美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

大阪市立美術館へ「王羲之から空海へ」展を見に行った。

大阪市立美術館へ「王羲之から空海へ」展を見に行く。
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行く前に非常に久しぶりに東梅田のyamatoで洋食のランチをおいしくいただき、「美術館の地下の『榴樹』でお茶しよ♪」と計画を立てて、天王寺へ向かった。
天王寺公園の様相は非常に変わり、あのフジョシ心をときめかせてくれていた二人の男性像は消え、ちょっと不気味やんと思っていた動物型刈り込みもなくなり、「てんしば」とかいう全然芝生のない広場にいくつかの新しい食べ物屋が開いているばかりだった。
それでもまぁ「フェルメールの小道」だったはずの道を行くと黒田藩の藩邸の門だったかな、あの前に出た。そしたらすぐに見えるはずの『榴樹』の看板が見えない。
わたしだけでなく初老のご夫妻も呆然と立っている。
そうするといつのまにやら有料になっていた慶沢園の受付の人が「11月末で閉店されたんですよ…」
が゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛―――――――んっっっっっっっ
なんてこったい!!
好きだったメニューがもうなにもかも食べられなくなったとは!!!
こんなてんしばとかいうもん拵えたからというて、レトロ感満載で、雑誌にも素敵なスペースのレストランとか紹介されてたみんなの憩いのレストランが殺されるなんて――――

結局その衝撃から立ち直れないまま展示を見たので、あんまりアタマに入ってこなかった。
そしてその閉店の事と展覧会の事を呟いてもレストラン閉店の事への反応は色々あったが、展覧会の事についてはなんにもなかったな…

いい展覧会なのだろうけど、そのショックがやはり大きくて、当分の間ここには来たくないと思うくらいだった。
とはいえ6月のコレクション展はよさそうなので行くことになるが、ほんまにがっかりです。知らん間にこうして大事なものが奪われてゆく…

ごくごく簡単な感想をちょこっとだけ挙げます。
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展示室に入ると結構な人出で、しかも老若男女の差もなく真面目に鑑賞していた。
カプで来てはる人らもグループの人らも、みんなゴクゴク真面目に熱心に書を鑑賞している。時々右手が何気に動いているのはあれは書く練習をしているな…と見当をつける。
大概その展示と無関係な噂話をする人々というのは一定数存在するものだが、ここにはそれはいなかった。
聴こえてくる会話と言えば「このハネはちょっとナマクラなのでは」「いや逆に鋭すぎてそう見えるのでは」「肥痩が利いてて」「濃淡が」…
ほんまかいなと思いながらわたしもケースに近づく。
若い子らは「とめはね」の影響があるのかもしれないし。
要するに、この場内で一番展示に身が入らないのはわたしらしかった。

王羲之の本物はないが、それでも現物を見た当時の人が写した書などはとても人気で、そちらに近づくのは至難の業だった。
数年前、東博で王羲之の展覧会があり、書もいいが彼の逸話とかヒトトナリなども紹介されていて、楽しく見て回った。
当時の感想はこちら

そういえば「楽毅論」などは天平の昔の光明皇后が書いたものが、今の世に残る。
蘭亭序も無限に写されて…

わたしは唐代と宋代の書が特に好きだ。楷書が本当に好きで、見ていると普段はダラケタわたしなどでもちょっとばかり背筋がまっすぐになる。
南北朝から唐の写経はいいものが揃っていた。

虞世南 孔子廟堂碑(臨川李氏本)  唐・貞観二年~四年(625-30) 東京 三井記念美術館  そうそう、どういうわけか昔からわりと虞世南が好きだ。この書も好ましく見た。
彼はやはり王羲之に憧れた人だそうだが、多くのヒトの中にあっても特によい字を書いていると思う。

蘇軾、黄庭堅、米芾ら北宋の人々の書の前に来ると、ある種の軽やかさを感じ、いい心持になる。
唐もそうだが北宋もまた文明の極限に至っている。
そして他民族の侵略を受けて衰退し、やがては滅びる。
その滅びる寸前の絶頂期の美しさというものがただならぬ輝きを見せるのだ。

