美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

2016年 大阪市立美術館のコレクション展を愉しむ 2

美術館の二階に上がり、この二つの展示を愉しんだ。
・中国四大美人!?<明妃出塞図>を読み解く
・仏教美術 聖徳太子をめぐる美術

まずこちら。
・中国四大美人!?<明妃出塞図>を読み解く
イメージ (34)
このタイトルはちょっと失礼やな。何故に「!?」をつけるかな。

イメージ (39)

後漢のと唐代の女子俑があった。
数百年の差があるのでファッションも雰囲気も全く異なる。
加彩 女子俑 後漢時代 両手は長い歳月の間に失われていた。膝をついて坐している。背後に回ると彼女の靴裏が見える。可愛い沓を履いている。
彼女の襟元にはまだ朱色が残る。ややうつむき加減のその顔には優しさと共に静かな意志の強さを感じる。

三彩 騎馬女子俑 唐時代  俑としては細めだがふっくら美人。スカーフをしてその先端を肩の後ろに回す。馬に乗ることも当時の婦女の楽しみの一つだった唐代。

様々なベルトのバックルが並ぶ。帯鉤。龍、獣面、渦文、雲気文、虎型など。
中に虎の上に乗る人を象ったものがあり、竜使いの拳竜氏(かんりゅうし)に準えて拳虎氏(かんこし)と呼びたい、と解説があった。そしてその字が「手」ではなく「豕」になっていた。
拳竜氏じたいは中国の史書に出ているようだが、わたしが最初にこの言葉を知った時は(けんりゅうし)とルビがふられていた。
・・・虎使いの一族か。なんかかっこいいな。

馬具もぞろぞろ。虎と鳥の形をしている。バックルも馬具も春秋戦国―前漢―後漢―南北朝のもの。
そして遼代の揃いの馬飾金具も出ていた。こちらは14個ある。

「単于和親」と刻まれた塼拓がある。前漢。ぜんう・わしん。単于は匈奴の君主の事。
「和親」については人名ではなく文字通りの意味だと思うのだが、興味深い論文を見つけたので参考までにあげておく。PDFである。こちら

いよいよこの絵。
明妃出塞図 宮素然 金時代 
イメージ (33)

開かれているのは4組の人々。
とても風が強いようで、いずれも風の影響を強く受けている。
・先頭の二騎、風が特に強いようで馬の鬣も靡いている。馬たちは少し俯いている。
旗を持つが、その旗も強い風に負けそう。更に馬のそばに仔馬が寄り添っている。
・次に騎馬の王昭君と彼女愛用の琵琶を持ち、後ろを見返る侍女。このふたりは二度と戻れぬのだ。王昭君の馬は葦毛のいかにも駿馬。これはどういう意味を持つのだろう。色々なことを推測する。もう彼女の装束は匈奴風になっている。
・その後に続く一団のうち黒馬に乗るのが呼韓邪単于。王昭君を見て嬉しいのでニコニコなのか、好色そうな目つきをしている。
他の馬もいい馬でハナ白もいる。
・ラストには髭の男とやせた猟犬が続く。
「明妃初出云々」と五行詩があるが、いい字。詩編は二種あり文中の言葉の置き換えがあり、書体も変えている。
わたしとしては、彼女は匈奴の地で大事にされて案外幸せな生涯を送ったと思いたい。
窮屈で退屈で皇帝の訪いもない後宮にいて、将来の見通しも暗いのより、こちらの方がいい。とはいえ中華思想から言えば中国以外の土地に行かされた=それだけで不幸、といいたいのもわかる。
多くの人々は「不幸でいてほしい」と思うものなのだ。

門衛図画像石 後漢時代  可愛い浮彫。鳥らしきもの・豚とおぼしきもの・ハリネズミと見まがうものなどなどが刻まれているが、いずれもざっくりした形なのでアイシングしてクッキーにするのもいいかもしれない。

九成宮図 仇英 款 明時代  おお久しぶり。夏の宮殿とそこにいる人々の様子をロングで捉える。もくもく湧き立つ雲と緑の山々。岩から曲がって生える松。人々だけでなく馬もいる。婦女と幼児の姿がある。暑いときはここで執務。

青銅鏡がいくつか。古代のものは神や宇宙を表しているが、時代が下がるにつれて宗教的な意識が消えてゆく。
呉王伍子胥図画像鏡 後漢~三国時代 うわ、伍子胥が自殺するシーンを描いているとな。
・・・馬車がゆくのしかわからない。呉越の話。ここらあたりの話は好きなのだが、鏡にそんなのをつけられても困るなあ。

後は唐代の狻猊、海獣などをモチーフにした華やかな鏡がある。
そしてその鏡は女性の化粧道具となり、いよいよ華麗な装飾を施されてゆく
宝相華文の杯、鴛鴦文の簪なども共に展示されていた。

最後にこちら。
・仏教美術 聖徳太子をめぐる美術
イメージ (40)
第一部 遣隋使のみたもの
北斉、隋、唐にかけての仏像を中心とした仏教美術がある。
隋の石造四面像が二つあるが、うちの一つの向かって左が半跏像だった。あとのサイドは皆立姿。

