美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

2016.11月の東京ハイカイ録 その1

11月の東京ハイカイ録。
出かけるときにママは元気だったので、機嫌よく飛んで出てあっという間に東京につきました。最近本当に朝には希望があるが夕方から夜が心臓に悪い日々を過ごしておるのさ。
丸ノ内線で圏外特典のメトロと都営線72時間チケットを購入し、まず御茶ノ水。
ああ、ヴォーリズの主婦の友のビルが日大理工学部の建物になったのはめでたい…





今日は吉田鉄郎展を見に来たのだ。
が…警備員が「そういう人が多いので一般は立ち入り禁止です」と言う。
「現役かOBしか入れません」
ショックだが、もうここに時間を取りたくなくなり、立ち去る。
さらば日大、二度と縁を持たないよ。
ご近所のM大はフレンドリーなのになあ。
それで即この件をツイートした。


この後、何人かの方が電話問い合わせ、メール問い合わせをしてくださり、結局情報が行き渡っていなかったことが原因だと判明し、それ以降は一般の人も見に行けるようになったそう。
トラブルがトラウマになり、わたしなどは二度と近づく気はなくしたよ。

しかしここで行かなかったことが後の幸いにもなる。
新御茶ノ水から根津へ出た。
あらら、2出口の看板みたらこんな具合に。


なんか色々ある一日の始まりやな。

さて弥生美術館では来季の友の会の更新もして、山岸凉子展の中期をみる。
子供の頃からファンだが、改めてその美麗な絵に深く打たれる。いや、撃たれるというべき。ああ、素晴らしい…
華宵、夢二もよく、結局13時過ぎまでここにいた。
ときめきすぎてクラクラする。
後期も行くよ、わたし。

千駄木で軽くお昼を食べてそれから団子坂へ。
鴎外記念館。「文して恋しく懐かしき君に ―鴎外、『即興詩人』の10年―」展。
これは安野光雅の絵もあり、とてもいい。
鴎外の雅な古文は心の浮きたちを呼ぶ。
重厚壮麗にして軽快な文章、というと矛盾しているかもしれないが、しかし行間に翻訳者・森林太郎の浮き立つ想いが滲んでいて、それがとても心地よく感じられ、こちらも華やかな軽快さに浮き立つのだ。

湯島に戻る。お菓子を買いに行くが要冷蔵のものばかりで、今から上野に数時間ひきこもるのでは合わなくなるのでやんぴ。
下町風俗資料館で「娯楽の聖地 浅草」展を大いに楽しむ。
レトロな写真や資料も多く、とても楽しい。
そう、わたしはやっぱり享楽とまでは行かないが娯楽が好きなのよ。











さてそこから坂を上りまずは都美へ。
ゴッホとゴーギャン。
正直言うと「ゴッホ=可哀想、ゴーギャン=ワルモノ」という意識が常にあるのだけど、近年はまあそこまではいかないかな。ゴーギャンだってまさかゴッホがあんな耳切ったりとかするかと思ったろうしなあ。
絵はね、いいのを集めて来てるのだけど、どうも心惹かれなくて困った。
最近なんだろう、印象派もポスト印象派も見てても心が浮き立たない。
もぉあかんな、と思いながら次は東博。

今回は禅展後期。
京都でも見てるけど、正直に言うとぜんぜん違うな。
京都のは信仰心が基盤にあり、観客の見る眼も見学・鑑賞より「うっとこのお寺のん」や「あそこのお寺のん」を拝見に行く、という向きも多く、まぁ言うたらマジメで大変固い。
東博はそこらが違い、「禅って実は面白いよー」という感じがあり、遊び心があった。
どうしても仏教関係の展覧会というのは東西で意識の違いが明確に出てしまうと思う。
これを逆なアプローチでやってしもたら、えらいことになると思う。
だからこれでいいと思う。
ただ、禅というものの本質を私はやはり掴めないままでいる。
衆生済度といいつつ、まず自分の、自分のみの悟りを追及するように見えて仕方ない。
批判ではなく、どうしてもわたしのようなシロートの目には衆生済度より修業に、一般の者とのつながりよりも孤高であることに主眼点を置いているかのように思えて仕方ないのだが、これすらも本質を知らんからこそ勝手にほざけてるのかもなあ。

常設展示でも禅にまつわるものが多かった。


ごめんなさいごめんなさい。

大観の瀟湘八景図近代版をみたり、禅僧のワワワワワ♪を見たり色々。



外へ出たら綺麗なさかしまが見えたよ。



それから西洋美術館へ向かう。
クラーナハ展。
・・・わたしは80年代に色んな知識などがその地点で固まったので、当時通用していた「クラナッハ」表記でないと違和感があるあるあるある。
ゴッホだってヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(今はフィンセント・ファン・ゴッホ)、ウォーレン・ビーティ(ウォレン・ベイティ)もこれでないとなあ。
ロシア語読みのセルゲイ・ディアギレフでないといやなのにフランス語読みのセルジュ・ディアギレフって…セルジュはセルジュ・バトゥールに尽きるのよ!
とかモヤモヤ抱えながら見に行くとですね…

名前なんてどうでもいい、とにかく凄いぞこれは、という状況になりましたがな。
いやー、クラーナハええなー!青池保子が「エロイカより愛をこめて」でクラナッハの絵の魔性に魅入られて巻き起こる騒動を描いているけど、大納得。
春信の女同様、アブナすぎるわな。
背徳的で、とても魅力的。背景の物語を闇の中に押し込めて、裸婦が一人佇んで薄く邪な微笑を浮かべる、やられたなあ、凄かったわ。

ゾクゾクしながら上野を離れましてな、京橋のその日オープンの京橋エドグランをうろうろ。
なかなかいいんだが、まだ位置関係がきちんと把握できなかった。
送迎バスで定宿へ。
初日はここまで。
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