美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

鉄斎 大和文華館コレクション

鉄斎のコレクションを持つ美術館と言えば清荒神の鉄斎美術館をはじめとして、案外少なくない。
大和文華館には松山市三津浜の近藤家の旧蔵品がある。
鉄斎と近藤家とは40年もの交流があり、まだ売れていない頃の鉄斎が松山で揮毫したときなどは近藤家が絵の斡旋をしたり、売掛金の回収品も行ったそうだ。
当主が無くなった後も子息が後をついで、鉄斎の晩年まで変わることなく親しくしてきたそうだ。
そのコレクションのうち60点ばかりが大和文華館に入っている。
イメージ (42)

近藤家からは結構な海産物がしばしば・おりおり鉄斎に贈られてきた。
鉄斎一家も喜んで受け、美味しく食べる。
そして礼状を送る。中にはいただいたエビや魚を描きもする。
イメージ (36)
伊勢エビ、立派である。賛のところになにやら朱筆が見えるのでよくよく見ると、どうも星座が頭上に浮かぶ走る鬼を描いているようである。しかも手に帳面らしきものを持っている。ということは魁星の可能性があるかもしれない。鉄斎はよく魁星を描くし。

イメージ (41)
こちらはタイの仲間らしい。朱いのはともかく、手前の黒いのはヒラメ、いや、カレイ??のような感じがする。

こちらは魚藻図と言うが、なにやら怪魚ぽい二匹。
イメージ (46)
元気そうで何より。

近藤さんへのハガキにも魚。イメージ (47)

おいしそうなんばっかり。
クルマエビの絵もあり、そちらには「鉄道人」のハンコがついていた。長崎遊学中に見つけて旅費をはたいて買うたそうな。
鉄斎道人の意味での鉄道人なんだろうが、鉄道のヒト、要するにテツのヒトみたいにしか思えんな。

そうそう、チラシの漁夫、よくよく見たらおっちゃん、魚に指を噛まれてますがなw

イメージ (43)

寿老人ら仙人の絵も多い。吉祥画を贈るのはやはり近藤家の皆さんの幸福を願ってのこと。
西暦1063年に中国に寿老人が出現したときのその寿老人の様子を描いた絵もある。
持つ杖には霊芝が生えていた。

福神タイ釣り図 おお、緑の勾玉を首にかけてるえべっさんが赤い鯛を釣りあげてますな。

チラシは白黒だけど現物は朱色の鍾馗の絵がある。清の高其佩に倣ったとか。
大きな目をむき、口を△に結んだ鍾馗。捕まった鬼が妙に可愛い。

大和絵風の菅公、神武、紫式部の連作もある。
田能村竹田が描いた乾山の絵を写したものもある。乾山、気さくそうなオジサン。

渡邊崋山獄中図と言うものがあった。これはもともとは「自娯冊」からの一枚。
他に賀茂真淵、売茶翁、志道軒、大雅堂、頼山陽、谷文晁、英一蝶、与謝蕪村、田能村竹田、浮田一蕙。
今は分蔵。志道軒まで描いてたのか。講談の最中の様子かな…

閻魔図 地獄の閻魔様の前で田能村直入が揮毫中。戯画風味。これは実はイケズな絵で、直入の死後すぐに仲良しの近藤家に贈った絵だった。鉄斎は直入をすごく嫌ってたそうで「筆誅」を加えてたとか。
言うたらなんやけど、そんなに非難出来るか。なんかこういうところが鉄斎のイヤなところやな。
いや、もっと嫌なんは絵で身過ぎ世過ぎして大家としてやってるくせに絵は本分ではないとかぬかすところやな。
儒者の嫌味なところが出ている。

さて「西遊記」もあります。自分で勝手に表紙絵を拵えるもの」。
猪八戒がたつもの、悟空が流されるもの、鹿に座り、角をハンドル代わりにする寿老人…
なかなかファンキーな表紙絵である。

松鶴図 松に鶴がいるなとしか思わないんだが、賛には老いた鶴は今は野良でというような意味のことがあり、読んでてもそのあたりの機微がわからない。

鉄斎はどうもイランコトイイなところがあるな。
まあそれが儒者か。
しかし素直に喜びを示すこともある。

山中閑居図 82歳。帝室技芸員になったことを素直に嬉しく思っているのを書き込む。

山水画帖 「噴飯」の大きな二字から始まる。桃の咲く山中などもあるが、なぜ「噴飯」なのだ。

瀑布図 これはいい構図。大きくうねり降りる滝と突き出た岩舞台で滝見を決め込む人々。墨だけで涼しさが伝わる。

宣戦詔勅 1904年、日露戦争の明治天皇の詔勅を書き写し、それを近藤家に贈ったようだ。
そのあたりの感覚がイマイチ現代人にはわからない。

最後に書簡やそれを貼混屏風にしたものが出ていた。
近藤家との密接な関係がよくわかる。
意外なくらい面白い内容の作品が多いのも、近藤家との関係の深さを示しているようだった。

8/21まで。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア