美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

越境する絵ものがたり

西尾市の岩瀬文庫は素晴らしい所蔵品を見せてくれる。
今までよい企画展があってもなかなか「遠くて」行けなかったが、こんなチラシを見てしまったら「遠くて」なんて言うていられないではないか。
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「越境する絵ものがたり」
物語の好きなわたしがこれを見過ごすわけにはいかない。
どこにあるのか知らないままとりあえず名古屋まで新幹線で出て、名鉄に乗り継いだ。

たどり着くまでの話と、出てから町をうろついた話とは既にあげているからここには繰り返さない。
今回は奈良絵本・絵巻の感想に終始したい。

さて前掲のチラシだが、あれは見事な編集によるもので、本来結びつく筈のない様々な物語が「越境」して、ほかの物語のキャラたちとつながりあっていた。
このチラシこそが今回の展覧会そのものを表現しているのだった。

展覧会の狙いはこちら。
「日本には室町時代後期から江戸時代にかけて、「絵ものがたりの時代」ともいうべき豊かな彩りに満ちた物語の絵巻・絵本が大量に生みだされた時期がありました。そこでは、愛すべき不思議で奇妙な登場人物が、至るところで活躍します。人間のみならず、神仏であったり、動物や妖怪など、異類と呼ばれるものたちでもありますが、彼らは物語りのなかで立ちはたらき、時空を超え、何ものかに変化し、世界を生みだす“越境”を遂げる存在です。今回の展覧会では、2007年に開催された「絵ものがたりファンタジア」をパワーアップし、初公開の個人蔵絵巻・絵本も加えて、絵ものがたりを“越境”という角度から読み解きます。 ファンタスティックでダイナミックな絵ものがたり文芸の世界をお楽しみ下さい。」
とのことです。
現物とパネル展示とをうまく使って、とても見やすく・理解しやすくされていた。そして解説がまたいい。

Ⅰ.聖域・異界 この世とあの世
ここでもサイトから引用する。
「物語は、世界を越え、時空を越えてくりひろげられる人間の想像力の賜物です。それは、神話や聖典など、人類社会や宗教のよりどころとなる〈聖なる書物〉の主役となる、神や仏の身のうえにも語られます。彼らのさすらいや運命的な出会いや別れなど、そこに見いだされる物語は、じつに人間らしい喜びや悲しみにあふれています。 
 彼らのさすらう世界は、海中の龍宮であったり、絶海の孤島であったり、あるいは深い山の中であったりします。と同時に、誰もがお参りする親しい霊場でもあります。物語によって、世俗の巷からたちどころに神仏の〈聖なる世界〉や天狗などの住む異界に身をおくことができます。それこそ、物語の越境する力なのです。」

たとえ話ではない、実際にまさかの展開を見せる話もあ.る。

章タイトルをみて改めて「他界する」という言葉の持つ意味を想った。

・海中の異界へ
「神代物語」 いわゆる「海幸・山幸」の物語である。素朴な絵で物語が進む。
青木繁「わだつみのいろこのみや」と同じシーンがある。山幸ことヒコホホデミノミコトが兄の釣り針を探して海底に降り立つ。赤い花の咲く木の下の井戸に水汲みにきた二人の女、トヨタマ姫とタマヨリ姫が彼と出会う。
竜宮に向かうミコトと姫たち。
竜王は娘婿となったミコトのために釣り針を探し出す。やがて陸に帰るミコトと竜王の一行。竜王はファンキーな竜に乗っている。
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もう一つの「神代物語」は絵も繊細で綺麗。
花一つにしても蘂も描いている。着物も丁寧。こちらでは息子と共に能をみるシーンもある。

同じ物語であっても表現は色々。比較して楽しめるのがいい。
そしてこちらは海底という他界から地上へ帰還する男の話であり、地上で出産したとき海底の人である本性を露わにしたがために、彼女にとっての他界から元の海底へ戻る女の話でもある。

・本地と縁起
可哀想な話があった。
「釈迦並観音縁起」 こんな話は全く知らなかった。インドの長者の二人の息子の本地ものである。
兄弟の母が亡くなるときに慈悲の心の大切さを説く。やがて父は後妻を迎えるが、飢饉のために妻子をおいて食べ物を探しに出たが、継母はその間に幼い兄弟を絶海の孤島につれてゆく。何も知らない兄弟は島で無邪気に遊ぶが、そのまま置き去りにされ、静かに飢え死にする。その際に兄弟は母の教えを思い、人々の救済を誓う。
やっとの思いで息子らをみつけだしたが、そのときにはもう手遅れ。父もまたその島で人々の救済を誓って死んでゆく。
彼らが生まれ変わって父は釈迦に兄弟は観音と勢至菩薩とになる。先に死んだ母は阿弥陀如来になる。
幼い兄弟が楽しそうに島で遊ぶシーンと死んでゆくシーンとがたいへん哀れで、だからこそチラシのように骨の子らと遊び続ける様子にほっとする。

この物語は伝承のものではなく、杉原盛安という作家のオリジナル。
綺麗な肉筆ものなので話がどれだけの人に知られていたか、ほかに普及版のようなものが作られていなかったのか、そのあたりが知りたいところである。

ほかに「釈迦の本地」として一代記を描いたものも出ていた。誕生から涅槃に至る話なので、ジャータカではない。
かなり描きこまれた作品。
「観音の本地」は立身出世ものに絵姿女房に難題クリアーものが混ざりあったもので、絵は素朴。とはいえ色使いは土佐派ぽくもあるのが楽しい。

2.女と男 子どもと大人
ふと「とりかえばや物語」を思ったが、ここにはない。

継子いじめの「住吉物語」の絵巻がある。
きらびやかな造りの絵巻。嫁入り道具として作られたかもしれないそうだが、継子いじめの話をか、と思う一方で、平安貴族の閉ざされた空間にいるべき女性が自助努力と仏の加護とで幸せを掴む、という話であることを思うと、嫁に出す娘への思いやりを感じもする。
着物などは丁寧だがキャラの顔などは至ってシンプル。

また比較として別仕立ての絵巻もあり、こちらは更に素朴な絵ではあるが、本文がほかの本とは違うそうな。
読んでみたいと思った。

平安時代の人気作「狭衣」のリメイクものがあった。悲恋の物語をハッピーエンドに書き換えたそうで、キャラへの思い入れがあまりに深いと、どうしても悲運なキャラたちを幸せにしたくなるものだ。
それに時代の要請があったのかもしれない。
「フランダースの犬」だってハリウッドではネロもパトラッシュも最後は人の手で助けられるのだ。

「ちこいま」というタイトル、実は「稚児今参り」の略称らしい。こちらは稚児の恋物語だが、相手はなんと姫君、フジョシ好みの話ではないのである。絵はシンプルで可愛らしい。
稚児は僧正のお供で内大臣の屋敷を訪ね、姫君に一目惚れする。その稚児に彼の乳母がついて、女装させて大臣邸に入り込ませる。
女装の少年と姫君との恋。しかし姫の寝室には稚児姿で現れる。
姫は懐妊するが稚児は比叡山に戻されることになり、更にその道すがら天狗にさらわれてしまう。そう、美少年は天狗にさらわれるものだ。「花月」などをみてもよくわかる。
姫はその後を追って山に入り、天狗たちの母である尼天狗に救われ、助力を受けて、稚児を救い出し、共に稚児の乳母の元へ。
やがて元服した稚児が姫君の元へ婿入りし、幸せに暮らす。

稚児は白色の綺麗な着物に愛らしい稚児姿で、一見したところ姫君より幼く見える。
そしてそんなだから天狗の元へさらわれてきても宴席でしょぼんとする姿が愛らしい。
それにしても比叡山でも天狗の元でも大事にされはしていても、この稚児は本質的にストレートのままだったのだなあ。

