美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

森鴎外記念館へ行く  「舞姫―恋する近代小説」展

東京には多くの坂がある。
坂をタイトルにした物語や歌もある。
その中でも団子坂は明治以降の物語が特にいい。

乱歩の「D坂の殺人事件」には団子坂の途中にあるカフェが出てくるが、その店はとても魅力的だし、作中にあるように団子坂ではかつては菊人形も盛んだった。
12年前に文京ふるさと歴史館で「菊人形今昔-団子坂に花開いた秋の風物詩-」展も開催され、その展示資料を見て「団子坂って素敵だな」と思ったものだった。

さて今の団子坂はどうか。
千駄木駅から地上に出て団子坂上へ向かって歩き出すと、おいしそうな安納芋のお店、飴細工のお店などがある。
団子坂上からちょっと路地に入って暫く行くと、金土日の3日だけ開館の岩田専太郎コレクションの「金土日館」がある。
そこから降りて行けば日本医科大や根津神社に出るが、そのまま団子坂を進むとすぐに森鴎外記念館につく。
鴎外が30年住んだ旧宅「観潮楼」の跡地にこの記念館がある。
2012年の秋に開館して、これまでずっとすぐれた企画展を開催している。
今の団子坂には、この森鴎外記念館が活きているのだった。

根津や谷中はよくフラフラ歩いてきたのに千駄木にはあまり縁がなかった。
しかしこの記念館が出来てからはわたしもしばしば訪ねるようになり、団子坂を登る楽しみを知るようになった。
「D坂の殺人事件」に現れるようなカフェにはまだ出会っていないが、この辺りを歩くとなんとなく嬉しくなる。
地下鉄だけでなくめぐりんバスで東博や東京藝大から行くことも出来る。
どちらも千駄木で降りて、団子坂を気軽に登ればいい。

今回の展覧会は「舞姫―恋する近代小説」展で、わたしが見たときは「Part.1告白する青年たち」だった。
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今はPart.2になった。
展示の狙いをサイトから引く。
「パート1では、坪内逍遙『当世書生気質』や二葉亭四迷『浮雲』などに見られる恋愛と、その直後に現れた『舞姫』の意義を探ります。パート2では、尾崎紅葉『金色夜叉』、夏目漱石『虞美人草』など明治中後期の作品に語られる恋愛、そして『青年』『雁』などの鴎外作品の中の恋愛の変化を紹介します。
パート1、パート2、二つの展示を通して『舞姫』という作品が近代文学史の中でどのような役割を果たしたのか、当時の評価などに触れながらその魅力に迫ります。」 

恋愛、という言葉は明治になってから生まれたようだ。

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展示されていたのは明治20年代を中心とした作品だった。
正直なところタイトルと作者は紐付出来ても、わたしはここにある作品を読んでいない。
「小説神髄」「当世書生気質」「浮雲」…
同じ「浮雲」でも戦後に林芙美子が書いた「浮雲」は特に好きなのだが、二葉亭四迷のそれとは無縁のままだ。
四迷よ、スマヌ…

作品論ではなく、こうした作品がその当時生まれていたことを教えてくれる展示。
そして彼らから鴎外に送られた手紙の数々。
尾崎紅葉、山田美妙、坪内逍遥からの書簡。
全体をみてみると、鴎外は本当にこまめな働き者だ。世話焼きさんと言ってもいいのではないだろうか。

「文づかい」の挿絵があった。原田直次郎である。これを見ることが出来たのもたいへん喜ばしい。
先般、原田の回顧展があり、鷗外らが開催して以来の展覧会だというのを何故だか嬉しく思った。

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恋愛は恋愛でも壊れてしまった恋愛を書いて大ヒットしたのは尾崎紅葉だった。
ここにはないが「金色夜叉」はやはり旧幕時代の戯作ではなく、明治の近代小説だということを改めて想う。
カルタ取りから恋愛関係が始まるのはこの当時よくあることだったようで、里見弴「極楽とんぼ」でもそのあたりの様子が書かれている。
ただ、これらは日本国内の都市での恋愛なのだ。

