美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

科學で樂しむ怪異考 妖怪古生物展

大阪大学総合学術博物館というところがある。
ご存知の方は「おお♪」となるが、知らない方は「あるんだ」と薄眼を開けるだけだろう。
無料の博物館である。
これまで開催された企画展はいずれも面白いものばかりで、これだけの内容で無料なのかと驚くことも少なくなかった。
また常設展のレベルの高さたるや「さすが懐徳堂の血脈」に始まり賛辞が次々浮かんでくる。そして「やっぱり手塚治虫の母校やなあ」とわたしなどは感慨にふけるのだ。
その「手塚と阪大」の関わりをクローズアップした展覧会が五年前にここで開催されている。当時の感想はこちら

今は夏季特集展覧会「科學で樂しむ怪異考 妖怪古生物展」が開催されていた。
まずこのチラシのロゴを見ていただきたい。
イメージ (29)
オドロオドロな書体である。しかもご丁寧に旧漢字。それだけで古い紙の匂いがするようではないか。
そしてその文字からもモノノケハイがたちこめる。
とはいえここはさすがの大阪大学。
単なるオバケ・妖怪展ではない。
チラシの一つ目爺とダブルイメージにある骨、これが実はこの展示の中で重要な位置を占めているのだった。

サイトにある概要を以下に写す。
「この展覧会は、古典や伝承に登場する神や妖怪といった非日常的な存在と「古生物学」という学問を結びつけ、空想と科学の垣根を超えた科学の楽しさを提供します。近畿圏をはじめ日本や海外から集められた約100点の貴重な化石と骨格標本を公開し、最新の研究成果とともに展示します。また、浮世絵や絵巻物などに描かれた妖怪と見比べながら、実在した絶滅生物と空想生物の謎に迫ります。」

そぉなのかと安易なわたしは蝉しぐれの中、坂を上りここへ来た。
この辺りは待兼山の一部になるからか、蝉もミンミンゼミが鳴いていた。
同じ市内でもわたしのあたりはアブラゼミとクマゼミである。


モダンな近代建築の中に入ると、マチカネワニの実物大模型が壁に張り付いている。
これを見てから階上へ。

展覧会の見どころはこのように書かれている。
「本展の見どころは、まず龍に例えられたゾウやマチカネワニの化石です。豊中市蛍池から見つかった約40万年前のステゴドン象の牙、三重県津市から見つかった約350万年前のワニとシカ角など実物の化石を展示し、それぞれの化石がなぜ龍に例えられたのか解説します。また、一つ目巨人を連想させるアケボノゾウや、グリフォンと信じられていたプロトケラトプス(恐竜)の複製頭骨を目の前で見ることがでる貴重な機会です。さらに、双頭のウシの骨格標本や島根県松江市で見つかった約2000万年前のシカ類の化石など、最近の発見を研究論文とともに初公開します。」
やはり学術博物館なのである。

今回の展示には最新の研究成果をまとめたパンフレットがついており、どの論文もたいへん興味深い内容だった。

イメージ (30)

第1章 古来の人々が目にした竜
大胆な仮説というか、わたしのアタマでは考えてこなかった内容がここにある。

ワニの化石と鹿の角、これがもし同時代に同時に発掘されたならば、というifの前提がある。もし発掘されたなら・・・2件を別個のものと考えるよりも、2つを結びつけた考えを示す方が多いのだ。
だからここでこんな数式が成り立つ。
ワニの化石+鹿の角=竜。
字面では「はぁ?」かもしれないが、ここにある骨の模型を見ていると、強い同意と納得がゆく。
肉がついた状態では「ワニの奴、なにを鹿の角、アタマに着けてんねん、おまえはせんとくんか」とツッコミを入れたくなるが、さてこれが骨になると途端に「あっ竜!!」になるのだ。
誰も本当には竜の姿を見ていないはずなのに、その姿のイメージを共有している。
だれかの絵から「!」となったのではなく、恐らく古代の頃からなにかしら共有するものがあったのだ。

竜には角があり、胴体は蛇体であるが、蛇体と書くとなにやらイメージがよくないのに、竜=王者という東アジアの公式認識があるので、だれも竜の胴体を蛇体だとは言わない。

ナウマンゾウの化石が野尻湖から出て来たり、明石ゾウの化石が明石の海岸べりからたくさん出土してきたことから、ゾウが日本にものしのしと足を延ばしていたことを知った。
現行のゾウと彼らやマンモスとはまた違うわけだが、こんな極東にまでご苦労なことだった。いや、当時は「極東」ではなかったのだ。
ゾウの化石を見ながら往時、道があったことを想う。

さてチラシの怖そうな骨はアケボノゾウの頭骨である。
そしてそのゾウの骨は漢方の生薬として使われていたらしい。
尤も日本ではそれを薬には使わなかったようだ。

ゾウの歯の化石もとても大きい。ゾウも種類によってはブタくらいのものもいたそうだが。
この歯の骨で思い出すのが古事記にも出るイチノベノオシハノミコの歯の事である。
古事記では市辺之忍歯王と表記するが、名に「歯」があり、巨大な歯の持ち主だったらしい。それが近江に埋められていた。
石川淳はそれも題材にして「狂風記」を描いた。

骨はまだある。
メガロドンの骨、これを「天狗の爪」として大事にしてきた人がいるそうだ。
木内石亭「雲根志」にその紹介がある。本が開かれていて、説明を少し読む。
木内は石マニアで、塾では木村兼葭堂と同門。更に江戸に出てからは平賀源内とも同門になったそうで、同時代にこんな人々が集まるとは面白い「偶然」が起こるものだと思った。
なお、源内の戯作「天狗髑髏鑑定縁起」ではイルカの骨をモデルにしていたそうだ。

第2章:伝承と古生物
ここでも両目が開かれるような内容が続く。

牛鬼の絵がある。見慣れた牛鬼は顔は牛+鬼で胴体は巨大なクモのようである。
「ガウル」という野牛によく似ているそうだ。わたしは知らない。
そのガウルはインドからマレー半島に生息している。
牛鬼の伝承は瀬戸内海が中心だという。そしてその界隈にはガウルに似た牛の角がよく出土していたそうだ。
何もないところから話が始まることは少ないが、何かあるところから話が始まるのは普遍的な状況だ。
わたしはなるほどそうなのかと納得する。

ヤギ、シカ、ガゼル、キョンの頭骨が並ぶ。ああ、角があるなと思う。ただしこれらが生前の肉付きを見知っているからこそ「ああ、偶蹄類・奇蹄類の奴らだな」と認識し、角があっても不思議にも何にも思わないのだが、この骨を見て古代人は「あっイメージが違う、こわいやん」と思った可能性が高い。だからこそ古代祭祀の場で骨を面として使った形跡があったりするのだろう。畏怖させるためには角が(異形の者への恐怖)が必要でもあったのだ。

拵えものだと思うが「鬼のような装飾品」というものが出ていた。
小さい頭蓋骨のサイドに角が付けられている。
なるほど鬼に見えなくもない。

ここで面白い提示がある。
偶蹄類・奇蹄類はみんな角があるが草食なのに、その角によく似たものをアタマにつけた鬼はイメージ的に肉食だ、ということ。
・・・そうやなあ、そのとおりやわ。鬼は人を喰うイメージが強い。
純正の鬼(!)の他に「吸血鬼」「人食い鬼」「殺人鬼」と鬼のつくのを並べたが、みんな人の死を招く存在だった。

面白い見出しがあった。
「いなばのナキウサギ」
大黒様が助けたったのは「因幡の白ウサギ」である。唱歌にもそう歌われている。
北斎の「新形三十六怪撰 大黒天と白ウサギ」のパネル展示もある。
12頭の鰐と泣いて訴える白ウサギと大黒様である。
ワニの描写、いいなあ。
16082601.jpg