「満仲」もある。多田源氏。困りものの主君の息子と出来のよい家来の息子。
主君の子を生かすためによい子の方を身代わりに殺す・・・まあ日本的な悲劇ですわな。
絵は素朴だがその分嘆きが深い。

「中将姫」は丁寧な絵で、継子いじめと出家とが描かれている。「死者の書」のような当麻曼陀羅の縁起ものではない。
解説によると詞書も説経風らしい。物語の展開も波瀾万丈である。

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3.旅するヒーロー
貴種流離譚

義経関係の絵本が並ぶ。
「義経記」「浄瑠璃姫物語」「天狗の内裏」
岩瀬文庫本は「義経記」が16冊もあるそうだ。一代記まるごと。
絵もそれぞれ綺麗。弁慶は丸坊主。
「浄瑠璃姫」はどうしても岩佐又兵衛の豪華絢爛な絵巻を思い出すが、こちらも詞書の部分に金泥を使ったりしている。絵も丁寧で、特に義経が病で危篤の場などはよく描けている。
「天狗の内裏」素朴な絵で、天狗たちがファンキー。彼らで「是害房」が見たくなる。

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4.人と動物・妖怪 異類の饗宴

いきなり「酒呑童子」が二種。絵巻と絵本。
どちらもいい絵で、迫力が凄い。
がぶっ と鬼が兜に噛みつくところなどはやっぱりいい。

「岩竹」は知らない話。
大仏建立の時に柱の下敷きになった我が子の恨みに燃える変化の大蟹・岩竹による怪異。退治される様子などはなかなか凄まじい。蟹、赤い血を迸らせる。
丸顔の武士たちより蟹の方が迫力がある。

「かなわ」は「金輪」。チラシでは赤鬼が両脇に人を挟み込む様子がでているが、わたしが見たときは別なシーンが展示されていたので、どういう状況でそうなったかがわからない。残念。
「うわなり妬み」に鬼退治のスペシャリスト・頼光と四天王が。
やがて宇治の橋姫になるまでの話。普通の女から鬼に変わる女。頭にコンロの三徳をかぶっている。

「賢学草子」があった。絵そのものは先般紹介した公文書館の本とほぼ同じ。ということはこれもまた酒井家旧蔵本の模写絵巻。
女の顔で首下が大蛇という恐ろしい様子なのである。

「雀の発心」これはサントリー美術館の「雀の小藤太」の仲間。
もうお悔やみの場からでている。多くの鳥たちがお悔やみにくる。きちんと描き分けられている。

「えんがく」猿夫婦の霊場巡りツアーと極楽往生の物語だが、これをうまいこと双六仕立てにしてパネル展示にしてあるのがいい。
とても分かりやすいし親しみやすい。
猿だけに最初は日吉山王へ。三井寺、清水、銀閣、鞍馬、誓願寺、石清水八幡、天王寺、住吉、当麻寺、根来、高野山、東大寺、春日大社、猿沢の池。やがて「ひつじおうじょう」=「必至往生」を願い、飛び降りる夫婦。そこへ来迎が。ヨカッタヨカッタ。

「人間一代戯画」 タイトルは岩瀬文庫の岩瀬弥助氏がつけたもの。
せりふなしで、骸骨たちが着物を着て、普通に暮らしている姿を描く。子供らは元気に遊び、男は浮気したり、イケメンを見てぽーっとなる女も少なくないし、商売でもめたり、と色々。
耳鳥斎ではないが、人生は戯場だというのがここにもある。

5.うまれかわる絵ものがたり
といってもリ・インカーネーションではなかった。
「花鳥風月」、「祇王」の版本、「大原御幸」がある。先のは巫女による判定ものだが、後の二つは平家物語からのもので、生きている内に大きな人生の転変をした人々の話である。

最後に「鉢かづき」。
岩瀬本は鉢と言うより笠。こちらも丁寧な絵である。
参考に居初つな女の鉢かづきも。
鉢かづきは寝屋川市のマスコットキャラにもなっている。

本当に面白い展覧会だった。
これからは好みの企画の時はわたしも関西から「越境」してここへ来よう。
11/6まで。
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