美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

オルセー、オランジュリー所蔵 ルノワール展

ルノワール展が3か所同時に開催されている。 京都市美術館「光紡ぐ肌のルノワール」展~6/5、名古屋ボストン美術館「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」展~8/21、国立新美術館「オルセー、オランジュリー所蔵ルノワール」展~8/22である。 いちばん遠い場所のルノワール展へ行った。 イメージ (31) 国立新美のルノワール展は書かれている通りオルセー美術館とオランジュリー美術館の所蔵品で構成されている。 どちらも訪ね、絵葉書をたくさん買った思い出がある。 京都と名古屋はまた別構成でこちらも豊かな展覧会だときくが、日本に今どれだけの数のルノワールの名品が来ているのかを思うと、日本人のルノワール好きというのは凄いとしか言いようがない。 また、こうした特別展だけでなく常設でもっているところを数えると…日本でのルノワール愛率の高さに改めて感心する。 とはいえ、これはある程度以上の世代までではないかという危惧をちょっとばかり持っている。 今の二十代の人は江戸絵画の方が好きだと言う人が多いし、果たしてこの先どうなることか知れたものではない。 だが、ルノワールを知らない人がいても、その絵を見ればやはりある種の幸福感(むしろ多幸感)を懐く人は少なくないだろう。 幸福とは本来抽象的なものであるのだが、それを可視化したのはルノワールだと言っていいと思う。 と、理屈をこねたが要するに「ルノワールを見てキモチよくなろう!」ということでいそいそと国立新美へ出向いた。 今回来ている大概の絵はよく知られているものなので、これはもう特に好きなものを称賛するだけになると思う。 Ⅰ章 印象派へ向かって 猫と少年 1868年|油彩、カンヴァス|123.5×66 cm オルセー美術館   イメージ (35) いきなりこの絵から始まって、ドキリとした。 ルノワールの作品中、ある意味最もあぶないエロティシズムを感じさせる絵である。 白い背の美しい少年が猫と寄り添い、陶然とした目をしている。 その様子を見てときめくのは、少年の裸体の美しさと猫という存在の甘やかさが、見る側をそっ と刺激するからだろう。 こうしたとき、わたしは自分が少年愛を至上のものするfujoshiであってよかった、と心底思うのだ。 猫は白地にキジのネコだが肉球が黒く、尻尾も少し曲がっているので、ちょっとばかり暴れん坊の性格だと思う。それがこんなにも少年に甘えて凭れかかっている。しかも少年の腕を抱え込んでもいる。 猫はよく知っているのだ、自分を甘やかしてくれる人のことを… 賢そうな眼をした少年は猫ではなくこちらでもないどこかを見ている。いや、確実な何かを見ているわけでもなさそうである。 視線が向う先に何があるのかを思う必要はない。少年が目を開けてどこかを見ている、それで十分なのだ。 猫の乗る丈の高い炬燵のようなものはまず緑のベルベットのような布が敷かれていて、猫はそこでくつろぐ。黒い一重のレースが回っている。 その下には白地に青い花柄(いかにもルノワールの好きな色柄)の布が長く周囲を覆う。 炬燵カバーには不向きな春向けの柄である。その布の色と少年の膚の青白さは呼応する。 少年の膚、その手触りを想う。バロックの真珠のような手触りを想像する。 背後の静かな闇の中で光る膚に、いつまでも魅了されている…。 陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)1876年頃|油彩、カンヴァス|81×65 cmオルセー美術館 こちらは血の気の通う肌である。触ればしっとりした質感があり、つねれば小さく内出血もするだろう。草木の色が光に反射してこの娘の肌に落ちる。いちばん色が濃いのは顔で、後の肌は日に晒すことはあまりしてこなかったようだ。腰の周囲に巻きつけた布はやはり白地に青の花柄。 イメージ (33) Ⅱ章 「私は人物画家だ」:肖像画の制作 わたしは現在「実はルノワールは人物表現はリアリズムなのではないか」と思っている。大体どの時代でも人物は誰を描いても「ルノワールの描く人物」なので、当初は「ルノワールは似せる気がなく誰でも自分の絵にするのではないか」と思っていた。 