美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく

武蔵野市立吉祥寺美術館が「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」という凄い展覧会を開催している。
以前から思っていたのが「萩尾さんの世界は広いので原画展をするには大変だろう」ということだった。
そうしたらSF作品のみに絞っての原画展とは、これは思いもしなかった。
そして見に行くと、この内容の濃さ・厚さ・深さに全身の細胞が沸き立った。
凄い展覧会なのだ。
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初期の「精霊狩り」「あそび玉」といった作品を読む以前にわたしが読んだ萩尾SFは「百億の昼と千億の夜」「11人いる!」だった。
わたしは萩尾さんの作品は「ポーの一族」からではなく、「百億の昼と千億の夜」「11人いる!」から「トーマの心臓」そして「ポーの一族」へと進んだのだ。
そしてSFでは「スター・レッド」をリアルタイムに読んだ。
こうした読者だからやはり萩尾さんの作品ではSF作品に特に惹かれている。

「あそび玉」の原稿紛失と、活版のゲラ刷りから版下をおこし際限のないホワイト地獄の話もここで絵と共に紹介されていた。
70年代のやや丸い愛らしい絵、次の展開へ進むとき、読み手も登場人物同様に視点を動かしてゆく。
そうした力がどの作品にもある。

「11人いる!」の魅力はやはりキャラクターにあると思う。
殺人の起こらないサスペンスとしても上質の作品だし、この作品から少女マンガで長編SFが始まったという方もいる。
なるほど、とわたしも同意しながら改めて発表年度を見ると1975年だったのか。
(前年の木原敏江「銀河荘なの!」はラストになるまで実はSF仕立てだったとは誰も気づけない)
40年前の絵だから確かに古くはなっている。しかしその魅力は全く変わらない。
むしろ今の絵でこの物語を描き直されたりしたらかなり厭だ。

続編の「東の地平 西の永遠」も名作だが、哀しい展開もあるし、やはり「11人いる!」の素晴らしさが群を抜いている。

レイ・ブラッドベリの短編小説を作品化したシリーズも素晴らしい。
ブラッドベリの翻訳される以前の彼自身の言葉や考えがそのまま絵になって動いているように思いながら読んだ。
わたしがブラッドベリ作品を最初に読んだのは小学生の時、怪奇アンソロジー本に掲載された「壁の中のアフリカ」だった。SFホラーの怪作である。
そのあとで萩尾さんの作品を読んで、ブラッドベリへの関心が湧いたので、今日のわたしのブラッドベリ好きは萩尾さんのおかげなのだった。
そうした人を少なくとも数人は知っている。

萩尾さんのキャラの目の色に浮かぶ静かな諦念や絶望や怒り、それらは特にSF作品に顕著に現れていると思う。
原画を見ながらそんなことを考える。

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「百億の昼と千億の夜」
当時のわたしにとってかなり難解だったが、それでもこの作品が好きでならないのは、やはり少女の姿をした阿修羅王の魅力に尽きる。
今も折々に阿修羅王の心のざわめきなどを想う度、わたしの胸も騒ぐ。
後年光瀬龍の原作を読んだが、文章をたどっても浮かび上がるのは萩尾さんの絵だった。
その原画を目の当たりにしたわたしのときめきは大きい。

展覧会では写真可能なスポットがあり、そこでは阿修羅王と「スター・レッド」のセイの二人が並び立っていた。
萩尾さんの全キャラの中でも極めてカッコイイ少女の双璧だと思う。
わたしはどきどきしながら二人をみつめた。

原画では連載初期の荒ぶるセイが展示されていたが、セイ以外のキャラがまた素晴らしくて、特にヨダカのファンとしてはその姿が見たかった。
(帰宅して本を開けよう)

萩尾さんの短編SFの紹介がある。いずれも好きでならないものばかりである。
わたしは萩尾さんの作品は短編を特に推す。
なまじの文学が太刀打ちできない地平に萩尾さんの短編は立つ。
改めてその作品たちの世界観に心拍数が上がる。動悸がするのは萩尾さんが開いてくれた世界に自分が触れているからなのだ。

ところで萩尾さんの絵は1980年代のそれがいちばん好きだ。
「メッシュ」からかなりの変容を遂げたと思っている。
そしてその美麗さと力強さが「マージナル」で頂点を迎えたように思っている。

「銀の三角」はわたしのアタマではあの当時ついてゆけなかった。
今ではどうだろう。挫折してから触れていない。
しかし所々思い出す情景が多いのもこの作品の特徴で、意味も分からずに読んだにしては様々なことを思い続ける作品でもある。

大学になりこの作品の解説を友人たちに頼んだところ、面白いことがわかった。
これは偶然のことなのだろうが、ル=グィンとブラッドベリが好きな派とアシモフ、ハインラインが好きな派とでは解釈が違ったのだ。
そしてどちらも等分に好きな人も解釈が違った。
わたしは前者の方なので、そちらの話は理解できたが、後者の説明がとうとう意味が分からなかった。随分前の話だからちょっと細かいところは忘れたが、完全に混乱したのを覚えている。
ただ、当時このことが非常に興味深く思え、参加した友人らと「あれはなんでだろうね」とその後もしばしば話し合った。

萩尾さんの仕事は多岐にわたる。
小説の表紙絵や挿絵を担当もして、その作品がここに並んでいた。
ロジャー・ゼラズニイ「光の王」 インド風の艶めかしい表現がとても魅力的。
野阿梓の作品もいくつかある。
「兇天使」などはルネサンス期の美麗さを蘇らせたようだし、挿絵も魅惑的。
タニス・リーの作品も萩尾さんの表紙だった。
雑誌でしか再会できない作品もあり、それらがここで展示されているのは本当に有難い。

「マージナル」が登場した。
わたしはこの作品に熱中しすぎて燃え尽きてしまった。
ストーリー展開も絵も台詞もキャラも動きも何もかもが好きすぎて、今も大学時代の友人らと萩尾さんのSFの話をすると言えば「スター・レッド」と「百億の昼と千億の夜」と「マージナル」なのだった。

様々な思い出が蘇る一方で、リアルタイムの読者でありつつ、現在も読み返していることで時間の経過を感じないようになっている。
SFのよいところはこうした所だとも思う。
原画の異様なまでのカッコよさにどきどきした。

マンガ、挿絵、絵本、ポスターは印刷された後が完成品だと思う。
しかしそれらの原画を目の当たりにすることで、完全な姿になる前のある種のナマナマしさを味わえる。
それは得難い愉しみである。

「バルバラ異界」にはたどり着けなかったので、今回初めてその原画を見て、物語の展開を知り、読むべきだったと思った。
ただ、個人的な感傷がある。
「バルバラ異界」を絶賛していた「カイエ」のlapisさんが亡くなられたことが今も忘れられない。
本を読むことでもう一度彼の死と向き合わねばならないことがせつない。

展示替えが始まったそうだ。
わたしはちょっと行けそうにない。
家にある萩尾さんの本を読んで気持ちを鎮めたい。
本当に素晴らしい展覧会だった。
見せてもらえたことにただただ感謝している。
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