美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

ミケランジェロ ルネサンス建築の至宝

メディチ家の興亡の後には「ミケランジェロ ルネサンス建築の至宝」展の感想を挙げる。
メディチ家が最も輝いていたルネサンスの時代、彫刻家から出発したミケランジェロの<仕事>の紹介、といった趣のある展覧会である。
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最初に彼の紹介がある。60歳の肖像、彼を表彰するメダル、ミケランジェロへの礼状、本人の真筆のスケッチ、彼の作品を基にした二次創作(複製彫刻である)、そして同時代人の「美術家列伝」もある。その著書は先人の業績を顕彰する内容なのだが、存命中のミケランジェロをも加え、大きく彼を称賛している。
本の二版目以降は他の存命作家も加わったそうだが、同時代人からもこのように強く褒め称えられるというのは、素晴らしい。

この展覧会ではミケランジェロの才能の偉大さもさることながら、職業として選んだ建築家としての仕事ぶり、その熱の入れよう、真面目さなどがとても印象的なのだった。
そのようにリードされているのかもしれないが、正直な話、近年の他の展覧会でもミケランジェロがマジメというかマトモというか、礼儀もあり、常識もあり、ひととの対応も悪くない、自己の芸術活動に一所懸命なヒト、というイメージが強くなっている。
芸術家の理解できなさも魅力的だが、建築に携わる人がそうしためちゃくちゃさを表に出すのはよくないので、やはりこうした社会性もあった人だと思いたい。


・ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂
後世の作だが、ミケランジェロが取り掛かる以前のシスティーナ礼拝堂の様子を描いたリトグラフが出ていた。
それを見て、改めて自分が見ていたものはルネサンス期の大傑作だったことを思い知る。
わたしがシスティーナ礼拝堂に行ったのは2000年、ミレニアムの年だった。
大きなミサも終わったあとの一息ついたシスティーナ礼拝堂に行ったのだが、そのあまりの威容・あまりの巨躯・あまりの絢爛さにおののいた。
正直な感想は「細部に神は寄り給う」を心に抱く日本人では、到底この巨大な存在に太刀打ちできない、というものだった。
日本人も巨大な仏像を拵えたが、間の美、余白の美を愛する民族が、このこれでもかと埋め尽くす嗜好に敵うはずがないのだ。

その偉大なるシスティーナ礼拝堂、その天井画を描くミケランジェロ。
ミケランジェロにとってもその仕事は栄誉であると共に肉体的にたいへんつらかったようで、その偽らざる心情を簡単なスケッチつきの手紙に記している。
「胸はハルピュイアのように突き出て」上を見ながら仕事をし続けるので肉体の在り方が多少変容してしまったのだ。
それにしてもハルピュイア(ハーピー)の胸とは面白い比喩だ。

素描のよいのがずらずらとあり、線をたどるだけで肉体が再現されてゆくようだった。
また、「最後の審判」の複製による紹介もあり、その絵をエングレーヴィングで再現したものもあった。

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・建築家ミケランジェロ
様々な公的な建物やメディチ邸(リッカルディ宮殿)の設計に携わるミケランジェロ。
その設計図などがたくさん出ている。
これが実にいい。

サン・ロレンツォ聖堂の映像が流れている。
システィーナ礼拝堂もカンピトリーニの丘の広場の映像も。
ああ、改めてイタリアのルネサンス期の偉大さを知る。

様々な設計図があり、自分がそうと知らずにそこに足を踏み入れたことを今更ながらに知ったりする。
サン・ピエトロ大聖堂の仕事の素晴らしさにもうなるばかり。

それにしても都市により守護聖人も違うし、聖なる動物も変わる。
それを意匠化して組み込んだりするのも大変である。

彼の拵えた建物の模型もある。とても丁寧な作りをしている。
本当に凄い作品を生み出した人なのだと改めて感心した。
そして今度は彼の関わった建造物を見て歩くツアーをしたいと思った。

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