美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

自分の中での蜷川・追悼、そして『元禄港歌』の感想

先月、蜷川幸雄が亡くなった。
わたしは彼の演出した舞台に熱狂した数年間を持っている。
特に「王女メディア」と秋元松代の戯曲を演出した作品には激しくのめりこみ、芝居を見てからその戯曲を読み耽った。
高橋睦郎が修辞を担当した「王女メディア」、秋元松代の「元禄港歌」「常陸坊海尊」を手に入れてからは今日に至るまでしばしば再読し、文を追いながらも脳裏には舞台の様子が浮かぶと言う状況が続いている。
その他に三島由紀夫「近代能楽集」も蜷川の舞台を見たからこそ読んだ。
シェイクスピアはその範には入らないが。

最初に蜷川の演出作品を見たのは1986年の「オイディプス王」だった。
築地本願寺での上演である。
これについては現地で見たわけではなくTV放映で見た。
当時わたしはまだ学生で、大阪から東京へ行くのは不可能だったのだ。
現在も録画を残しているので細かいことも言えるが、後年の演出を変えたものとは違い、この分は伊東忠太の建物の魔力にも大いに惹き込まれた。

蜷川に興味を懐いたのはこの放送の以前の事で、同年の春になんば高島屋で辻村ジュサブロー(現・寿三郎)展が開催されたときのことだ。
「新八犬伝」に胸を焦がして育ったわたしは十年以上たったその日、初めてジュサブローの展覧会に行き、三時間余り会場で溺れ続けたが、その時に初めて蜷川の芝居を知ったのだ。
それはジュサブローの仕事を集めた映像ソフトが流れていたのと、芝居のために拵えた衣裳が飾られていたからだった。
つまりわたしはジュサブローを通じて蜷川幸雄の芝居を知り、その作品を<観た>のだった。

当時既に「世界のニナガワ」と呼ばれていた巨匠だが、大阪の古い人は「あのど下手のあいつが何が演出や」と冷たい目を向けていた。
しかしわたしたちはそんな昔のことは知らず、ジュサブローの衣裳を使い、縦横無尽に舞台を駆け巡る役者たちにときめいた。
前年、「NINAGAWAマクベス」の海外公演が大歓迎され、それが日本でもニュースになっていた。

1986年という年は演劇界では変革の年だったと今にして思う。
三代目市川猿之助が「ヤマトタケル」を演じ、スーパー歌舞伎を世に送り出し、衝撃を与えた。
蜷川の芝居も猿之助の芝居もどちらも非常に新しく、そしてカッコよかった。
わたしはまだ学生で見に行くことが出来なかったが、一部主要スタッフが重複していることを知り、それだけでもときめいた。

ところでわたしが見た映像ソフトには蜷川の演出した以下の芝居が少しずつ出ていた。
「近松心中物語」「元禄港歌」「恐怖時代」「NINAGAWAマクベス」「王女メディア」「にごりえ」など。
その少しずつの映像がどれほど観た者を惹きつけるか。

蜷川演劇の最初にして最大のスターたる平幹二郎の朗々たる声。
「よいか、可愛いお前」と夫人を抱きながら共に悪事を企むマクベス。
「お前は遊女やあらへん、わしの にょうぼぉやぁぁ」と謳う忠兵衛。
「嘆くことはなんにもない・・・とわの彼方へ・・・わしにはおまえがよぉぉ見えて来たよ」と歓喜に震える「元禄港歌」の信助。
「なんと白々しいことを!極悪人中の極悪人!人非人中の人非人!」と夫を糾弾する王女メディア。

「恐怖時代」 お家転覆を狙うお部屋さまの浅丘ルリ子の悪女の笑み、そのお部屋さまと秘かに通じる美青年・伊織之介の三田村邦彦。ばたばたと人が無残な死を遂げてゆくその場・・・

「恐怖時代」が谷崎の戯曲だと知るより以前、中学生のわたしは横溝正史の「蔵の中」でその存在を知っていたが、それが一瞬とはいえこうして映像として現れ、わたしの魂を摑まえたのだった。

近年になり歌舞伎でも中村屋兄弟が「恐怖時代」を演じたが、蜷川の演出で見たかったわたしは見に行かなかった。
惜しいことをしたかもしれないが、それはそれでいい。
観なかったからこそ、今なおわたしの中に蜷川の演出した「恐怖時代」の破片が活きているのだ。

観たくて死にそうな気持になり、一種の熱病にかかったようだったあの頃。
わたしは代替行為として(いよいよ熱狂をあおる役目を果たしてくれるのだ)、資料を探しだし、読み耽った。

「恐怖時代」が谷崎の戯曲だと知ったのは偶然からだった。
全集の中にしかない。そこでわたしは文を写した。むろん外に出すことはなく、完全に自分のための行為である。
和綴じにしてしつこく読み返し続ける。一部しか見れなかったその芝居がどんどん大きく膨らんでゆく。
原文を読んだことで、一部だけ観た映像が全体を覆っていった。

やがて遠くないところに天牛書店が移転してきた。
わたしは通い詰める。そこで信じられないような幸運に次々と会い、本を手に入れる。
その中でついにわたしは一冊の戯曲をみつけだす。
「元禄港歌」「近松心中物語」の単行本である。
今日に至るまで最も好きな戯曲家・秋元松代の本を読んだ最初だった。

蜷川の話に戻る。
泉鏡花「貧民倶楽部」と「黒百合」を合わせた「貧民倶楽部」の上演があった。
わたしはやはり放送でしか見ていない。
主演は浅丘ルリ子と沢田研二である。キャスティングもわるくないし話の流れも巧いと思った。
これは蜷川に影響を受ける以前から鏡花宗の門徒であるわたしにとっては「わるくない」芝居であった。
戯曲以外は原作至上主義であり、それを曲げないわたしにとっては、これもいいと思ったのだ。

1990年、秋元の「かさぶた式部考」を映画化した「式部物語」が上映された。
監督は熊井啓である。
戯曲を映像化するとこうなるのか、と興味深く見た。蜷川のような派手さはないが、物語の本質を衝いた、いい映画だと思った。
圧倒的にいいのは母役の香川京子。
せつなく、哀れであり、どこにも救いはない。だが、それでも生きてゆくしかない、それを淡々と演じている。
蜷川だとこれは全く違う芝居になるだろうし、それはむしろ見たくないと思った。
この作品は熊井啓の演出でいい。

1990年代、わたしは展覧会に行く傍ら、毎月何かしら舞台を愉しんだ。
歌舞伎、文楽、新劇、この三種を専ら楽しんだ。
現在と違い、当時のわたしは観劇できる体質だったのだ。

蜷川の「王女メディア」がこの時代よく掛かったのには本当に心の底から歓喜した。
当時、平幹二郎は療養中で嵐徳三郎が主演していた。
様々な劇場でこの芝居を享楽し続けた。
役者が違うので演出も多少変わっていたようで、前掲の台詞「なんと白々しいことを」も平幹二郎は声を張って叫んでいたが、嵐徳三郎はねっとりと口にした。

素顔が完全に見えなくなるほどの化粧をしていても、やはり体質の違いからの差異が現れて、そこが面白く思えた。
数年後、今度は嵐徳三郎が体調を崩し、再び平幹二郎が演じたのを見たが、何度見てもやはりわたしは熱狂し、愉悦の底に沈んで、現実の世へと浮かび上がるのを拒絶した。

いつだったか、「近代能楽集」の上演テープが図書館にあることを知った。新潮社から出たテープだった。(1991年販売)
借りて聞いてみる。1976年の「弱法師」と「卒塔婆小町」が収録されていた。
前者には岸田今日子と嵯峨美智子が出ている。後者は平幹二郎。
言葉のやり取りだけで舞台の様子が浮かんできた。
岸田今日子、平幹二郎という稀代の役者たちの力量がそれを可能にしたのだが、そこに蜷川幸雄という演出家がいなくてはそれは成立しなかったことを想う。

この少し前にわたしは神戸で「邯鄲」と「卒塔婆小町」を見ている。
「邯鄲」は村井秀安の演出、「卒塔婆小町」は蜷川である。
「邯鄲」の主演は松田洋治だった。
わたしはかれの出演した「ドグラマグラ」が異常に好きで、こちらも偏愛し続けている。
その「ドグラマグラ」が上映された時、蜷川は新聞に映画評を挙げていて、今もわたしはそれをファイルして手元に残している。

蜷川は時に胸を衝く意見を挙げる。
何の雑誌でか「コインロッカー・ベイビーズ」を舞台化あるいは映像化するのなら、という話について書いていた。
そこで蜷川は主人公の二人、キクとハシのうち歌手になるハシを忌野清志郎で、と書いていた。
既にその当時、ラジオドラマでハシを沢田研二が演じているのをわたしは聴いていた。
1981年の放送で、当時わたしは少しだけ聴いており、録音テープを手に入れたのは1985年だったと思う。
清志郎は1980年代半ばまでわたしのイコンだった。
それだけにその蜷川の書いたものを読んで、思いが沸騰した。
「コインロッカー・ベイビーズ」は1985年のわたしの偏愛の書だったからだ。
「汚濁、汚辱の中で輝く」と蜷川は書いていたように思う。
あの、読んでいると全身が汚れてゆくような気持ちの悪い、しかし神経や細胞が読み耽ることを強く希う、小説…
わたしの中ではそのイメージはないので、いまだにその配役を考えると出口のない迷路に入り込んだ心持になる。

展覧会と違い、観劇と映画鑑賞はデータベースを一度壊してしまってから、再構築する意欲を失っているので、いつ・どこでその芝居を見たのかわからなくなっているものが多い。
だからここでもしばしば年代は錯綜する。

いつかわからないが、「テンペスト」を見に行った。前設定がたしか佐渡島の地元の人々による能の興行か何かで、それを演ずるという芝居だった。だから役者は時折客席に手を振ったりする。
ところがわたしはこうした演出がたいへん嫌いで、この芝居をみて蜷川も終わりか、と生意気なことを思った。

その少し前にピーター・グリーナウェイが映像化しているのを見たのも影響していたのかもしれないし、そもそもシェイクスピアにほぼ関心がないわたしはこの一本でかなり気持ちが離れてしまった。

話は前後する。
秋元松代の「常陸坊海尊」の芝居を見に行った。
松田洋治、寺島しのぶ、そして白石加代子、麿赤児らが出ていた芝居である。
このときの白石加代子の芸の巧さに絶句した。
一瞬にして老婆から18歳の娘に変わったのだ。この一瞬の変化、それを目の当たりに出来た歓び。
奇跡のように巧い女優だと思った。
そしてその彼女の演技力を・魅力を知る蜷川がこの一連の動きを演出していることにときめいた。

作中で「虎御前・化粧坂の少将」と名乗る娼婦の姉妹が疎開児童の引率をしてきた教師を招く。
そこで蜷川は春画のパネルを舞台におろす。春画、というより「わ印」と書く方がぴったりくる絵。
これは巧い演出だと思った。
そもそもこの女二人は自らを現代人(第二次大戦中の大日本帝国の東北の片隅に住まう)だとは思わずに、十郎・五郎兄弟を愛した女二人だと名乗りを上げているのだ。
だからこそナマナマしくもシラジラしい情景を見せるよりは、国貞あたりの描いた春画の一部分を出す方が、より女たちの時代との解離性を際立たせ、彼らのおかれた状況の異様さをまざまざと見せる。

惜しいことに寺島しのぶがまだこの頃はちょっとうわっすべりなところがあり、笑い声がよくなかった。
ただし怒っているところはいい。
今の彼女でその役を見てみたいと思うこともある。

そういえば1988年の映画「敦煌」で台詞はないが蜷川が映画に出ていた。中国のか西夏のか役人役でそこにいた。
演技者としての蜷川は下手だという話は当時すでに聞いていたので、映画を見ながら「なぜわざわざ」とも思ったが、この時だったか違ったか、岸田今日子か太地喜和子か、役者をやめてよかったねえとしみじみと言うたという話を何かで読んだように思う。

「近松心中物語」を坂東八十助(当時)と樋口加奈子で上演するのを見た。
平幹二郎と太地喜和子のを映像で見ているが、どんな風な梅川忠兵衛になるのだろうとドキドキした。
当時すでに歌舞伎をほぼ毎月見に行っていたので八十助の巧さはわかっていた。

わたしの一番好きなシーンが出た。
陶酔しつつ「お前は遊女やあらへん わしの女房や」と謳うように言った平幹二郎とは違い、八十助はさらりと、しかし力強く普通の口調でそのセリフを言った。
ここでわたしは平幹二郎は恋する二人の苦しみをギリシャ悲劇の域にまで高めたが、八十助はその苦しみを「若者の悲劇」として表現した、と思った。
どちらがいいとか巧いという話ではなく、全く違う話に変えたのだ。
これは役者の体質からのものなのか、蜷川の演出の変更によるものかはしらない。恐らく双方だろう。

1998年、「元禄港歌」が再演された。
わたしが焦がれた芝居がついに再演されたのである。
既に太地喜和子は世を去っていた。
彼女の役を富司純子が演じたが、突然客席から出現するという蜷川の演出プランがここでわたしの真横で活きた。
不意に現れた彼女にわたしはギョッとした。あまりに綺麗で可愛らしかったからである。
これ以降、わたしは彼女を見る度にあのときの美しさが脳裏に蘇ってくるのを感じる。
そして藤間紫の糸栄の三味線のよさも忘れられない。

初演と全く様相を変えた「オイディプス王」が野村萬斎と麻実れい主演でというので見に行った。
昔わたしが見たのは室町時代の庶民のような人々が出ていたが、こちらはやはりギリシャのどこかという装束を身に着けていた。

全てを知ったオイディプスが自らの手で両目をつぶす。
その恐ろしい状態で姿を現した時の表現、それが非常によかった。
スローモーションで、人々は恐怖におののき、その惨事から逃れようとのけぞる。
この一連の描写がとてもよかった。
このシーンだけ何度でも見てみたいと思った。

他にもまだまだ見ている。様々な記憶の欠片が蘇り、モザイク状に浮かび上がってくる。
真田広之のハムレットは舞台の最初にメイクをするところを見せ、市村正親のリチャード三世のにやりと笑う顔、「忠臣蔵」での批判をうけたこと、いくつものギリシャ悲劇、就中「グリークス」の平幹二郎、尾上菊之助、田辺誠一のポスターの魅力・・・

熱狂と興奮の1990年代が過ぎ、わたしは映画も芝居も見続ける自信を無くしていた。
長時間座って他者の動きを見ることが出来なくなったのだ。そう、映画も演劇も「他者」となってしまったのだ・・・
わたしは長らく舞台から離れて生きていた。
ある日、「元禄港歌」が上演されることを知った。2015年のある日、ネットでそのことを知った。

見に行こうと思ったが、2016年の2月、わたしは行く日を失っていた。
あきらめているうちに5月、蜷川の訃報を聞いた。

映画は何度もみれるが芝居は一度きりだ。
人生も一度きりだ。
わたしは非常に残念なことをしたのだった。

そして六月、ついに蜷川の「元禄港歌」が放映されることになった。
わたしは東京のホテルで映像が始まるのを待った。

以下はリアルタイムでのつぶやきである。
・今から「元禄港歌」みる。わたしが前にみたのは98年の平幹二郎と富司純子のだった。
・やはり寿三郎の人形はいい。
・人はどうしようもない哀しみを抱えて生きていかなあかんもんや、というのを感じさせられる。
・ごぜ歌の葛の葉姫、せつない。
・猿之助の糸栄、予想以上によい。この人は若い頃から中年女がたいへんよいと思っていたが、この糸栄などもまだ水気もある一方で疲れた感じがよく出ていて、非常によい。
・猿弥ちゃん、金田龍之介を彷彿とさせてくれるなあ。
・きつねは来つ寝、やからなあ。そやから時期が来たら去ななあかんのや。
・宮沢りえもちょっとした仕種がいい。全体やなく、ちょっとずつちょっとずつの良さが目だち、それがやがて全体に行き渡る。
・段田さんは声に感情が入りすぎてるな。
・アホな遊び人の弟の高橋一生がこれまたよいな。こんな男はどつき倒したいけど、そう思わせてくれるほどうまいな。
・新橋さんはさすがの貫禄。
・身分制の厳しい時代の、厳しい町の、哀しい話。
・悲田院法師たちの阿弥陀堂での唱名。波音と重なりあう。特殊な哀しみではなくなる。
・段田さんの声を聞いてるとヒラミキをどうも思い出してしまうな。似てないのに。わたしの耳に残りすぎてるのかな。
・猿之助さん、自分から糸栄をしぃたいと言うたそうなが、確かに藤間紫もいない今、糸栄はこの人しかおらんな。なんとも言えん情がある。
・再びぽたりぽたりと椿が落ち始める。悲劇へ向かう時間の中、椿が落ちる。
・猿弥ちゃん、若い役より歳いきの方がやはりええな。あと悪人もいいな。金田龍之介や中村梅之助同様に愛嬌もありの大きな役者になってゆくようやなあ。
・そして「百萬」。町の人々が楽しみに見ている。
・惨劇。
・鈴木杏の歌春、いまわのきわ、明るいオチャメさんだけにその悲劇が際立つ。
・糸栄にしろ初音にしろ目が見えぬからこその動きのよさ。
・「嘆くことはなんもあらへん」を普通に言うたな。この辺りを普通に言うのもええもんやな。段田さん、ここに向かうための流れか。
・猿之助の嘆き、新橋さんの震える背中、二人の「母」の哀しみが胸に来る。
・厳しい身分制の非情さ。そこへ現れる社会の外に弾き出された悲田院法師たち。
・手を繋ぎながら社会の外へ向かう男とその母と妻と。暗闇の中を生きてゆくしかない。歌声だけをたよりに。
見送る人々はただ立ち尽くす。
・元禄港歌、良かった。せつなさが胸に広がる。

後は細部に拘ったことしか書けない。それに時間が経ったことで色々と入れごとをする可能性がある。
そうするとこの時の純粋性が無くなる。

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一か月近く経って自分勝手なことを書いている。
蜷川の芝居をみたいと切望しながら。

もうこれ以上にわたしをときめかせる演出家はいないのかもしれない。
ありがとう、蜷川幸雄。
あなたが魅せてくれたものをわたしは決して忘れない。
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