美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

生誕130年 藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

藤田嗣治の展覧会が兵庫県美術館で9/22まで開催されている。
以前のことを思えば信じられないような数のフジタの絵が集まっている。
イメージ (29)
1929年の自画像 猫が手首と肘のV空間にえらそぉな顔を見せている。
フランスの猫だが、日本にいる奴らと変わらない。
テーブルには硯と墨、たくさんの筆、マッチ箱、
彼らの背後には二枚の白人女性の横顔。グラン・ブランの時代、何をやっても何を描いても全てうまくいっていた藤田の時代。

美学校時代の絵を見る。アカデミックな表現で、この頃はやはりまだまだ模索中なのだということを改めて思う。全く異なる方向へ表現が変わってゆくのだから、やはり出発点の絵はきちんと見ておかなくてはならない。
婦人像と自画像と。もう百年以前の作品。

さてフランスへ行きました。友人も出来、まだ完全な技法を身に着けていないものの、いい絵が生まれ始める。
スーチンのアトリエ 1913 ランス美術館 寒々しいが、しかしそのアトリエのある建物の構造に惹かれた。中庭があり、階段が巡り、ドアへ向かう。
少し上の階から見おろしたような構図で、建物そのものへの関心が湧いてくる。

トランプ占いの女 1914 水彩 徳島県立近代美術館  ピカソがほめてくれたそうだ。
「東洋の立体派」と。そう、この絵はキュビズム。

ル・アーヴルの港 1917 横須賀美術館 これをみると小杉小二郎のシュールな地下鉄風景などを思い出す。本当は小杉の方が後世の人だが、それでもそんなイメージがある。

後世の人のイメージの方が強くて、というのは他にもある。1910年代の藤田の彩色画は斎藤真一のゴゼさんたちを思い出させる。

この頃の絵は色彩を色々使っていてもわびしいような寂しいような趣があり、気がめいるまではいかないが、うらぶれたような心持になる絵が多い。
色数の少ないグランブランが華やかなのに対して、色彩を遣っていてもこうなるのは、晩年にいたるまで変わらない。

いよいよグランブランの時代に入る。
まず東近美の「五人の裸婦」が現れた。
正直な話、裸婦の肌の白さよりキジネコの可愛らしさにヤラレテ、いつも猫にばかり微笑んでしまうのですよ。
「座る女性と猫」などもタビネコさんを見るばかり。
「人形を抱く少女」もそう。ミニスカートの人形と白猫と。

そしていいエピソードのある絵が現れる。
エレーヌ・フランクの肖像 1924 この年17歳になるエレーヌという娘さんは画商フランク氏の令嬢で、この人がお父さんへのプレゼントに自分の肖像画を藤田に頼んだ。
藤田は娘さんのそうした気持ちが嬉しくて安価で引き受け、この絵を描いた。
で、エレーヌは「パパ、プレゼント!」と渡したが、中を見てびっくり、値段を聞いてビックリのフランク氏は速攻で藤田のもとへ向かい、倍額の金額を支払ったそうな。いい話だなあ。

上流階級の人々を描く藤田。
上品な少年少女の絵もあれば、優雅な貴婦人の絵もある。

一つ面白い絵があった。
十人の子供たち 唐子と西洋人の子どもらがなんだかんだと遊んでいる。しかし至って静か。平面的な絵で、不思議なシュールさがあった。

二人の女たちの仲のよい様子の絵がある。
フランス式の楽しみを味わう女たち。クールベ、ロートレック、そして藤田もそんな女たちを描いた。

自画像には猫。猫も怪獣のような奴からおとなしそうなのまでいろいろ。
藤田の髪に白髪が混ざり始める。

イメージ (30)

南米ツアーで藤田の絵に色彩が入る。人物描写は線描の良さをますます強めている。
思うのは池上遼一、上条淳士ら華麗な線描の漫画家たち。藤田の人物の美しさは彼らと同じだと思う。

たとえば39歳の北川民次の肖像などは惚れ惚れするような男前に描かれている。
アジア男性の美貌を描く池上の仕事を彷彿とさせる。
実際この絵を北川は大いに喜び、生涯手放さなかった。

だが、この時代からの藤田の絵には以前の華麗さはない。ある種のわびしさをひしひしと感じる。それは初期の頃のような寂しさとはまた違う。
わるい言い方をすると「落ち目の三度笠」とでもいうような感じがある。

それでも古典的な装飾性を加えた壁画などは優雅さを見せていた。

現在は迎賓館にある銀座コロンバンの壁画なとはその好例で、「貴婦人と召使い」「田園での奏楽」は優美な貴婦人や綺麗な男性が描かれている。

それから先般発見された「春」も。



秋田での藤田の絵のうち現地の少女を描いた絵は劉生の於まつにも似ていた。絵が似たのではなく、日本の地方の子供の共通性かもしれない。
以前に藤田が撮った日本の子どもの映像を思い出す。「風俗日本 子ども篇」
これをみたのは10年前の「生誕120年」展。…早いなあ。
当時の感想はこちら
なお、感想そのものは十年経とうと変わっていない。

猫の争うというか暴れる絵「闘争」がある。
これは可愛さが先に立つのですよ、猫好きの眼から見れば。

…やがて戦争画。
凄まじい破壊力を感じる。
アッツ島玉砕のリアリズムなどくらくらする。歯並びが見えているのだ。
サイパン島での自決などもたまらない…
息苦しい。戦争はやはり無残だ。


藤田からフジタになるフジタ。

ターバンを巻いた若い東洋人の肖像、と名付けられた淡彩のスケッチがとてもいい。
少女よりも少年。青年もいいが少年がいい。

そして口を堅く噤む幼女たちの絵が現れる。
どの子も一人として口を開かない。

夢 眠る裸婦の周囲に集まる不思議な表情のどうぶつたち。猫だけでなく狐もいれば犬もいる…

受洗して聖母子や黙示録を描きだすフジタ。
羊皮紙に描かれた黙示録は構図も面白い。三点並んでいるが、いずれもいい。

最後にガラスのキリストと聖母子があり、ライトでその内側の光を見せていた。
とても綺麗。

いい展覧会だった。
9/22まで。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア