美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

没後25年 中川一政展 心の太鼓が鳴りわたる

香雪美術館で中川一政展をみた。
もう没後25年らしい。
力強い絵を晩年まで描き続けていた。
タブローだけでなく、本の装幀や挿絵にも名品が少なくなく、忘れることのない画家のひとりなのだ。

いきなりやきものが現れた。多彩なのでなんでもチャレンジし、なんでも中川作品になる。
武骨なような外観も中川一政らしくていい。
イメージ (69)
割れたのを黒漆で継いでいて、その銘が「蘗 ヒコバエ」だというのもいい。
そうヒコバエとは樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことをいい、見た目をそのように表現するところに中川のセンスを感じさせられる。

全体的にとても力強い作風であり、それはどの方面でも変わることがなかった。
書も力強く大胆で、挿絵も高名な「人生劇場」の青成瓢吉、吉良常、飛車角などを思い浮かべると、立派な背骨が通っているのを感じる。

今回の展覧会で中川の出発点が詩歌からだったことを初めて知った。
彼の随筆の面白さはよく知られているが、若山牧水、与謝野晶子らの知遇を得ていた若き詩人だったとは思いもしなかった。

珠玉のような言葉、それをあやつる詩人。
驚きはしなかった。あの随筆の面白さも頷ける。

所々に中川の言葉がある。
「画の勝負は美しいとか醜いとかいうものではない、生きているか死んでいるかが問題だ」
1975年「腹の虫」より。
なるほど、確かに中川の絵は生きている。
たとえ死んだものを描いたとしても中川の絵では生きていそうな力がある。

若かった中川は詩の関係で芦屋に来てその地の富豪の世話を受けていた。
その時、既知の三島丸のコックさんから「お土産に何がいい?」と訊かれ、何の気なしに絵の具がいいと答えたそうだ。
三島丸は世界を旅し、帰ってきたコックさんは中川にお土産に約束の絵の具をくれた。
それは英国・ニュートン社の絵の具で世界最高の絵の具だった。

その絵の具を使って描いた「酒倉」は21歳の中川の鮮烈なデビュー作となった。
1914年、深江辺りの酒蔵を描いた絵。屋根は角煮色、すぐ下の壁面に白のラインが入り、黒壁。
この絵は岸田劉生に激賞されたそうだ。

若い頃の絵はもう一枚。
春の川 1923 神田川をモチーフにしたもの。一目見てゴッホの「アルルの跳ね橋」を思わせるような橋が画面左寄りにある。油彩だがどこかクレパス風な色彩。
この頃の中川はゴッホとセザンヌの影響下にあったそうだ。

中川は劉生の影響にも縛られていたそうだが、彼が京都へ移ったことでその影響下から脱出できたという。
劉生の強烈な個性は多くの人を覆い、そこから逃れるのに苦しい葛藤を引き起こすほどだった。

少年顔 1951 16歳の三男・菊之助を描いたもの。白帽に黄色い顔の少年。中川のお気に入りモデルだったが、わずか24歳でなくなったそうだ。
輪郭などを見ていると青成瓢吉を髣髴とさせる。

シャープな線、リアリズム、アカデミズムと言ったものからは遠く離れた絵である。
精神の在り方と連動して筆が力強く動く、そんなイメージがある。

洋行した中川はマヨルカの壺・花瓶に魅せられ、大量に買い込んだそうだ。
それらは彼の絵のモチーフになり、花の絵を描くときには必ず花を生ける花瓶になった。
花は椿や薔薇が多く、それらを好んで描く中川の気持ちも伝わってくるようだ。
大きな花弁の明るい花。力強い中川の筆は型崩れもなんのその、明るい色彩を強く濃く塗って、花とマヨルカの壺とを引き立たせる。

ヒマワリを描いたのは二枚。
73年のは、ゴッホとセザンヌの影響をこれだけ受けたのだ、ありがとう、ゴッホ、セザンヌ、と礼を言ってるように見える絵だった。トルコブルーの地にどーんっとヒマワリが咲いている。実は切花なのだがそんなことを考えさせず、花はマヨルカ壺から元気よく伸びだし、首を折れてぐったりしているのも、ある種のナマナマしさを見せている。

82年は朱地に群青を塗りつぶして力強く花が咲いていた。

展示作品の大半は1970年代から80年代のもので、中川のエネルギッシュさが満ち満ちたものばかりだった。ひとつとして静かな絵はない。

駒ヶ岳 信州のではなく芦ノ湖の近くの山で、空が三色くらいの青で構成されていて、そこに苔緑色の山がカニのようにのさばっている。凄い迫力。

こうした力強い絵を描いていると、額縁までも通常では立ち行かなくなった。
チューリップ 1985 描いてから木枠を張りそこに飾り絵を入れた。
描き表装ならぬ描き額縁。

阿吽 1983 イメージ (68)
向田邦子「あ・うん」の表紙は将にこの中川一政の絵だった。
向田邦子は熱烈な中川ファンで、旅行から帰ったら速攻で中川と一緒にお出かけする約束をしていたのだが、帰って来れなくなった。今頃は中川、久世光彦、森繁久弥らと仲良く過ごしていることだろう。

李白の詩を絵にしたもの、先人の言葉を写したものなどもいい味を出している。
その中でも特によかったのは文楽のカシラを描いたもの
「われはでくなり 遣われて踊るなり」 強い意思表示を感じた。木偶と言いながらも。

アイリスと金盞花 岩絵の具で洋風に描いている。それぞれがマヨルカの瓶にいけられているが、これを見て舞台役者のようだと思った。存在感が半端ではない。

鉄線花・枇杷 こちらも舞台役者のようで、ただし世話物。そんな風情がある。

大きなタイやアジの絵もあれば、扇面に可愛くふくら雀の絵もある。
唐津焼も織部も拵える。無骨な茶杓もある。
火野葦平「麦と兵隊」も出ていた。タバコの火を貰う絵。

なにもかもがしゃべりだしているような絵ばかり。決して静かなものはない。

お正月の歌会始でこんな歌を詠んでいる。
若き日は馬上に過ぎぬ 残る世を楽しまむと言ひし 伊達の政宗あはれなり
「馬上少年過ぐ」だな…

晩年にはこんなのもある。
もしや我 死んでいないか 新聞の死亡広告 みる時あり
ブラックユーモアと見ていいだろうか…わたしは笑ったが。

なお白山市の中川一政記念美術館でも記念展が開催される予定。
イメージ (70)

イメージ (71)

最後に一つ。
中川一政は石井鶴三と仲良しだったが、その交友の中で鶴三が愛犬にべろべろ舐められて喜んでいるのを見て「鶴三は長生きするだろう」と書いているのがおかしくてならないのだが、そのエピソードが入っているのはどの本なのかがわからなくなっている…

10/23まで。
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