美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

生誕110年記念 三岸節子 私は燃えつづける in 香雪美術館

昨秋の吉祥寺武蔵野市立美術館からの巡回で御影の香雪美術館に三岸節子展がやってきた。
毎春ここでは女性の画家を特集しているからこの巡回もそれに合う。
前回、三岸節子の熱に全身を焙られ、わたしもまた激しく燃えた。
今回は「まぁ巡回やし」と甘いことを考えていたが、そんな簡単に済むはずがない。
例によって三岸節子の強さ・激しさに燃え上がり、美術館を出たときには目は爛々、意気軒昂、来るなら来い、という状況になっていた。
三岸節子に倣えば「わたしも燃えている」というところだ。
そう、円地文子「私も燃えている」という名作もある。
素晴らしい諸先輩に敬意を表したい。

感想は一部重複するが、なるべく違う作品について書いていきたいと思う。
イメージ (60)
前回の感想はこちら

展示室は一階と二階にある。一階に入った時、明るい一隅に目を向けさせられた。
そこに初期の節子の絵が数点並んでいた。
好太郎の死後に幼い子供らがいることで室内画を制作していた時期の作品ばかりである。
だが、照明のメリハリがこれらの作品を際立たせていた。
隣の部屋から「お母さん」と言って入った時に子供の目に映る風景、そんな様相を呈していた。
日差しが入る室内、明るい気持ちの室内画なのである。
イメージ (61)
青のギンガムチェックのテーブルクロスにライムがゴロゴロ。日常の何気ない風景に見るものは喜びを感じる。

花 1949 これは茶色い花を瓶にいけてるようだが、どうみても茶色い大きな顔の猫がほっぺたをふくらませてその場に立っているようにしか、見えない。可愛いなあ。

1954年になりようやく憧れのフランスへ行くことのできた節子。
そこで作品が非常に力強くなる。

ノートルダム寺院 1955 ああ、凄い迫力。寺院がどんっっとそこに強く建つ。
決して壊れることのない強い建物。
鳥海青児のノートルダムを思い出したがあれとは違う強さがあった。
鳥海のノートルダムはチョコフレークを無限に集めたような厚みがあるが、こちらはそこまで厚くはなくとも自力で立っているような強さがあった。

二つの太陽 1967 まるでエジプトの墓所を描いたようにも思えるが、ここには強い生命力がある。
ハヤブサがとても可愛いのもいい。
たぶんハヤブサイメージ (64)

ブルゴーニュの麦畑 1980 非常に力強い黄色。なんかもう、この麦畑の中を大声を上げながら駆けずり回りたい。

ヴェネツィアの海 1985 今回、この絵に<出会えた>ことが最大の喜びだった。
十年前の展覧会でも見ていたはずだが、記憶がない。たぶん、今のわたしでないと感じ取れない良さがこの絵にはある。
臙脂色を濃く、薄く、海と空に使い、あるところでは臙脂の上にベージュが重ねられ、黒い鳥の群れを載せ、絵の枠外に空も海も続くことを教えてくれる。
異様によかった。
しかしこの絵は印刷物でもデジタル画像でも、本当の色は再現できないのだった。
だから自分の眼と記憶に頼りながらこの先生きてゆくしかないのだ。

花 1989 チラシの力強い花。今まで見ていなかったものを見た。何かと言えばこの花を活けていた瓶の絵。
イメージ (65)
わたしにはこの二人の性別は分からないが、とても魅力的な二人だと思った。


白い花(ヴェロンにて) 1989 こちらも瓶に惹かれた。花は白く、白い壺には騎馬の人が描かれている。アジアのヒトのように思われる。抹茶色の背景も珍しい。
イメージ (63)

太陽賛 1960 素描である。ところで三岸節子はこの絵のように太陽に顔を描くのがマイブームだった時期があるのだが、関西人の悲しさ、わたしはそれを見ると必ずサンテレビのゆるキャラ「おっ!サンテレビ」の太陽なおっさんを思い出すのだった…

彼女の出かけた装幀が並ぶ。「チャタレイ夫人の恋人」「夜のリボン」、雑誌「コドモノクニ」「女人短歌」「婦人之友」…
わたしはショップで彼女の手掛けた装幀・挿絵を集めた図録を購入した。

サクラクレパスを愛用した節子。今回はそちらの作品はなかったが、遺品紹介にサクラクレパス72色セットが出ていた。とても嬉しい。
実はわたしはクレパスをなんとなくまがい物のように思っていたのだ。
だが、サクラクレパスを使って力強い作品を描く洋画家たちの作品を見たことで、遅ればせながらサクラクレパスへの尊敬と愛情が湧きだしてきた。
その恩人の一人がやはり三岸節子だった。彼女の力強さがクレパスで存分に発揮されていることにとても惹かれたのだった。

イメージ (62)

さいたさいたさくらがさいた 1998 この絵を初めて見たのは1999年だった。「ああ、こんな老境に入っても力強く、元気で、そして見事な桜を描いている」と感銘を受けたのだ。それから日を置かずに彼女の訃報を聞いた。
だからこの絵は決してわたしの胸から消えることない。

ここで彼女の言葉が紹介されていた。
「生命に執着し、執念を燃やし」と節子は書く。
「今の私なら描くことができます。」
さくらの「美しさと怖さとを。」

美しさと怖さが混ざり合った見事な桜だった。
桜色の炎を噴きあげて、燃え続ける木だった。
最後の最後まで燃え続けていた画家だった。
ありがとう、三岸節子。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア