美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

清雅を標に 人間国宝 須田賢司の木工藝

竹中大工道具館で7/10まで「清雅を標に 人間国宝 須田賢司の木工藝」展が開催されていた。
これがとても繊細な木工作品の展覧会で、指物のきちんとした性質とそこに合わさる漆藝の優美さのコラボレーションには本当に息をのんだ。
絢爛豪華なのではなく清楚な美がそこにあった。
それは素材となった木の性質が表にでたからのことだったのかもしれない。
イメージ (66)

須田賢司さんという作家は祖父の代から続く木工家に生まれ、若い頃から父に師事したそうだ。
他方、母方の祖父から漆芸を学んだという。
父方・母方の双方からの職能がここに結実した。

クス、カエデ、ケンポナシといった強い木の個性を決して殺すことなく生かして使う。
そしてそこにつつましく象嵌が入り込む。
そのような構成の作品が少なくない。

作品の一つ一つに須田氏の言葉が伴う。
作品とだけ向き合うのではなく、須田氏の想いとも向き合う。

イメージ (67)

作品は宇宙や空を思わせるものから名を授けられていることが多い。
夕星(ゆうづつ)、星彩(せいさい)、春宵、春暁。

杢目の美しい構造体に、飾り帯のように象嵌された煌めきが姿を見せる。
決して華やかに、驕るように現れているわけではなく、あくまでも清楚にそこにある。

かつての木工では唐木を使い、その木の性質から象嵌などの飾りを施すことを選んだ。
やがて国産木が使われるようになると、その杢目の美を愛でるためにあえてそれを目立たせた。
そしてその頃には象嵌は「加飾」という存在になっていた。

須田氏の言葉を読み、わたしは初めて納得した。

木へんに旧字の佛とかいて梻タモとよむ。自分のatokでは樒のシキミと字が出た。どちらがどうかは知らない。
この木を使った箱もある。
様々なことを教わってゆく。

須田氏の祖父や父の作品も並ぶ。少しずつ違っているのが時代の流れ、似ているのが代々の技か。
手を抜かず丁寧な手仕事。きちんとした出来上がり。
奇をてらうことなく、真っ当な仕上がりを見せる作品。
正しい手仕事というのは今の世では段々と少なくなってきたが、なくしてはいけない技術と心構えがあると思う。
そして須田氏の仕事にはその技術と心構えが活きているのだ。

江戸時代、松平不昧公から大事にされた指物師・小林如泥の小さな作品があった。
ああ、これがか。
わたしは石川淳「諸国畸人伝」で彼の名を知った。
その時確か「じょでい」ではなく「じょてい」とあった気がしたが、今ちょっと確認していない。
久しぶりにあの本を読むことにしよう。
一つの展覧会からまた別な方向へ目が向かう。
それがとても楽しい。

竹中大工道具館の次の企画展は9月からだが、常設展は夏も開いている。
次は「土のしらべ  和の伝統を再構築する左官の技」久住章さんのお道具なども展示されるそうだ。
こちらもとても楽しみ。

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