美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

角川映画の40年

角川映画が40周年記念だという。
なるほど「角川映画第一弾」の「犬神家の一族」は1976年だった。
見に行きはしなかったが、大ブームになり、小学生のわたしたちは見てもいないのに、やたらと映画の端々のシーンを覚えたりした。
つまり、TVでよく宣伝されていて、そのシーンが印象に残り、今も活きているということになる。

「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーがある。
映画と角川文庫のタイアップは大成功した。
わたしなどは映画館にめったに行けなかったから、大方は「読んでから見るか」のクチだったが、高校生になると「見てから読むか」になった。

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1976年当時、子供心にも日本の映画界はアカンなあ、と思っていた。
わたしは映画館には行けなかったが、TV放送される映画は洋画邦画共によく見ていた。
図書館に行っては小学生のくせに許可を得ておとなの図書コーナーでよく本を読んでいたし、ついでに雑誌もよく見た。
そうした中で情報として「今の日本映画界はアカンなあ」というのが耳に入り、自分で観たり読んだり調べたりする中で「・・・アカンなあ」と実感するようになっていた。
そんな中での大ヒットである。

確か東宝系で上映されたと思う。
梅田に出ると石坂浩二の金田一耕助の憂いと驚きを含んだ顔と、助清の白い不気味な仮面と島田陽子の横顔のパネルやポスターをみた。
そして何より印象的なのは湖面から突き出た2本の足、スケキヨならぬヨキケスの足である。
あの印象がもう本当にスゴくて、今に至るまでシンクロナイズドスイミングを見ては「助清だ」と必ず思うのである。
犬神家が成功して、横溝正史ブームが来た。
松竹が渥美清で時代を現代に変えて「八つ墓村」を上映し、こちらは「たたりじゃーっ」が小学生の間で大ブームとなった。
角川映画ではないが、とにかくヨキケスと「タタリじゃー」は二大ブームとなり、いよいよ横溝正史は大ヒットした。

そして角川映画は更に横溝作品を映画化する。文庫も出す。コマーシャルもバンバンする。
「悪魔の手毬歌」「獄門島」といった大作がヒットし、やがて角川事務所はTVドラマで「横溝正史シリーズ」を放映し、これがまたヒットする。
わたしなどはもう完全にそのブームにハマッたクチで、今も手元に角川文庫の横溝正史ものが20冊以上あるし、更に繰り返し読み耽ってもいる。
つい先週も「女王蜂」を何度目かわからぬ再読をしていたところだ。
TVシリーズはもう本当に大好きで、あちらも再放送があるたびにドキドキしながら見ているし、映画の放送があればやっぱり喜んで見ているのだ。
こんな観客はわたしひとりではない。
わたしのような客は少なくないのだ。

延々と角川映画の横溝ものについて書いているが、やはりここから始まったのは本当に良かったと思う。
そして一旦目先を変えて今度は森村誠一の著作が映画化され始めた。
まず「人間の証明」である。

この「証明」シリーズは「人間の証明」「野生の証明」がやはり爆発的にヒットしたが「青春の証明」は映画化にはならずTVだけだったと思う。
話としては悪くないが、やはりあの意味不明なほどの強い押しがそこにはなかったのだ。
そして「人間」「野生」はどちらも映画化ありきで作られたのだった。

「人間の証明」は西条八十「帽子」が作品の基調となり、英訳された歌詞がテーマソングになり、出演もしたジョー山中がせつなく歌い上げ、これもとてもヒットした。
大体この時代に活きていた日本在住者は♪Mama Do You Remember・・・ で始まるあの歌を忘れることはないのではなかろうか。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ 夏、碓井から霧積にかけて・・・」
今想うだけで胸が熱くなる。

「野生の証明」は薬師丸ひろ子のデビュー作となった。
コマーシャルで「お父さん怖いよ・・・何かが大勢で来るよ」と言う闇の中の彼女の顔、そして高倉健のシブイ声で「男はタフでなければ生きてはいけない、優しくなければ生きている資格がない」というコピーが耳に刺さったところへ、町田義人の歌がかぶり、大群が・・・
ああ、かっこよかったなあ。

そして1979年の春休みに珍しく東映から「悪魔が来りて笛を吹く」が上映されたが、この金田一は西田敏行だった。
わたしはこの映画を祖母とオジに連れて行ってもらって2回も見、それで完全に横溝正史の信徒になったのだった。

実際に何度読み返したかわからない。
舞台は東京だけでなく淡路島と須磨と神戸新開地とそして闇市である。全てがわたしの憧れの地となった。
いまだに淡路島の島影を舞子辺りから見るだけで「悪魔が来りて」を必ず想うし、何度も須磨に行っては「玉蟲伯爵の別荘はこの辺りだったのかな」とついつい探すし、闇市への憧れが非常に深く強いまま、今も胸に活きている。
そして華族の邸宅の美。

角川映画で最も熱狂したのはわたしの場合、横溝正史シリーズであり、角川映画がなければ横溝正史を知ることもなく、40年後の今も横溝大好きではいなかったのである。
角川映画・角川文庫はわたしに横溝正史というイコンを与えてくれた恩人なのだった。

延々と書いてきたのは角川映画への感謝の気持ちに他ならない。
今更のようだが、何故これを書いているかというと、フィルムセンターで「角川映画40周年」展が開催されていて、それを見に行ったからだった。

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この展覧会で初めて知ったことがたくさんあった。
話を又戻すが、角川春樹は横溝正史を売り出そうとするに当たり、「ご遺族に許可を」と出かけたら、当人に会うてびっくりしたそうである。
忘れられた巨匠だからだ。

この辺りのことは横溝の書いたエッセーにもあるが、横溝も晩年にこんなブームが来てびっくりしたそうだ。そんなだから金田一の活躍するのは戦前の「本陣殺人事件」、そして敗戦後の大作から小品まで大体昭和30年ほどまでで、そこで沈黙してしまったのだ。
しかし角川春樹はそれを埋もれたままにさせず、まず低予算のATGで「本陣」の映画化を成功させ、それで「野生時代」に「病院坂の首縊りの家」を連載・完結させた。
これが「金田一耕助最後の事件」となり、昭和28年と昭和48年の2つの時代を主舞台とした物語として完成した。
更に横溝は単行本化されるにあたり手を加え続けたそうだ。
横溝の作中でも名品の一つだと思う。
角川春樹は更に横溝に「仮面舞踏会」「悪霊島」を書かせたのはやはり凄いと思う。
晩年になり物凄いブームを迎え、そこでまた本人も頑張って大作を書き残した。
角川春樹の剛腕はこの時代、本当に素晴らしかった。

森村誠一が国民的作家になったのも角川春樹の強い押し・推しがあったればこそで、後年角川春樹が角川書店から逐われたとき、森村誠一はその恩義を裏切ることはしない、と支援を表明したのを覚えている。
それから大藪春彦。「蘇る金狼」、歌もカッコイイし、なにより松田優作のカッコよさにシビレた。
「野獣死すべし」は怖かったな。原作より映画の方がずっと怖かった。
「リップ・ヴァン・ウィンクルをしってますか」あの表情・・・!

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場内ではポスター、脚本などのほかに当時の映画の宣伝フィルムが流れていた。
「汚れた英雄」のレースシーンが流れていた。
「北野晶夫、教科書とは無縁の、その名を僕らは忘れない」
これがコピーだった。そして類まれな美貌の草刈正雄がヤマハのバイクに乗っている。
わたしはこの映画を見に行った。
小学校低学年の頃からわたしは三國連太郎と草刈正雄に溺れていたのだ。
この映画は1983年の正月映画だった。やっぱりこちらも魅力的な真田広之主演の「伊賀忍法帖」と2本立てだった。
本当に綺麗だったなあ、草刈さん。

草刈正雄で角川映画と言えば忘れてはいけないのが「復活の日」である。
これは興行的にはよくなかったそうだが、南極ロケで、しかも途中船が座礁したとかどうとかニュースもあり、とても心配していたのだ。
珍しくこの映画は中学の時に見に行けた。
今はない阪急シネラマ劇場?だったと思う。
先般、生賴範義回顧展でも「復活の日」ポスターを見て涙ぐんでしまった。
テーマソングもジャニス・イアンで素晴らしい曲だった。
今でもyoutubeで聴く度に感動する。

「幻魔大戦」の紹介もある。このときに大友克洋をキャラデザインに起用したのは本当に凄いことだと思う。
映像を見ても懐かしさはまるでない。今もしばしば見ているからというのもあるが、古さのなさがすごい。金田伊功のあの動き・・・!映像も音楽も本当に良かった。

アニメではほかに「少年ケニヤ」が紹介されていた。
このときキリンレモンとタイアップしてグラスをプレゼントしていた。
現物は1984年以来、わが家の2階の洗面所に鎮座ましましている。
山川惣治もこの映画化で息を吹き返した。
この後山川は「十三妹」の絵物語を連載し現役復活した。




興行的には大してよくなかったそうだが、作品の良さが今も語り継がれるのが、和田誠監督の「麻雀放浪記」だった。
全編モノクロ、焼け跡の東京の町に真田さん、鹿賀丈史、加藤健一らがカッコ良くもナサケナク、博打に精出していた。
最後に高品格がいい手で上がろうとしたのにそのまま死んでしまう。
卓を囲んでいた三人がその死体を家の近くへ運んで捨てるが、三人それぞれの「言葉」がよかった。
かっこよかったなあ・・・

わたしはゲームをしない人間だが、この映画に惹かれて麻雀を覚えようとした。が、いまだに覚えられないままだ。
ただ、この映画を契機に麻雀漫画が大好きになり、今も「天牌」「アカギ」「むこうぶち」などを熱心に読み続けている。
この映画を見なければ無縁のままだった。
ありがとう、と言いたいことがここにもある。

角川映画は続く。
「Wの悲劇」「二代目はクリスチャン」「蒲田行進曲」「時をかける少女」のポスターをみる。
色々と面白かったことを想う。
映画のキャッチコピーや台詞がいくつも蘇ってくる。
「青春は屍を越えて」「かい・・・かん・・・!」「顔はぶたないで!女優なんだから」・・・
テーマソングもいいのが多かった。
そのことに触れれば、もう一本別項で書いてしまえる。

無限に思い出すことがある角川映画。
こちらは世相と上映の年譜。昭和の話。
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ありがとう、角川映画。
わたしは昭和の一時代だけの観客だったが、角川映画のおかげで好きなものが増えた。
今もとても好きなままだ。
角川映画がなければ邦画はどうなっていたことか。
ありがとう、角川映画。
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