石造の仏像は工夫が凝らされている。背後にも手を抜かない。
ちゃんと飛天が飛んでいたり、獅子が待機していたり。

第二部 聖徳太子の生涯と太子信仰のひろがり

河内の叡福寺から絵巻形式の聖徳太子絵伝が来ている。
上・中・下巻が開かれていて、太子の年に起こった出来事を叙述する文章を書くのは、太子と同年齢の貴族男性だった。その辺りの事情は知らないが、ある種の願い事をこめての一大プロジェクトだったのかもしれない。
以下、概要。なお( )はそのときの担当者名。
16歳の厩戸皇子の状況から始まる。

16歳(飛鳥井中納言雅章)
春 父を見舞う。服装は平安朝で統一されている。皇子は袈裟をつけて佛に祈る。
秋 物部守屋と戦う。四天王像を並べた台の前で祈る。槍衾になる人もいる。馬も飛んで逃げる。

17歳(東園少将基賢)
春 新羅より仏舎利到着。工人らが緑の布に包んだ舎利塔を運んでくる。
  崇峻天皇に面会し、身の危険について言上。そのそばには刀を抜いた男が隙を伺う。

18歳(裏松左中将資清)
使節を三方に送り、それぞれの民情をチェックした報告を聞く。にこにこするみづら頭。

中巻。
27歳(伯中納言雅喬)
春 青野に柳もある。馬と太子。その先に草摘みをする少女。膳大娘である。
絵自体、近代的な構図である。新興大和絵よりも更に新しい絵という感じ。松篁さん、守屋多々志らが描きそうな雰囲気。
秋 甲斐の国より黒駒が。そばには青衣の舎人がいる。彼が馬丁になる調子丸(調子麻呂)。
山岸凉子「日出処の天子」ファンとしてはかなり嬉しい。
その調子丸、黒駒共々雲に乗り富士山をゆく。
また、新羅から孔雀が届き、にこにこ。

28歳(廣橋前宰相綏光)
春 百済から駱駝、驢馬、羊、白雉が贈られてきた。白雉は縁側にいる。ラクダは馬にしか見えない。
クダラカララクダ。いいなー。羊は茶色と白の二匹でニコニコ。青衣の調子丸もニコニコ。

下巻
35歳(伏見兵部卿宮貞清)
勝曼経の講義。このシーンが上掲の絵。建物の外には千仏の顔が浮かび、蓮華辮が降りしきる。カラフルな幡が室内に連なる。男も女も皆が感激している。

36歳(一乗院宮尊覚)
夏 小野妹子を遣隋使として送る。妹子、衡山へ。その山の案内図が描かれていて、異時同時図としても機能する。
達磨大師のようなのが洞内にいる。鳳凰が飛ぶ。雉もいる。達磨大師と話す妹子。達磨、雲に乗り去る。
ところでこの山は調べたら道教の聖地らしい。神農がここで薬草を採ったとかなんとか。

37歳(西園寺前大納言実晴)
夢殿にこもり、魂を衡山へ飛ばす聖徳太子。一人ではなく五百人の従者共々、青竜に乗る。
百済の僧たちは聖徳太子の前世が衡山の比丘の一人だと告げる。喜ぶ太子。

絵も綺麗、書もいい、展開もいい、と結構な絵巻でございました。

太子孝養像が二枚。どちらも鎌倉時代。
みづらに赤いリボン、赤い袍に袈裟懸けの立ち姿と、室内で屏風前に立ち、むっとしている顔。後者は香雪美術館で現在展示中のそれとよく似ているようで、どうやら原本があるらしい。とはいえそれは不明。

童形像もある。みづらを結う美少年。そしてその左右に傘蓋を持つ童と燭台を持つ童がいて、三人共に穏やかに愛らしい。
これは磯長陵に見に行く様子を、あえて少年姿で表現したもの。
自分のお墓を見に行く美少年。なんだかカッコいいが怖いぞ。

推古天皇像 土佐光芳 1726  上畳に座した唐風の女王。緑の着物に紺の袈裟懸け。

見立てものもある。
唐人物図なのだがそれを聖徳太子だと伝える。馬上豊かな美少年。髪は後ろへひとまとめ。

摂政像もあり、もみあげまで描かれている。その前には生命感のある四天王。

刺繍製の摂政像と2王子図 1686  糸がキラキラ、王子たちもキラキラ美少年。

金銅菩薩立像 飛鳥時代  止利派の仏像だそうだ。両手を前に差し出し、そこに宝珠。

木造女神坐像(伝・聖徳太子像) 平安時代  見たことがあると思ったら、モディリアニが傾倒したアフリカの彫刻と、それを元にした「カリアティード」風裸婦像、あれによく似ているのだ。

ニンニンの印を結んだ大日如来像、柄香炉も三本ばかり、そして聖徳太子をモチーフにした絵柄の煙管筒などもあった。

大阪市立美術館のコレクションは、本当に奥が深い。
面白かった。

6/26まで。


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