初期のナキウサギは絶滅し、次に奄美黒ウサギが現れ、やがて日本の白ウサギが登場するそうだ。
時代がもっと古いならナキウサギが更に泣きわめきながら大黒さんに訴えていたことだろう。
ナキウサギの方が古体というのも面白い。
わたしが知らないだけ、なのだろうが。

キメラについての考察があった。
鵺 ぬえ、である。
ここで非常に衝撃的な論文があった。
「頭が猿や猫、胴が虎、手足が狸、尻尾は蛇」というのが鵺だとされている。
これらは源平盛衰記の記述に拠るのだが、ここでびっくりしたのは、これらの特徴を見せる動物といえばレッサーパンダだ、と結論づけられていたことである。
荻野さんという方の考察なのだが、わたしはひっくり返りそうになった。
れれれ(レレレのおじさんでもレレレの娘でもないぞ)、レッサーパンダがぬーーーえーーー
頭が猿や猫、胴が虎、手足が狸、尻尾が蛇・・・
うーむうーむうーむ

これで思い出したが、むかし「あらいぐまラスカル」が放送されていた頃、上野動物園では本物のアライグマをモデルにしたものより、色の派手なレッサーパンダのぬいぐるみの方がよく売れたそうである。
新聞でそれを読んだとき、子供心にも納得したものだ。

そうか、レッサーパンダは鵺だったのかっっっ
しかも色々と調べると鮮新世(350万年前)ではアジアでヒトサイズのレッサーパンダがいたかもしれない、とか。
(実際にはバイカル湖から大型レッサーパンダの化石が出ているそうだ)
うーむうーむうーむ、なんだかすごいぞ。
これではササイなクマどころではないがな。
二本足で立つレッサーパンダの風太くんとその子孫を思い出すねえ。

浜松に三ヶ日町というところがある。
ここは池波正太郎の作中では日本駄右衛門のアジトの一つであり、ここをいち早く探索した徳之山五兵衛が一味を捕縛するきっかけを得た村である。

さてその三ヶ日町、ここにその名も「鵺代」という地がある。
そこからトラ、ヒョウ、ゾウ、タヌキ、キツネ、サルの化石が出土しているのだ。
そしてこれらを足したら・・・ぬーーーえーーー
スゴいな。

「鵺」の骨集めがあった。
虎は猫で代用している。小さめの動物だが、ぴったりである。びっくりしまんがな、頼政さん。

岡田玉山「絵本玉藻譚」が出ていた。
これは金毛九尾の狐が妲己にとりつくというか、とってかわるところから話が始まる。
そしてその章題がそのまま太田記念美術館でもみた絵にあったりもする。
当時人気の物語の一つである。

この九尾の狐、ヤマタノオロチなどは多胎のもつれのようで、ここで双頭の牛の骸骨と剥製が出てきた。
非常に怖かった。素直に怖い。
先般姫路で「くだんの剥製」をみたが、あれとは違う異質の怖さがある。
ケルベロス、ヤマタノオロチ、阿修羅までもがその仲間入り。

最後に描かれた妖怪たち

山野守嗣 猫大明神 探幽の写しらしいが本物を見てない。瓜の上にお猫様が烏帽子かぶって鎮座ましましており、その瓜を恭しく曳くネズミたち。

百鬼夜行の模本が二点出ていた。みんなやっぱり写したくなるのだ。

ヤマタノオロチで更に面白い考察があった。
浮世絵などに描かれているヤマタノオロチは洪水のイメージから来ているが、古事記の原文では火砕流イメージだという話だった。しかし長らく水のイメージがあった。
しかし今ではもう洪水ではなく火砕流イメージが強くなっている。
それについては寺田寅彦が1933年に刊行した「神話と地球物理学」が嚆矢だったそうだ。

たいへん面白い展覧会だった。
考えもしなかったことが次々とあらわれ、脳の薄皮が一枚剥がれたようである。
今日までの展覧会、間に合ってよかった…
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア