美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

感想を挙げられなかった展覧会。メアリー・カサット展の場合

様々な理由で感想を挙げられなかった展覧会がある。
しかし見た以上は何らかの声を挙げなくてはならない。
そうでなければ折角見に行った甲斐がない。
それで小さくまとめた。
だが、これらは厳密には「感想」ではないのは確かだ。

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ある種の鬱屈がゆっくりと広がるのを感じて、とうとう感想を挙げられなかった展覧会がある。
メアリー・カサット展である。
横浜美術館で見たとき、最初は楽しかったのだが、次第に深い鬱屈に掴まれ、とうとう途中からは足早になり、最後は逃げるように出てしまった。
今、京都国立近代美術館に来ている。
彼女が悪いのでも、展覧会の内容が悪いわけでもない。
悪いのはあくまでもわたしの心の中に生まれた鬱屈なのである。
「母子像の画家」
これにわたしは滅入ってしまった。最初は本当に楽しい気持ちで絵を見ていたのに。

この鬱屈はおそらく母子関係がうまくいかなかった人にしかわかってもらえないと思う。
描かれた幼児の幸せそうな様子、母親の惜しみない愛情。
それらを描いたのが独身のカサットであることにもいら立ちがあった。
家族を持ち、子だくさんで、晩年まで家族に見守られたルノワール、ドニ、カリエールら男性たちが家族の優しい感情を描いた絵を見ても感じなかった苛立ちと鬱屈。

わたしはあまりに熱心に見てしまったのかもしれない。それがこうした結果を呼んだのではないかと思う。
個人的な状況がよくない時期に見たのも悪かった。
描かれた子供の幸せそうな表情を妬んでどうするのだ。
そんなことを思いながらも、しかし何か誰かに責められているような・追い詰められているような気になって、とうとう見ていられなくなったのだ。
女性作家の描く「幸せそうな家庭」「愛ある母子像」、それがつらい。ただただつらい。

男性作家の描くそれらに苛立たないのは、「あなたは心の奥の隠されたものを見ていないからでしょう」というキモチがあるからだ。
マンガでもそうだが、家族愛を一番に掲げるものを見ると、読み飛ばしてしまう。しかしその一方でいくつもの台詞やちょっとしたシーンがフラッシュバックのようにチカチカしながら自分の中に蘇り、やるせなさを感じる。

いい絵だったのに、本当につらかった。
いい絵だからよけいにつらかった。
だからわたしの中ではこの展覧会はくるしいものだった。
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