美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

生誕140年 吉田博

待望の吉田博展が現在千葉市美術館で開催されている。
5カ所を回るそうだが関西には無縁なので千葉市へ向かう。
そもそも版画関係の展覧会はやはりここで見るのがベストなので、喜んで出かけた。

数種あったチラシのうち。
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出かけて最初に大量の洋画・水彩画が並ぶのに少なからず驚かされた。
そうだ、吉田博は洋画家で売り出したのだった。
自作を持って義妹のふじをと2人、極東から来た兄妹として欧州などを経巡り、展覧会で絵をたくさん売って旅を何年も続けたのだ。

彼ら兄妹のことは漱石も自作に記していた。
「三四郎」の中での話。
3年ほど前にそのことをここで書いている。

世界を旅していた頃の兄妹の写真がある。
ふじを、とても楽しそう。白いドレスの彼女が機嫌よく笑っている。

わたしはこの時代の吉田博とふじをの二人を想う時、谷山浩子の「休暇旅行」という歌が必ず脳内再生される。
茫漠とした長い時間、果てのない広い陸をめぐる2人。
歌の中ではその二人は76億年の旅を続けているのだが、実際には吉田博とふじをの旅はそんなにも長くはない。
長くはないが、ついに<旅>は二人の遺伝子にも入り込み、後年、安住しつつ、生涯をある種の旅に費やした。

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1. 不同舎の時代 1894-1899
まずは旅に出る前の水彩画などを見る。
「みづゑ」の時代。
やさしい絵が多い。京都の風景もいい。
みずみずしい。
山の絵も多い。そう、吉田博は登山家でもある。
日本画家で山を愛し山岳図を多く描いたのは山元春挙だった。
同時代の二人がこうして山に目を向けているのは素敵だ。

篭坂 Kagozaka 明治27-32(1894-99)年 水彩、紙 34.5×51.0 静岡県立美術館  どの辺りにあるところなのかしらないが、宿場町の様子がいい。多くの馬や人が一休みしている。雪が多く残る。一膳飯屋、うどんのある店。抒情的なその良さに惹かれる。
イザベラ・バードが喜びそうな場所である。

東照宮、日光 明治32(1899)年頃 水彩、紙 100.0×67.5 栃木県立美術館  立派な門だということを改めて想う。ゾウさんの木彫。行きたい。小杉放菴、五百城文哉の日光を想う。明治半ばの日光、ある昼下がり。

雲井桜 明治32(1899)年頃 水彩、紙 49.5×67.5 福岡県立美術館  この絵は以前から好きな一枚で、どうしてか長らく版画だと思い込んでいた。
吉田博が版画をするのはもっと後年なのに、版画のような抒情性がにじむからだろうか。
いや、抒情性というのはちょっと違うか。
夜、枝垂桜の美しいのの傍らに女たちがいる。水色に近い宵闇の中で。

2.外遊の時代:1900-1906
明治32年1899、アメリカ丸で渡航し、デトロイトで幸運に出遭った。多くの絵が売れ、次のボストンでもよく売れた。中川八郎という人と二人展。その当時の写真もある。

村の橋 明治35(1902)年頃 水彩・鉛筆、紙 34.3×51.3 福岡市美術館  日本的抒情が横溢する風景画。

鳥居の下の人々、花咲く日本の村 (明治後期) 水彩、紙 15.7×26.1  雨に濡れる躑躅。こういう風景は西洋人が好きなのだよなあ。

宮島 (明治後期) 水彩、紙 49.8×33.4  太鼓橋を上ろうとする子供ら。向こうから来る人、下駄を脱いで裸足で上る子供らの元気の良さ。

ああ、やはり西洋人の好む明治日本風景だ…
そして海外の風景が現れる。

チューリンガムの黄昏 明治38(1905)年 油彩、板 31.0×45.9 福岡市美術館  マサチューセッツの青い夜。ぽつんと一つ灯りが遠くに見える。
日本画家で抒情的な作品の多い川崎小虎にもこんな絵がある。
フランスのアンリ・ル・シダネルにもある。
和やかな黄昏時。淋しさよりも静かな心持になる風景。そしてそれはある種の諦念にも似ている。

フロリダの熱帯植物園 明治39(1906)年 水彩、紙 35.5×50.5   明るさが何より嬉しい。遊びに出かけたくなる植物園。東南植物楽園とは違う、湿気のなさ。熱帯植物園と言っても、からりと晴れ上がった空の下で生きるとイメージが変わる。

ロイヤル・ポインシアナ・ホテル Royal Poinciana Hotel 明治39(1906)年 水彩・鉛筆、紙 35.5×51.0  白亜のお城のようなホテル。調べたらマイアミにあるので、描かれたのはそこだろうか。とても素敵。
古写真を見ると多分ここに間違いない。
ああ、お茶をしに行きたいな。
シンガポール、ハノイ、それからいくつかの熱い国のホテルで心地よくハイティーを楽しんだことを思い出した。富士屋ホテルでのランチ、万平ホテルの一休み時間、素敵なホテルに共通する心地よさ…
絵を見ながらそうした記憶を呼び起こされ、ただただ気持ちよくなる。

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3. 画壇の頂へ:1907-1920 
吉田博は中村不折らのいる不同会のメンバーだった。
日本の洋画界には黒田清輝率いる白馬会があり、到底相容れない様相を示していたらしい。
なんでも噂によると吉田博が黒田をシバいたとかなんとか。

堀切寺 明治40(1907)年頃 油彩、カンバス 44.5×75.0 福岡市美術館  靄がかかったような画面の中に碧と翠とがあり、花菖蒲とも杜若ともつかない花が咲いている。
夢から覚めたときに思い出す光景、そんな絵。

吉田博は旅をする。
国内もよく歩く。
越後、別府温泉、瀬戸内、信州、穂高、槍ヶ岳、琉球…
中でも高山の中の一部を切り取ったような絵は登山で有名な小島烏水の旧蔵品だったそうだ。そんな情報が嬉しい。
小島は吉田博の山岳の絵を見ながら自分の歩いた山を思い出していたに違いない。
こんな心の動きを想像することが出来る絵は素敵だ。

自邸を飾る絵もある。
槍ヶ岳と東鎌尾根  大正9(1920)年頃 油彩、カンバス 82.5×42.0 二枚の連作。
バラ  大正9(1920)年頃 油彩、カンバス 149.8×49.0  六枚の連作。
季節により掛け変えるそうだ。
素敵なインテリア。

本当に山が好きなのだと知らされる。
息子に「穂高」と名付けたところにもそれが現れている。
槍ヶ岳や剣岳の絵や写真を見ると、様々な苦労を重ねた先人のことを必ず思う。

青銅器とバラ 大正3(1914)年頃 油彩、カンバス 72.7×60.6  これは西周の頃の青銅器風だな。絨毯の上に置かれ、バラがそこに。

ステンドグラスの窓 大正10(1921)年 油彩、カンバス 80.7×60.7  重厚な洋画。光はないがその暗さ故の重さがいい。かっこいい。

別府近郊 牧童図 不詳(大正期か) 絹本墨画淡彩 112.5×36.3  なかなかハンサムな少年。そして牛がきりっとしている。

4. 木版画という新世界:1921-1929
いよいよ木版画が現れた。
これが見たくて来たのだ。
洋画は東博にある「精華」がベストだが、版画はなにもかもがいい。
随分前に名古屋のボストン美術館で「吉田博全版画集」という分厚い画集を見た。
あれは欲しいと思ったが、到底手が届かない。
なおその本の表紙は今回のチラシのこれと同じ作品。
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渡邊と組んだ仕事は8本だそうで版木が焼けてしまった後、私家版に心血を注いでいる。
それがあまりに素晴らしく、洋画も水彩画も他者の作品だと思ってしまうほどなのだった。

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帆船の様々な時間帯の様子。形は同じもので色を変えて表現している。
本当に見事だ。

アメリカや欧州のシリーズものもいいのだが、それよりも圧倒的にいいのは日本及びアジアを題材にしたものが非常に優れていると思う。

日本アルプス12題という連作などはもう山岳の良さを堪能できるだけでなく、ふっと愛らしい花や野鳥で和む。
東京12題の良さももう誰にでも喧伝したくなる。
川瀬巴水とはまた異なる表現。
欧米とは違う湿潤な気候が風景に抒情性を与え、そこに強く惹かれる。

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5. 新たな画題を求めて:1930-1937
インドへの旅は豊饒だった。

ラクノーのモスク  昭和6(1931)年頃 油彩、カンバス  白と金で構成されたモスクは正教会風にもみえる。水面に映る姿もいい。

イト、マト、ウッドウラーの墓 Tomb of Itmad-ud-Daulah 昭和6(1931)年頃 油彩、カンバス 45.5×60.5  白い建造物がある。それが墓なのか。どこか不思議な風景にも見える。

ラングーンの金塔 印度と東南アジア  昭和6(1931)年 木版、紙 24.8×37.5 千葉市美術館 赤と金の輝きがみごと。

連作「印度と東南アジア」があまりに素晴らしいのでアタマに綺麗きれいキレイとしか言葉が浮かばない。。
その地を描いた作品群の魅力の大きさには絶句するばかりだった。
ベナレス、アジャンタ、ウダイプール、エロラ、マデュラ…
どの都市も吉田博が表現する以上の美は見いだせないように思う。

タージマハルの前景を描いた連作の魅力が深い。
これも配色を変えることで朝から夜中までを細かく表現している。
6つの時間を楽しむことが出来るが、どの時間もいい。

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日本各地の桜を追った「櫻八題」もいい。
三溪園、弘前城、嵐山といった桜の名所の他に地名を挙げぬがわかる円山公園の枝垂れ桜、知恩院の楼門などもあり、見ている自分の上にも桜が降るようだった。

陽明門 これなどは96度も摺って完成させたという。正気の沙汰ではないところにこそ美が活きる。

朝鮮・満州のシリーズもよかった。
憧れが募るばかりだ。

6. 戦中と戦後:1938-1950

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溶鉱炉 Blast Furnace 昭和19(1944)年 油彩、カンバス 116.5×80.1 東京藝術大学  炎が素晴らしい。溶鉱炉の凄まじい存在感。怖いようだ。
実はわたし、新日鉄広畑の見学をさせて貰ったことがある。溶鉱炉の様子をまともに見た。
素晴らしい光景だった。あれを想いながらこの絵を見て、ますます惹かれた。

戦闘の絵もあるが、勇ましいというよりやはり綺麗だった。

吉田は接収されかけた自邸をアトリエなので困ると直談判した。達者な語学力で話が進み、彼の自邸は接収を免れただけでなく、多くのGHQのファンのサロンともなったそうだ。

近年の、というより初めての吉田博の集大成の展覧会だった。
素晴らしい。
ああ、思い出すだけでときめきの余韻がそこここからにじみだす。
いいものを見た。
また見たいと思っている。
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