美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

国宝 信貴山縁起絵巻展 その2「延喜加持巻」「尼公巻」

次は「延喜加持巻」。
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詞書を少し挙げる。
「かやうに行ひて過ぐるほどに、そのころ、延喜の帝、御悩重く煩はせたまひて、さまざまの御祈りども、御修法・御読経など、よろづにせらるれど、さらにえをこたらせたまはず。ある人の申すやう、「大和に信貴といふところに、行ひて、里へ出づることもなき聖さぶらふなり。それこそ、いみじく尊く、験ありて、鉢を飛ばせて、ゐながらよろづのありがたきことゞもをしさぶらふなれ。それを召して祈らせさせたまはゞ、をこたらせたまひなむものを」と申しければ、「さは」とて、蔵人を使にて、召しに遣はす。
 行きて見るに、聖のさま、いと尊くてあり。「かうかう宣旨にて召すなり。参るべき」よしいへば、聖、「なにごとに召すぞ」とて、さらに動き気もなし。「かうかう御悩大事におはします。祈りまいらさせたまふべき」よしをいへば、「それはた参らずとも、こゝながら祈りまいらせ候む」といへば、「さては、もしをこたらせたまひたりとも、いかでかこの聖の験知るべき」といへば、「もし祈りやめまいらせたらば、剣(けむ)の護法といふ護法をまいらせむ。おのづから、夢にも幻にも、きと御覧ぜば、さらば知らせたまへ。剣を編み続けて衣に着たる護法なり」といふ。「さて京へはさらに出でじ」といへば、帰りまいりて、「かうかう」と申すほどに、」

ここから絵が現れる。

例の鉢の件は世に広く知られていたようで、概ね世間の評判は「上人、すごいーーー」ということでしたか。
だから命を受けた蔵人が会いに行った時も一目で「うわ、凄そう!」になったわけです。
ところがヒキコモリというか出不精というか、表に出たがらない。
しかし代替案は出る。
・・・今から思えばこのお上人、自分の意思を通すヒトですな。

ここでまた詞書を挙げる。
「さて、三日ばかりありて昼つかた、きとまどろませたまふともなきに、きらきらとあるものゝ見えさせたまへば、「いかなる人にか」とて御覧ずれば、「その聖のいひけむ剣の護法なめり」と思し召すより、御心地さはさはとならせたまひて、いさゝか苦しきこともおはしまさで、例さまにならせたまひにたれば、人々も喜び、また聖をも尊がり、賞であひたり。」
面白いのは絵巻の描き様。普通は←の方向に物語が進むのだが、ここでは逆に→へと進む。
人々が働く里山のその上空を転法輪ごろごろ転がしながら奇抜なファッションの少年が走ってくる。
ロックだぜ、とでも言いたくなるな。
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クリックすると巨大化する。

そのスピードがサーッッッと描かれているのもいい。
ジャリンジャリンと音がしてキラキラ光る抜身の剣を衣服にした少年。
彼が来て、ちょっと帝をのぞいたら、たちまち全快。
少年が病を倒す様子もないが、このスタイルでダーッと走ってきて、ちょっとのぞいたら治ってると言うのは凄いな。

一発で治ったからもぉ帝を始め朝廷大喜び。
「帝の御心地にも、めでたく尊くおぼえさせたまへば、人遣はす。「僧都、僧正にやなるべき。また、その寺に庄などをも寄せむ」といひ遣はす。聖うけたまはりて、まづ、「僧都、僧正、さらにさらにさぶらふまじきこと」ゝて、聞かず。「又、かゝるところに、庄などあまた寄りなどしぬれば、別当なにくれなど出で来て、なかなかむつかしう、罪得がましきこと出で来。たゞかくてさぶらはむ」とて、やみにけり。」
お礼に高い地位を、荘園も贈ると言われても「なりたくないし、こんなところにそんな土地貰ってもヒトは雇わなあかんし、それでうまくゆくかわからんし、めんどいわ」とお断り。無欲なのか強欲なのか面倒くさがりなのかなんだかわからない。
因みにお倉はまだございますのよ。

勝手な妄想が湧いたので書くが、あの鉢とこの護法童子とはどっちが上人のいちばんかを張り合ってると思う。それでどっちも自分だと主張を曲げずに大喧嘩位した可能性、大。

また書くと、あの護法童子が走ってくるとき、♪シャーオリーンシャオリンー♪とリー・リンチェイ(現ジェット・リー)主演映画「少林寺」のテーマソングが鳴り響いているような気がしてならない。
やっぱり高校の時のイメージは強いな。

そして最後に「尼公巻」。
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高校の時に読んだ限りでは、ここでちょっとばかり上人が姉上から叱られてごめんなさいになってるのを見て「よしよし」と思った記憶がある。
いつもいつも偉い人というのは可愛くないからなあ。
(可愛げがあるなしで判断する大阪人の言)

信州から出て来て弟を探す姉。もう老齢だが姉弟のきずなは消えず。
この姉弟の生き別れと再会という所に妙に惹かれる。
2人がいたのは延喜帝つまり醍醐帝だが、その醍醐帝の子でありながら山に捨てられる王子と、髪が逆立つことを悩んで狂人となり流浪する姉姫がいたという物語がある。
逆髪と蝉丸の姉弟の生き別れと再会とがそれである。
わたしにはどうかするとこの姉弟とこちらの姉弟が薄くダブるときがある。

さて老尼が訪ね歩いても誰もその「命蓮」を知らない。
鉢飛ばしで帝の病も治した上人と、この老尼の弟の「命蓮」が合致しないのか、単に庶民は何も知らぬのか。
「さすがに廿余年になりにければ、そのかみのことを知りたる人はなくて」
今高名な上人も20年前の昔は知られていない。
どこかに泊まることも出来そうになく、東大寺の大仏殿の前でぐったり。
昔から願い事・尋ね事は神仏に訊く慣わしがあるので、おすがりすると、早速有難いことに夢に佛が現れる。
ここでは異時同時図。老尼が階段周辺でうろうろする様子が一目で見て取れる。
時間の経緯もよくわかって巧い。
「夜ひとよ申して、うちまどろみたる夢に、この仏の仰せらるゝやう、「この尋ぬる僧のあるところは、これより西のかたに、南によりて、未申(ひつじさる)のかたに山あり。その山に紫雲たなびきたるところを行きて尋ねよ」と仰せらるゝと見て、さめたれば、あか月になりにけり。「いつしか疾く夜の明けよかし」と思ひて、見ゐたれば、ほのぼのと明けたるに、未申のかたを見やりたれば、山かすかに見ゆるに、紫の雲たなびきたり。嬉しくて行く。」
今ではどうか知らないが、東大寺から信貴山が見えたわけですね。
そちらへGO!

ここでわたしの記憶の錯誤なのか深読みなのか希望なのか、今見たら別に命蓮も叱られていないなあ。おかしいなあ。
寒いでしょうと優しい姉さんがお土産にくれたのは下着。手造りヒートテックのプレゼントに弟大喜び。
そして最後の詞書がいい。
「鉢に乗りて来たりし倉をば、飛倉とぞいひける。その倉にぞゝの衲の破れは納めてありける。その破れの端を露ばかりなど、おのづから縁にふれて得ては守りにしけり。その倉も今に朽ち破れてその木の端をも露ばかり得たる人は守りにし毘沙門つくりたてまつりてその倉の木の折れたる端などは請ひけり。」

あの飛び倉、一応使われてたらしい。巨大な箪笥。
お姉さんから貰った手製のヒートテックをそこにしもてたから。
しかしほぼ何も使わなかったから、倉としての機能も活きないまま朽ちてるなあ。
とはいえ、朽ちても転用されたようで、そういうのが好きだ。
花咲か爺さんのポチの転生、古代の大木から作られた「枯野」などなど…

とりあえず姉弟で仲良く同居。庵の下の石段などが丁寧に描かれているのもいい。
きっと鉢は姉弟のため今まで以上に頑張って空を飛んで托鉢に勤しんだことだろう。
楽しい絵巻だったなあ。
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