美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

西洋更紗 トワル・ド・ジュイ

「まづ水。その性のよしあしはてきめんに仕事にひびく。」
この一文から始まるのは石川淳「至福千年」なのだが、何故この文を冒頭においたかというと、わたしが石川淳のファンだから・・・というのが第一義ではなく、もっと大きな理由がある。
この一文は幕末の江戸の更紗職人の紹介なのである。
更紗というものがどのように作られるかを最初に石川淳は書いている。
洋の東西を問わず更紗作りには水が必要で、晒すのもとても大事なことなのだ。

Bunkamuraで「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ」展をみた。
東洋からもたらされたインド更紗に西洋人は驚愕し、その美しさに熱狂した。
そしてフランスでは「トワル・ド・ジュイ」と呼ばれる更紗が作られた。
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最初に出たのは近年制作されたポリエステル製の布地、そして1600年頃に制作された三点のタピストリー。
いずれも自然をモチーフにしたもの。

そもそも西洋で更紗が爆発的に流行したのは、インド更紗が西洋に渡ったからだった。
そのインド更紗の優品がずらりと並ぶ。
このインド更紗は西洋だけでなく極東、東アジアの鎖国状態の日本にも熱狂的なファンを生み出した。

茶人が珍重した更紗は仕覆になり、表具にもなった。
切れ端も大事にされ、それらを集めて張り付けたノートも現代まで伝世している。
わたしもインド更紗が好きで、白地に小さな花の刺繍が煌びやかに展開されているの等は特に好きだ。
あと、バティックも好きだ。

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クリシュナ物語図模様更紗 木版と手描きで表現されたクリシュナの行状。クリシュナが青黒い膚を持つのは細密画などでもおなじみだから、すぐに彼がどこにいて何をしているかがよくわかる。
笛を吹いたり(得意技)、水浴びする女たちの着物をそっと木の上に括りつけるいたずらをしてみたり。周りには聖なる牛、孔雀、ゾウ、魚類にインコにリス、豹や鹿や蝶々も。にぎやかで楽しい文様。
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白地唐花文様金雲母更紗 これも手が込んでいる。木版・手描き・金雲母を綿に。金雲母が全体に行き渡っているので、下の白地が見えないくらい。すごいわ。
この更紗は染司よしおかの所蔵。名品を所蔵する先が吉岡さんだと知ると、とても納得。

山鵲手更紗「唐物文琳茶入 銘 吹上」付属仕覆箱包裂 こちらは五島美術館所蔵の更紗で、薄い縹地に鳥が飛んでいる。これなども江戸時代に唐渡ものとして、貴顕や大尽のもとへ届いたのだろうなあ。

予楽院近衛家煕の茶道具などを集めた中には更紗がいい具合に用いられていた。
当代随一の数奇者で美意識の高い公家さんだけに、初めて教わることのすべてがキラキラしく、ただただ憧れるばかりだった。

赤星家旧蔵の古代印度更紗裂、99枚のうち20枚が展示替えながらも出ている。
古渡更紗と言われるものたち。

名物裂帖、裂手帳、きれかがみ・・・
仕覆、煙草入れ、手提げ袋などなど。
虎と鹿、迦陵天鼓、小花あつめ、印象的な文様が少なくない。
染司よしおか、たばこと塩の博物館のコレクションがずらりと並ぶ。

寄裂というとキルティングとかそうしたものの仲間だと視てもいいだろうか。
それで作られた仕覆もあれば半襦袢もある。デコラティブで面白い造形。

軸の表具にも更紗。中回し、上下などに更紗。
紅毛人の絵に合うエキゾチックさ。

長崎には出島もあり、異国の物品が入ってくるので、そこには「反物目利き」という役人がいたそうな。そのときに「辰紅毛船持渡端物切本帳」という裂手本を使ってチェックしていたという。今の税関の役人さんが偽ブランドを一目で見分けるのと似た眼力が身につくのだろうなあ。

VTRをみる。
トワル・ド・ジュイ美術館 モンテイユ館長が作品や歴史を紹介する。
館長さんはモノクロのトワル・ド・ジュイを加工した上着を着ている。
フランス人がこよなく愛するというトワル・ド・ジュイ。

インド更紗があまりに流行りすぎてフランス国家は1686年に禁止令を出した。
1759年に解かれたとき、ドイツ人で20歳のオーベルカンプがベルサイユ近くのジュイ=アン=ジョザスという地で工場を開き、それが後のトワル・ド・ジュイとなったそうだ。

発注書、品質表示の工場印、版木などをみる。
顧客にはマリー=アントワネットもいた。
非公式の場での気軽に着られるドレスにトワル・ド・ジュイのものを着用した。
綿の心地よさが気に入ったのだろう。

オーベルカンプの工場の外観の絵がある。カラフルな布を晒しているところ。
そこへナポレオンがやってくる。お出迎えするオーベルカンプの誇らしさを想う。
初代市長にもなったそうだ。

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最初の頃の西洋更紗はカラフルな花柄が主流だった。
エキゾチックな花々、伝統の千花文様、黒い色を背景に煌びやかに咲き乱れる博物学の書物から抜け出てきたような花、謎の動物…
ボタニカルアートのようなものも少なくなかった。

やがて単一色の田園風景などを文様にした更紗が世に出ていくと、これが現代にいたるまで受け入れられ続けるパターンとなった。
フランス王宮で動物画家として働くジャン=バティスト・ユエをデザイナーとして招聘し、ほどなく繊細で濃やかな情景が布に載せられていった。

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わたしはこの移り変わりを見ていて、マイセンを想った。
古伊万里の美しいのがドレスデンにまで流れ、、やがて一人の錬金術師が命を削って完成させたマイセン窯の美しいやきもの…

時代は流れ、オーベルカンプの拵えた会社は失われたが、影響を受けた美術家が美しい作品を生み出している。
こうなるとわたしなどは絵柄を読み解くのに懸命になる。
それも楽しい。

そしてこの開発された絵柄に影響を受けた人も少なくない。
モリス商会の壁紙、デュフィのテキスタイル、フジタの絵…
現代にいたるまでフランス人がこの文様を愛していることを初めて知った。
素晴らしいことだ。
ブンカムラでは7/31まで、巡回先の郡山では8/6-9/11まで。
追記:別種チラシを入手した。
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