元の時代では趙孟頫の四種の作品が紹介されていたが、いずれも非常に良かった。
蘭亭十三跋 元・至大三年(1310) 東京国立博物館
仇鍔墓碑銘 元・延祐六年(1319) 京都 陽明文庫
与中峰明本尺牘 元・十四世紀 東京 静嘉堂文庫美術館
致中峰和尚尺牘  元・十四世紀 台北 國立故宮博物院
これまで全く意識していなかった人の書だが、ああ、いいなあ。さらっといいな。たまたまか、この四点ともサイズもいい。

明もまた文明・文化の極致を味わう時代だった。
祝允明 臨黄庭経 明・成化二十二年(1486) 三重 澄懐堂美術館  元のが好きなところへこちらはまたやや小さい字で書くから可愛らしささえ感じる。

文徴明の書の良いのが四点もある。
この人は去年大和文華館「蘇州の見る夢」展で山水図を見ている。
その時の感想はこちら

ついでに言うとその前にも「橋本コレクション中国書画/中国山水画の20世紀」展でもそれを見ていて、全く同じ感想を懐いている。
その時の感想はこちら


草書千字文 明・嘉靖八年(1529) 台北 國立故宮博物院  草書はあんまり好きではないが、これはこれでかっこいい。流れるように「天地玄黄…」

楷書史記刺客列伝 明・嘉靖十一年(1532) 三重 澄懐堂美術館  16〼1列で刺客列伝が綴られている。どきどきした。これはもう読める範疇のものなので、非常に熱心に読み耽った。文字そのものは優しく丁寧なのだが、わたしはついつい内容にときめき、その書の向こうのドラマを見ていた。
聶政の自害…顔皮剥ぎと内臓のばらまき、豫讓の隠し持つ匕首、そして荊軻の話。
久しぶりに全文が読みたい。
思えば荊軻の物語は「男組」で知ったのだった。小学生の頃の話。

自書七言律詩 明・十六世紀 台北 國立故宮博物院  流れるような書。それにしても長いな。とはいえ墨の色もいいし、素敵。

行書前後赤壁賦 明・嘉靖三十七年(1558) 台北 國立故宮博物院  絵が見えてくるような書。

そうそうこちらも良かった。好悪を越えたよい書。
徐渭 赤壁賦 明・万暦二十一年(1593)  かっこいいわ、強くて。

時代から行くと次は明末から清なのだがそれは飛んでラストに来た。
日本の書へと向かう。
そういえば先年の「和様の書」はいい展覧会だったな。
実は3回も感想を挙げている。とりあえず最初のがこちら

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金光明最勝王経 巻第三・巻第四 奈良・八世紀 奈良国立博物館  ここにも「不惜身命」の文字があった。

賢愚経残巻 奈良・八世紀 兵庫 白鶴美術館  力強くていいなあ。そういえば先日もこのお仲間を見たところだ。

竹生島経(法華経 序品) 平安・ 十一世紀前期 滋賀 宝厳寺  特に綺麗な拵え。
書そのものより全体に惹かれる。

空海の書もある。三蹟も。このあたりは紙そのものがまた素敵で、そちらに目を奪われることの方が多かった。
遠目からでもわかる石山切や熊野懐紙など好きなものも色々。
一休、慈雲尊者、白隠ら僧籍にある人々の墨蹟。
そして大好きな三藐院近衛信尹の「檜原図屏風 いろは屏風」や光悦と宗達のコラボものなどなど。

見るべきものはいくらでもあるものですなあ。
最後に明末から清初。
王鐸 臨王渙之二㛐帖 清・順治七年(1650) 徳島県立文学書道館 「道」の字の良さにシビレた。そう、わたしはこの字が好きで、この字が佳ければ全てよしとヒイキにしてしまうのだった。

突然自分の目に飛び込む文字がある。
文字に引っ張られるのだ。
だからそれには決して逆らわない。

最後に非常に面白い書を見た。
傅山 嗇廬妙翰 清・順治九年(1652)頃 台北 何創時書法藝術基金會  色んな書体を使い分けている。可愛いのから変なのまで。こういうのも楽しい。

5/22まで。
 
見終えていい気持ちになったのに、そんなわたしを寛がせてくれる場所が無くなったのだなあ…本当にがっかり。
もう慶沢園も有料になったし、もう今後は天王寺公園にいる時間はなるべく少なくして、通過点の一つにするしかないな。残念。
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