だがあるとき、描かれた人々の写真を見て、そうではなくルノワールは見たままの人物を描いているのだ、と確信した。 息子、奥さん、モデルなどなど。そのままルノワールの絵画人物の様相を呈していたのだ。 特に息子の映画監督ジャン・ルノワールなどはもう本当にパパの絵から抜け出たようなヒトだった。 ・・・もしかすると描かれた人はみんな最初は違う顔だったのに、描かれたことでルノワールの人物に変わってゆくのかもしれない。 クロード・モネ(1840-1926)1875年|油彩、カンヴァス|84×60.5 cm オルセー美術館 モネとルノワールは仲良しさんで一緒に絵を描いたり同じものを描いたりしていた。 だから京都市美術館がモネとルノワールの特別展を同時期に開催したのは非常にいいことだと思った。 そのルノワール描くモネさんはまだ若いからかハンサムで、髭の黒いのも感じがいい。 35歳のモネ。モネは室内で絵描き中。カーテンは白のレース物と黄色地に花柄のものが束ねられていて、室内には柔らかな光が差し込んでいる。観葉植物もある。そして窓は乳白色にけぶっているが、ここでちょっとした疑問を懐いた。このカーテンは窓のためではないのか。モネのためのカーテンなのか。 パレットからはどんな配色のものが生まれるのかまだ想像が出来ない。 読書する少女 1874-1876年|油彩、カンヴァス|46.5×38.5 cm オルセー美術館 白い頬をバラ色に染めてまで熱心に読む本はどんな内容なのだろう、なにを読んでいるのだろう。 この少女は気の毒に早くに亡くなったそうだ。しかしこうして絵の中では永遠に生きている。 そういえばルイ16世の時代、多くのポルノ小説が世に出ていたそうだ。 18世紀半ばでは詩は読んでもいいが小説を読むのはよくないというのが<たしなみ>だったというし。 この娘がなにを読んでいるのかちょっと気になる・・・ Ⅲ章 「風景画家の手技メチエ」 イギリス種の梨の木 1873年頃|油彩、カンヴァス|66.5×81.5 cm オルセー美術館  牧歌的な情景のようにも見える。大きな梨の木の下にいる男と女。青々とした緑が画面の大半を覆い、空が優しく白い雲を止める。道は途中で消え、ここで終わる。 どんな梨がなるのか、そんなことを想う。 草原の坂道 1875年頃|油彩、カンヴァス|60×74 cm オルセー美術館 この絵を見て最初に思ったのは「ジャン・ルノワールの映画のよう」だった。 映画『ピクニック』、それを思い出す。 以前に「ルノワール+ルノワール」展という画家の父と映画監督の息子の仕事を紹介する展覧会があった。あれはよかった。 当時の感想はこちら。 黄色めの草原への道を楽しそうにやってくる人々。ルノワールのごく親しい人々。 歌でも歌っていそうである。赤い花が所々に咲いている。 Ⅳ章 “現代生活”を描く ぶらんこ 1876年|油彩、カンヴァス|92×73 cm オルセー美術館 この絵もとても人気が高く、近年のオルセー展でも来ていた。今回いつもと違う目で見てみると、妙な妄想が湧きだしてきた。 ブランコに乗る娘は誰を見ているのかわからないが、男に自分を見せている。そしてその娘を見る後ろ姿の男を、木陰の男がじっ と見ている。「ウホッいい男」とは言わないだろうが熱心にその男をみつめている。 そしてただ一人ちびっ子だけが「順番まだかな」と待っているだけなのだ。 ブランコはフラゴナールの頃から色っぽい絵となり、仇英はブランコで遊ぶ官女たちを描いた。 ブランコを巡る視線についてもいろいろと思いを馳せてしまう。 アルフォンシーヌ・フルネーズ 1879年|油彩、カンヴァス|73.5×93 cm オルセー美術館 レストランの娘さんだという。赤いリボンのついた帽子がよく似合う。青白い服もいい。 ルノワールは暖色系だけでなくとても青を多く使う画家なのだ。 他の画家の作品や息子の映像も流れる。 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)アルルのダンスホール 1888年|油彩、カンヴァス|65×85.5 cm オルセー美術館 妙に浮世絵風なところが面白くもある。輪郭線くっきり。人々は大人しい。 ジャン・ルノワール(1894-1979)フレンチ・カンカン 1954年|映画|ゴーモン 「ナナ」の方は見れなかったが、景気よく・威勢よくフレンチ・カンカンするお姉さんたちをたくさんみて、こちらも楽しい。 