美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

「駒競べ 馬の晴れ姿」展 前期

三の丸尚蔵館「駒競べ 馬の晴れ姿」展の前期に行った。
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チラシの中心には眉間星の馬の彫像が颯爽とした姿を見せる。
この白部分は専門用語で言うと「流星鼻梁白」という分類になるらしい。
こちらに「馬の個体識別」なる分類表がある。
それからゆくと足は「長白」ということか。
耳のピンとした賢そうな馬である。

・馬と人
蒙古襲来絵詞 前巻 1巻(2巻のうち) 鎌倉時代(13世紀)  久しぶりにこの絵巻を見た。出ていたのは戦闘中の様子。馬もよく戦う。
考えたらこの絵巻は幕府の報償がちゃんとできていないのを指摘するために、証拠として製作された絵巻なんだよな。

小栗判官絵巻 巻第六、十五 岩佐又兵衛 2巻(15巻のうち)江戸時代(17世紀)  
おお、去年以来。当時の感想はこちら
見れて良かったなあ。
2シーンが出ていて、1は横山家の厩の様子。たくさんのイキイキした名馬が居並ぶ。
1は物語の最後の、鬼鹿毛を神仏化したところ。
説経節の原文をここに挙げる。
「黄金御堂(こがねみどう)と、寺を建て、さて、鬼鹿毛が姿をば、真の漆で、固めてに、馬をば、馬頭観音とお斎(いわ)ひある。」
そう、鬼鹿毛の堂々たる巨躯が生前の元気なころのままに漆で固められて、その背に観音菩薩像が乗せられている。
漆によるミイラ化である。
「じゃりン子チエ」のアントニオ、谷崎潤一郎の愛猫ペルは剥製となったが、埃及以外の地、中世の東洋では馬の漆ミイラがあったのだ(!)。

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唐人市馬図 森徹山 1幅 江戸時代(18~19世紀)   わいわいとにぎやか。牛もロバもいる。彼らは売り物ではなく既にご主人のいる身の上。
ロングでこの様子を捉える。数本の木のある場でおとなしげな馬たちがいる。

スペイン乗馬学校 ウィーン窯アウガルテン 7点 1958年頃 綺麗な白磁のやきもので1セット。馬は全て白馬。制服を着た男性が優雅に乗馬する。

・馬の肖像
厩図屏風 6曲1双 室町時代(15世紀) ここの飼い主は名馬をたくさん集めていたようで、その様子が賑やかに描かれている。
すぐ外には竹林があり、手前の厩舎では馬たちが一頭ずつ繋がれている。
中には鬣を少しずつ束にして可愛く括られている馬もいる。

馬図 伝 任仁発 1幅 中国・元時代(14世紀)  エエ氏の馬のような飾り方をされていた。
そういえば元は遊牧民族系だから馬にも大変詳しいはずだが、ちょっと違う感じがした。

馬之図 円山応挙 1幅 天明7年(1787) 二頭の馬が和やかに接している。可愛いな。 

張飛図 円山応挙 1幅 江戸時代(18世紀) この絵が今回初公開されることになった絵。新聞に載ってたので裏の字が映るが。歴史画というより故事説話絵の仲間。応挙は中国の有名人をよく描いた。「三国志演義」のカッコイイシーン。
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工芸品も色々。
粉彩松に馬図花瓶 1対 中国・中華民国期(20世紀)
野馬図蒔絵印籠 光斎 1点 江戸時代(19世紀)

けっこうリアルな彫像も。さすが後藤の仕事。
各種馬置物(競走用栗毛・乗用芦毛・貨車用黒鹿毛・乗車用鹿毛・農用鹿毛斑) 後藤貞行 5点 明治23年(1890)
昔の日本では連銭葦毛の馬が愛されていたことがよくわかる。
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「平家物語」でも「敦盛最期」で「ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くはがたう(ツ)たる甲の緒(を)しめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげ藤の弓も(ツ)て、連錢葦毛なる馬に黄覆輪の鞍をいての(ツ)たる武者一騎」をみた熊谷直実が「あれは大将軍だ」と思うくらいですわ。

・皇室と馬
賀茂競馬図衝立 1基 江戸時代(18世紀) かなり白熱している。なにしろ手前の人が奥の人を前に行かさないように押さえている。

白馬節会置物 山崎朝雲 1点 大正13年(1924) 「アオウマノセチエ」です。正月七日に行われる宮中行事。今でも上賀茂神社や住吉大社で行われているそうです。きりりとかっこいい馬体。

天皇の御料馬の写真や置物がある。
「金華山号」写真 丸木利陽 2枚 明治23年(1890)頃
「友鶴号」置物 大熊氏廣 1点 明治27年(1894)
「白雪号」置物 三井高義 1点 昭和8年(1933)
明治、大正、昭和、歴代天皇の御料馬。

最後に古来からの日本のいい馬の形容を挙げておく。
前掲の「説経節小栗判官」から、鬼鹿毛と死後の約束をし、乗せてもらうことになった小栗が家来たちに語る言葉である。
「脾腹三寸に肉(しし)余つて、左右の面顔(おもか)に、肉もなく、耳小さう分け入つて、八軸の御経を、二巻取つて、きりきりと、巻き据ゑたがごとくなり。両眼は、照る日月の燈明の、輝くがごとくなり。吹嵐は、千年経たる法螺の貝を、二つ合はせたごとくなり。須弥(しめ)の髪のみごとさよ、日本一の山菅(すげ)を、もとを揃へて、一鎌刈つて、谷嵐に一揉み揉ませ、ふはとなびいたごとくなり。胴の骨の様態は、筑紫弓のじやうはりが弦を恨み、ひと反り、反つたがごとくなり。尾は、山上の滝の水が、たぎりにたぎつて、たうたうと落つるがごとくなり。後ろの別足は、たうのしんとほんとはらりと落とし、盤の上に、二面並べたごとくなり。前脚の様態は、日本一の鉄(くろがね)に、有所(ありど)に、節をすらせつつ、作りつけたるごとくなり。この馬と申すは、昔繋ぎて、その後に、出づることのなければ、爪は厚うて、筒高し。余なる馬が、千里を駈くるとも、この馬においては、つくべきやうはさらになし」。

まことに日本の馬の晴れ姿である。

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