美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 

弥生美術館で山岸凉子展が開催されている。
副題は「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 
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展覧会の目指すところはサイトによるとこうある。
「不朽の名作となった「アラベスク」の誕生から45年―。本展は山岸凉子の画業をたどる初めての本格的な展覧会です。初展示を含む原画約200点を一挙公開し、デビューから最新作までのメタモルフォーゼ(変容)をご覧いただきます。」
「メタモルフォーゼ」は山岸さんご自身の画業の変遷を指していたのだ。

山岸さんの「花とゆめ」時代の中編に「メタモルフォシス伝」がある。
今回の展示では原稿の紹介があった。進学校に突然現れた蘇我要の言動から周囲の意識が変わり、ある意味皆が生きること・学ぶことに本当に目覚め、アグレッシブになり始めた頃に、さっと転校する。
春に現れ秋に去る蘇我要。この数か月間の進学校の生徒たちの変容の様子を捉え、このタイトルにしたのは本当に巧いと思った。

展覧会のタイトルを初めて知った時、蘇我要の笑顔や生徒たちの変容していった様子がパッと浮かんだ。
だが、展示のメインは「日出処の天子」であり「アラベスク」であり「テレプシコーラ ―舞姫―」である。

わたしが山岸さんの作品を最初に見たのは「アラベスク」の第二部終幕、ノンナが「ラ・シルフィード」を踊っているときにピアノが急に弾くのをやめてしまう場からだった。
皆がざわつく中、ノンナの足首のアンクレットの細い金のさざめきが音楽となり、人々の集中力が弥増す。
このシーンだけだがかなり印象深かったので今に至るまでこのように書いている。
実を言うと「アラベスク」は近年になりようやく通読したのだ。それまではそのシーンだけがアタマに残っていた。そして自分の記憶の確かさを確認し、当時感じたこともそのまま変わらなかった。それは読み手のわたしが変わらない・あるいは当時から本質を見ていた、というのではなく、山岸さんの表現力が幼い少女にもそのことを伝えてくれる力を持っていた、ということなのだ。

次に連載を読んだのは「妖精王」終盤の戦いである。ライト・エルフとダーク・エルフの戦いに、クーフーリンも「信頼」が復活し、爵がついに「水の指輪」を見出した辺りは今読み返しても感動的である。

やがてわたしは「花とゆめ」と同時に「LaLa」を買い始めた。
だが、ほどなく「花とゆめ」からわたしは離れた。
「はみだしっ子」が去ったので、<彼らのいた>雑誌を買い続けるのがつらくなったのだ。
「LaLa」には大好きな木原さんの「摩利と新吾」もあり、成田さんの「エイリアン通り」もあり、そして「日出処の天子」がある。

「日出処の天子」には本当に強い影響を受けた。
今も聖徳太子より「厩戸王子」にときめくし、太子孝養像などを見ても山岸さんの王子を想いながらついつい見比べてしまうのだ。
いけないことだと知りつつも、どうしても厩戸王子は山岸さんのキャラでなくてはならず、それ以外は「それ以外」なのだ。
その意味ではこれほど圧倒的な影響力を及ぼしたマンガは他にないかもしれない。

その原画を今回初めて目の当たりにする。
モノクロの美とカラー原画の流麗な美とを二つながらに味わうのだ。

マンガは基本的に印刷物なので印刷されたときの美を計算しなければならない。
原画の美とはまた異なるものだと思う。印刷が原画に劣る・原画が印刷に劣る、といった話ではない。
わたしはドキドキしながら展示室へ入る。

とても綺麗なカラー原画を見る。
「日出処の天子」表紙絵 1980.9月号 王子にかかる装束の美しさに目が開く。
「妖精王」1977.13号 クーフーリンの立姿。背景の薄緑の色の美に惹かれる。
「常世長鳴鳥」 白黒片身替り着物をまとう少女。(彼女は主人公の姉である)
これら三点を見ただけで背筋が粟立ってくる。

「黄泉比良坂」「テレプシコーラ ―舞姫―」「天人唐草」「ハーピー」…
美麗なカラー表紙絵が次々に現れる。
わたしは山岸さんのカラー絵の美しさにずっと溺れ続けているが、今回こうして改めてその美に対面して、自分が日本画を好きな理由がここにもあることを知る。
山岸さんのカラー絵はやはり日本画の美に基づいているのだ。
もしかするとわたしは山岸さんの絵から日本画の美へ目を向けてもらったのかもしれない。