明治半ばからは国費・私費で留学生が主に欧州へ出て行った。
鴎外「舞姫」の主人公・太田豊太郎は留学先のベルリンでエリスと出会う。
その悲惨な(といってもいい)恋愛の顛末がそこにある。
日本人留学生は現地でその場限りの恋愛をしては、彼女らを捨てて帰国の途に就く。
欧州の娘たちはエリスのように狂うものもあれば、シングルで子を育てるものもあり、痛手を抱えながらも身を引くものが少なからずいた。
荷風の手の切り方などは巧いし卑怯だが、最初から別れることを口にしている、という点ではまだましなのかもしれない、たとえ卑怯であっても。

「舞姫」の豊太郎は結局自分では何も出来ず・どうにも出来ず・日本人の友人らに助け出される形でエリスを捨てて、帰国する。
ラストの一文を読んだのは中学の時だったか、あれから数十年経った今も同じ感想しか持っていない。

「舞姫」発表時の評論家らの反応も興味深い。中には支離滅裂だと言うのもあったが、それすらも面白く思う。
つまりそれはその当時の倫理観のあらわれでもあるからだ。
そして男性の眼と女性の眼の違いなどを考える。

谷口ジローに『「坊ちゃん」の時代』という佳作がある。原作は関口夏央。
第二部「秋の舞姫」では鴎外を追って日本に来たドイツ女性Eの静かな意思の強さが描かれている。
彼女は史実によると1888年 9月12日に到着している。
これを読んだとき、少し救われた気がしたが、どちらにしろそこには別れがある。

明治の恋愛小説で幸せになった恋人たちというのはいるのだろうか。
わたしが主に読むのは泉鏡花だが、こちらも何とも言いにくい。
明治の小説は、恋はしてもそこまでで、あとは無念の別れしかないような気がする。
恋愛ともいえぬ、それ以前の感情の流れがある「たけくらべ」などもそうだった。
いや、もしかすると、愛が成就すると作品は成立しないのかもしれない。
そして第二次大戦前までの混血の子どもは父が日本人で、敗戦後は母が日本人という状況が多い。
・・・などとよけいなことを考えている。

「舞姫」は今日に至るまで忘れられることのない作品として世にある。
2006年に実相寺昭雄監督の遺作「シルバー假面」が上映されたが、タイトルロールのシルバー假面の正体は森鴎外とエリスの間の娘・ザビーネという設定だった。
これはそそる設定だと思う。

「舞姫」の自筆原稿を見ながら様々なことを思って歩いた。
それが許されるような環境がこの鴎外記念館にはある。

もう一つ別な展示がある。
夏目漱石―「うつくしい本」への探求

漱石と鴎外はやさしい気遣いをみせあう書簡を残しているが、あまり親しくもなかったそうだ。
とはいえお互いの仕事を尊敬しあっていたようである。

漱石の本の装幀の美麗さは、「鏡花本」と双璧だと思う。
どちらも甚だしく美意識が高く、方向性は違ったものの妥協をしないのは共通している。
展示されているのは「猫」「虞美人草」「道草」などで、いずれも魅力的な様相を呈している。
眼に楽しい本の数々を見るのは幸せだ。

ところでこれまで何度もここへきて佳い企画展を見ているのに、なかなかその感想をまとめることが出来なかった。
怠惰さが情けないのだが、終了前日などに行くとやはり書けない。
今回も大したことは書けていないが、それでも挙げることが出来てよかった。

なお次回の企画展は待ち望んでいた即興詩人展。
高橋裕人さんからツイッターで、安野光雅さん描く即興詩人の絵が20点ばかり来ると教えていただいた。
「文して恋しく懐かしき君に ―鴎外、『即興詩人』の10年―」
とても楽しみである。
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