美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

誓願寺と瑞泉寺で見たもの

毎秋恒例の「京都非公開文化財」特別公開に出かけた。
今回は河原町三条近くの二つのお寺に行った。
誓願寺と瑞泉寺である。
誓願寺は新京極、瑞泉寺は三条大橋のすぐ、なのだがどちらもまさかこんな所にという場所にあり、普段は完全に素通りしていたので、今更ながらに「京都、すごいな」になった。

わたしはどちらのお寺も縁起絵巻が目的なのだった。
先に誓願寺から。

このお寺は667年創建というたいへん由緒のあるお寺で、女人往生の寺として名高いそうだ。
「誓願寺縁起絵」は以前にちらりと見ているが、今回のように遺された絵が一堂に会するのを見るのは初めてだった。
誓願寺の縁起絵は大きな軸で、鎌倉時代、江戸時代で三面、そして最初の一面を明治になって模写したものもある。
古いお寺のことなので霊験譚もそこに記される。
仏像づくりに携わる人々が仏化して熱心に立ち働いたり、和泉式部の祈りがあったり。霊験も数あれど、やはり本尊製作が目立つ。
とはいえ史実と伝承とがいい具合に混ざり合っていた。
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版木もあり、仏像造りが(ヒトから仏に変身して共働)というのが人気だったようだ。
仏を造るのが仏だというのも面白い設定だ。

さて瑞泉寺である。
ここは「殺生関白」として死なされた秀次公とその妻妾や子らを祀るお寺で、高瀬川の開削に努力した角倉了以が「畜生塚」と呼ばれた塚の荒廃をみて、開削と同時にお寺の建立を果たしたそうだ。
それでいえば角倉了以物語でもいいのだが、やはり秀次公らの哀れな物語が絵巻となって伝わっている。
なお、こちらに映像もある。

お寺はどこかなと三条大橋まで出た途端、えっここ!となった。
そう、本当にまさかのここ。そして開かれたお寺からはある種のフレンドリーさを感じた。たくさんのお客さんに来てもらうことで、秀次公らの一族の御霊を慰めたい、という気持ちを感じる空間でもあった。

処刑の顛末が描かれた絵巻。大変哀れである。
本当の理由などはどうでもよく、やはり死なされる運命にある人だった。
そして邪魔者を殲滅する秀吉の容赦なさ。
町を引き回される女人らの諦念に満ちた様子と無邪気な幼児らと。
処刑の実務を担う武士らの涙、塚に次々と放り込まれる遺体。
その塚に不名誉な名称をつける意地の悪さ。
母子を共に側室にする荒淫を責めるように、「畜生塚」。
数多の側室がいたことからの「蓄妾塚」。
どちらにしても嫌な名称である。

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展示にはパネルで舟木本や堺市博物館本の塚の様子を参考に見せる。
そして角倉了以らの功績を示す。
怨み、悲しみ、憐れさ、それらを慰めなくてはならない。この地にその寺を建てたのは良かったと四百年後のわたしも思う。

死ななくてはならなかった人々の肖像画もあり、享年も書かれてるのが哀れ。
幼い少女も含まれているからだが、身分の高い姫たちが刑死してゆくのを想うと、やはり哀れさが胸を衝く。
また秀次公は少年の美にも大いに惹かれる人だった。
殉死した美少年たちの絵がある。それも公を中心にしての構図である。
中でも不破万作が美少年なのは良かった。あと二人もなかなか。

それにしても秀吉の容赦のなさと言うものは凄まじい。
彼の主君・信長の凄まじさばかりが喧伝されているが、秀吉による処刑は無残の一言に尽きる。
五右衛門の釜ゆでなども秀吉によるものなのだ。
そのことを思うと、明るいキモチで「太閤記」を読むのもなあと思うのだった。

「畜生塚」というタイトルで未完の絵が甲斐庄楠音にある。
あの絵もまた悲惨であり、悲しいものだった。

こちらは側室たちの辞世の句を彼女らの遺品の辻が花の小袖などで表装したもの。
イメージ (86)

どちらも11/7まで。
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