美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

国宝 信貴山縁起絵巻展 その1「山崎長者巻」

「国宝 信貴山縁起絵巻」展に行った。
「朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝」という副題がある。
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信貴山は河内と奈良の間くらいにある山で、その歴史と言うと、お寺のHPがこう記している。
「今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。」
だから立派な張子の虎があるわけです。
虎と言えばここと、道修町の張子の虎が揺れる神農祭と、阪神甲子園球場の虎の像がまぁ関西三大虎像かな…と勝手なことを呟こう。

さて聖徳太子から330年ほど後に命蓮上人という方が現れ、彼の起こした数々の奇跡を絵巻にしたものが「信貴山縁起絵巻」
わたしが最初にこの絵巻を知ったのは高校の教科書に載っていたからだが、当時も面白い話だと思った。
授業の中で出た話題の中で、托鉢の鉢がどんどん巨大化してゆくというのがあり、「あっほんまや」と思ったりもした。

あと永井豪のどのSF作品か「手天童子」かな…どれかでこの鉢がUFOみたいだという会話があった。
アダムスキー型をひっくり返したみたいとかなんとか。

次に意識したのが1988年春に集英社から出た「すばる」石川淳追悼号で掲載されていた野坂昭如の追想。
野坂が前年夏、石川淳に今のJAのTVCM用に発句を頼んだ話である。
それで選ばれたのがこの句。
鉢投げて 米俵飛ぶ 秋の空

「ああ、これは信貴山縁起絵巻やな」とすぐにわかった。
当時は古美術はおろか美術そのものにも縁を持たなかったが、すぐにわかったのは習ったからだけでなく、やはり「源氏物語」「鳥獣戯画」「伴大納言」「信貴山縁起絵巻」は一応のことがアタマに入り込んでいたからだと思う。
中でもこの「信貴山縁起絵巻」は面白いから忘れようがなかった。
そして絵巻に描かれた主要なシーンは1999年のサントリー美術館での特別公開展のチラシで学習しなおせたのだった。

さていよいよ展覧会を見ます。
玄関ホールでは俵が空を飛ぶ様子が再現されてますがなw


最前列で見たい人のために縄を張って誘導。これは三巻全部つながる縄。途中からは入れないので、最初から最後まで最前列で見るか・見ないかという選択肢がある。
20分待ちだったので、わたしは先に他の展示を見て回った。
それから戻るとやはり20分待ちだったので、待ってる間に他に見たものの感想をメモメモ…メモリー。
我ながらこれはエエ。

「どんな展開だろう」ではなく、純粋に鑑賞する。
「伴大納言」のようなサスペンスフルな展開ではなく、やっぱりこれは奇想天外で日常逸脱系SFだと思う。とても楽しい。
楽しいのは鑑賞者だけで、「飛倉」の山崎長者は終始真っ青ですが。
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「山崎長者巻」が即ち「飛倉」で、高校の時の授業を思い出しながら詞書などもちらちら読む。やっぱり一度正式に学んでいると(たとえ高校生クラスでも)、現物に触れるとわりに思い出せるものです。(当時「飛倉」の巻と習っていた)
要するに山崎の長者は今の大山崎あたりの人で、油で潤ってるわけです。
大山崎油座。
本宮ひろ志「夢幻の如く 斎藤道三」の中ではそこら辺りを面白く描いている。

