141.8×53.3 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
顔のアップ。可愛いわ。
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寒山拾得図 大正9年(1920) 85歳 紙本淡彩 143.8×49.8 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
おおおお、若い二人組、なんかもおこれは漫才コンビですがな。
「キミ、いっつも巻物もってるけどソレなんやねん、おれみたいに掃除せんかいな」「この巻物か、これにはなぁ人を操る秘術が書いてあるんじゃ」「アホなこと言うてんと働けや」(ゴソゴソ…巻物を開きなんか唱える、途端に相方、掃除し始める)「どや、威力凄いやろー」
…ええかげんやめよ。

魁星図賛 大正10年(1921) 86歳 紙本着色 131.5×32.4 車軒文庫
これも多く描いていた。虎のパンツの鬼さん。

艤槎図 大正13年(1924) 89歳 紙本着色 90.9×46.2 京都国立近代美術館
ぎ・さ図という。ギは船の装備…艤装のギ。サは筏のことらしい。
巨大蛤のようないかだに乗る父子。鉄斎と仲良しの内藤湖南父子のヨーロッパツアーのために描かれたもののひとつ。内藤父子が日本へ帰る途上で命つきた鉄斎。

群僊集会図 大正5年(1916) 81歳 絹本着色 188.0×71.2 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
これまたカラフルで鹿もいたりする。
こちらはリストの表紙。一部だけトリミング。
嬉しそうに出迎える坊や。
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雪中芭蕉図 大正8年(1919) 84歳 紙本墨画 143.5×39.8 米田春香堂(株式会社米田商店)
雪持ちバナナ図の巻。
仙縁奇遇図 大正8年(1919) 84歳 絹本着色 127.2×35.4 株式会社 虎屋
仙女が下界の男に恋をして罪を問われ、カップルは下界へ十年流されたという話。
夫婦それぞれ虎に乗って出発――

餐水喫霞図 大正9年(1920) 85歳 紙本墨画 191.0×81.0 高野山霊宝館
屋根つきの橋がなかなかいい感じ。
斜めにズーンとある。

嫦娥奔月図 大正12年(1923) 88歳 紙本淡彩 132.6×53.6 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
月宮を背景にニッコリ笑う女。してやったり。

三幅対。
1 瀛洲仙境図 大正12年(1923) 88歳 紙本着色 131.2×53.2 碧南市藤井達吉現代美術館
2 西王母図 大正12年(1923) 88歳 紙本着色 131.0×53.2 碧南市藤井達吉現代美術館寄託
3 福禄寿図 大正12年(1923) 88歳 紙本着色 131.2×53.2 碧南市藤井達吉現代美術館
白い顔の西王母、無邪気なへんな爺さんの寿老人。桃も鹿もあっても妙。

瓢中快適図 大正12年(1923) 88歳 紙本淡彩 132.2×31.8 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
壺中天というよりひきこもりのおっちゃん。

水郷清趣図 大正12年(1923) 88歳 紙本淡彩 130.7×31.0 清荒神清澄寺 鉄斎美術館
ぱっと飛び立ち翡翠。動きのある絵。

好古癖図 大正13年(1924) 89歳 紙本淡彩 131.7×32.7 個人蔵
殷代の青銅器を写生したノート。いいなあ。

資料も大変たくさん集まっていて、面白い。
印が素晴らしいのばかり。印も凄い。呉昌碩、羅振玉らが拵えた…
自分が絵付けしたやきものなどもある。
道八、蘇山、六兵衛など。
また烏帽子などもある。儒者ですからなあ。

最後に鉄斎に感銘を受け、インスパイアされた洋画家たちの絵が並んでいた。
正宗得三郎、鍋井克之、中川紀元、中川一政、前田寛治。
こうしてみると鍋井さんなどは南画を洋画にしましたというような雰囲気があるな。
中川もそう。

そうか、やっぱり面白かったのだなあ。
納得。

最後にこんな気持ち。
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