「恋多き女」は色彩設計が面白い。 ウジェーヌ・カリエール(1849-1906)舞踏会の装いをした女性 制作年不詳|油彩、カンヴァス|100×81 cm オルセー美術館 セピア色の画面構成がカリエールだということを遠くからでも伝える。若くない、面長の女の姿。そうだ、舞踏会というものはなにも若い男女のための出会いの場というだけではないのだ。 今回数十年ぶりに共に来日したのがこちらの二点。 田舎のダンス 1883年|油彩、カンヴァス|180.3×90 cm オルセー美術館 都会のダンス 1883年|油彩、カンヴァス|179.7×89.1 cm オルセー美術館 イメージ (32) 田舎は嫁さんになるアリーヌに木綿のドレスを着せて踊らせ、都会はヴァラドンにシルクドレスを着せて踊らせる。 比較。これを見たとき、ニュアンスは全く違うが山本薩夫「ああ野麦峠」冒頭シーンを思い出した。豪雪の野麦峠を藁の編んだのを履いた少女らが必死で上る様子と、鹿鳴館でダンスに興じる婦人たちの綺麗な靴。 Ⅴ章 「絵の労働者」:ルノワールのデッサン デッサンの段階から、描かれた対象がどんどん<ルノワール化>してゆく… それを目の当たりにしたように思う。 海景、ガーンジー1883年|油彩、カンヴァス|46×56 cm オルセー美術館 この時代はまだヴィクトル・ユーゴーが島にいた頃かな。 Ⅵ章 子どもたち ルノワールの描く子どもたちが大好きだ。幸せそうなところがいい。 これは浮世絵の子供ら、応挙の描く唐子らと並んで、三大にこにこチルドレンとでも言えばいいのかもしれない。 ピエール・オーギュスト・ルノワールとリシャール・ギノ(1890-1973)ルノワール夫人 アリーヌ・シャリゴ(1859-1915)、画家の妻1916年|彩色された漆喰の胸像 82.4×53×34.5 cm|オルセー美術館 かなり巨大な感じのする彫像である。だが、怖くはない。むしろ誰でものお母さん、といった優しい感じがする。つまり見るものは幼児になり、この巨像に甘えたくなるのだ。 ジュリー・マネ あるいは 猫を抱く子ども 1887年|油彩、カンヴァス|65.5×53.5 cm オルセー美術館 9歳のジュリーが可愛らしい猫を抱っこしている。冒頭の「猫と少年」の猫よりは若い猫に見える。幸せだったジュリー。猫も幸せそうに耳を開いている。こんな顔をする猫をみると、それだけでこちらも幸せになる。 背景やソファにピンク色が使われていて、ジュリーの服に薄い金色がみえるのも幸せ度を高めているのだろう。 このジュリーが両親を亡くした後、ルノワール、マラルメ、ドガが後見人になったというのはいい話だ。彼女も画家となりなかなか長生きをした。そして彼らの追想を刊行している。 道化師(ココの肖像)クロード・ルノワール(1901-1969)、画家の息子 1909年|油彩、カンヴァス|120×77 cm オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル&ポール・ ギヨーム・コレクション この絵はオランジュリーで見たのが最初だった。97年の11月、そのとき撮影した写真は今も手元にある。 赤オレンジの服に白い襟、黒い帽子。可愛い。三男坊は8歳。ルノワールは自分の子供らを幸せそうに描いている。 そして描かれた彼らはルノワールが家族を持ったことの意義を言葉にする。 このココのメダルもあってふっくらと可愛らしい横顔を見せていた。絵よりメダルの方が先らしい。 イメージ (34) このあとは花の絵、ピアノを弾く少女たちの周辺、身近な人たちの肖像、そして裸婦の佳い作品があふれるように並んでいた。 そしてわたしのメモにはやたらと「可愛い」という言葉があふれていた。 楽しくし幸せな夢の終わりはさみしい。 だからここまでにすね、 ルノワールの描いた幸せが彼の周囲に行きわたり、次いで作品に魅せられた人々の前にも幸せが訪れる。 やはりルノワールはいい。 わたしもとても気持ち良くなった。 ありがとうルノワール。 こうして幸福は伝播してゆくのだった。 国立新美「ルノワール」展は8/22まで。
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