いよいよ本体。たいへん綺麗な色・線である。
なお、以下の感想に使う詞書は全て「小さな資料室」様のを参考にさせていただいた。
仮名送りはほぼ避けているが。

油の圧搾で儲かるのはええのだが、絞るだけ絞って倉ぱんぱんに米俵詰めて、ついついうっかりと托鉢の鉢を侮ったもんだから、エライことになってしまうのだ。
そもそも上人自らが来ないで鉢だけ代参なのが気に入らんのかもしれない。
最初は「わーっ不思議じゃのう」だったかもしれないが、そのうち「…本人来よらんと鉢だけ飛ばしくさって」くらい思うようになっただろう。
上人vs商人の心の軋轢があるし、しかも無機物であるはずの鉢が偉そうに、とも思ったことだろう。
で、鉢をほったらかしにして、何も渡さず忘れてそのまま。あまつさえ倉の中に鍵かけて置き去り。
・・・鉢には感情表現は描かれていないが、これはきっと昔の「スーパージェッター」の流星号、「キャシャーン」のブレンダー並みの主人に忠実・命令は必ず実行するタイプの奴に違いない。鉢がただただ上人の法力だけで動いているのなら、上人が「よーし、やってしまえ」と思って、飛び倉システムを実行したのかもしれないが、絵で見る分には上人の意思を酌んで鉢が「やっちまえ!!」だったような気がする。
一旦帰宅して「今日はないんです」というより「持って行ってしまえ!」というところが大好きだ。いいぞ、鉢!!
なんとなく、この鉢は威勢のいい若い奴のような感じがある。
おジイちゃんの上人が大好きで、ご飯を食べさせたい一心。
イメージ (62)

扉を開けて外に出る鉢。
ぐらぐらぐら…ぐりとぐら…
どう見ても巨大化したらしき鉢が一挙に倉ごと持ち上げて、飛んで行ってしまいましたがな!
それを追いかける人々の表現が素晴らしい。
この辺りは「伴大納言」の火事でワーワーとなる人と双璧の巧さ。
面白くてならない。

大慌てで追いかける人々。なにしろこの時代は山とお寺の塔以外は大して高いものもないし飛行機が飛ぶこともないから見晴らしはよく、目標を補足した以上は「どこ行ってん」にはならない。(途中でワープしたら知らんけどやね)
マジメに飛んでゆく倉と鉢。
大山崎から信貴山へ到着。
今の交通なら62kmくらい離れてるそうで、阪急とJRとバスを使って大体1300円ほど。
昔の人は良く歩いたとはいえ一日十里(40km)くらいまでだから…一日半かかって信貴山の命蓮上人のもとへたどりついたようですな。

倉は上人の小ぢんまりした庵から少し離れた林の中に屋根だけ見せている。
絵では上人は別に焦ってもいないから、鉢の奴が帰ってきてドヤ顔したのを見ても「重かったか」くらいしか言うてないような気がする。
それとも確信犯的に「みてみぃ、こうなるんや」…は、ないか。

さて到着した長者と談合。
ここで昔から不思議でならないのが、米俵は返すが倉は返さない、という上人の考え。
これについては高校の時から不思議でならない。
普通は倉は返しますという対応するのではないのか。
いまだにわからない。倉を置くスペースがあるのはいいとしても、何か使いたかったのだろうか。

米俵を返すことになって、長者が「ほなどないしはるので」と訊いたらここでまた鉢が大活躍。詞書をここに挙げると
「この鉢に、米を一俵のせて飛ばするに、雁などの続きたるやうに、残りの米ども、続き立ちたり。また、むら雀などのやうに続きて、たしかに主の家にみな落ちゐにけり。」
という状態になりました。
唖然呆然と鹿もぽかーんと見上げる。可愛い。

長者邸では油絞りの用具とかが見える。油採るゴマは瓢箪みたいなのから採れるのね。
返ってきた米俵にみんな仰天。大仰な様子を見せる女たちの歯がお歯黒だったりするのも面白い。
それにしてもこれも高校の時からの疑問というか心配なのが、帰ってきた米俵、どこにしまうのか。わざわざ倉たてて放り込んでたのに、家の中には入れられませんやろ。
わたし、ほんまこのことが気にかかって気にかかって…
ここでもう一度石川淳の句を挙げる。
「鉢投げて 米俵飛ぶ 秋の空」

ああ面白かった。

長くなりすぎるので、続く。
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