印刷されたものと異なる美を知る。
「ハーピー」の羽根がさやえんどう色だということには驚いた。
あれはもっと暗い色かと思っていたからだ。
これがさやえんどうの明るい色が本当ならば、物語への視線も変わる。
わたしは暗い色だと思い込んでいたので、その意味では山岸さんの用意した解釈の一方に偏っていたことになる。
これがこのさわやかな緑色だと、別な解釈の方へ行くことになる。
正解などはない作品なのだ。
そしてそれがとても怖い。
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「日出処の天子」のカラー表紙絵とモノクロが続々と現れる。
決して忘れたことのない美麗な作品群である。
白梅を背景に、左に王子が一人、右に毛人を真ん中に向かって右に刀自古が腕を取り、左に布都姫がその場に座りながら毛人の手を取る。
麗しい絵だが、これは原画には出ていないが掲載時台詞がついていた。
王子「そっち賑やかそうだな、梅でぶったろか」
毛人「あっ困ったいじめっ子」
布都姫「あれー」
刀自古「布都なんてぶたれてにゃんにゃん」
きちんと確認していないが、ほぼ間違っていないはずだ。

馬屋古女王の絵もある。彼女の立ち姿である。クロアゲハを見ているような絵だが、よくよく見るとそうではなく、彼女は蝶を追うてはいない。邪な微笑を浮かべているだけである。しかも萎えているはずの足でしっかり立っている。
この物語の恐怖は読んだ当初より、時間が経てば経つほど深まってゆく。
山岸さんのホラーは読むものの心に決して消えない瑕を創る。
そしてその瑕が山岸さんの作品を強く望むのだ。

レコードジャケットがあった。懐かしい。原画とジャケを見ると、王子の乗る龍の向きが違うことに気付く。
反転しているわけでもなさそうなのだが。

懐かしい表紙絵が続く。
わたしはこの王子の軍装というか、この装束にもひどくときめいた。
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あえてサムネイルで挙げる。80年7月号。

81年9月号の風神・雷神を背後に王子と毛人の姿があるもの、80年10月号のミケランジェロの絵のような指と指がつながるその刹那を描いたもの、雨を降らせようと夢殿で祈願する王子の所へ毛人の精神が向かい、二人で雨を呼ぶシーン…
モノクロの美を堪能する。

迦陵頻伽の絵があった。見たことがあると思ったら単行本の表紙絵である。
しかし今回この原画を見て、改めてその美に撃たれた。
単行本ではこのように花が片側しか出ていない。白椿だけである。
しかし原画は迦陵頻伽を中心に、逆側に小手毬かなにかそうした花を描いており、しかも同じ白でも深度が異なり、同じ葉でも質感が変わって描かれているのだ。
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たいへんな美しさだと思う。

当時LaLaでは月ごとに様々なマンガ家による口絵を掲載していた。
いくつかは今もコレクションしている。
中でも印象的だったのはLaLaで「黒のもんもん組」を、花とゆめで「小さなお茶会」を連載していた猫十字社が描いた幻想的な作品だったが、そちらはブドウの木の男とその実を受取る女の絵だった。
山岸さんはそれに対し春の絵を描いていた。
「花夭々」である。
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漢詩で「桃夭々」を思い出すところだが、王子の背後の花は白木蓮あたりのようだ。
そして王子の衣裳の文様の美しさも記憶に残る。

作品論を書くことは出来ないし、したくないが、ファンとしてやはり当時あのラストは心痛を覚えた。
覚えたが、当然そうなるだろうことも予測していたのでショックはなかった。
あの厩戸王子が恋愛での幸せを掴むはずがない、と最初からある程度分かっていたからだ。だが、それでもやはりせつなく、そして悲しかった。
当時のわたしが少女だったからかと思ったが、今のわたしもやはり納得しつつ、王子が気の毒だと思っていた。

だからというわけでもないが、一度の挫折の後にきちんと描き直された「馬屋古女王」が出たときは、やはりとても安堵した。
安堵したが、非常に怖い作品だったので、震え上がったのだが。

あの作品を再読していたある日、それまで感じたことのない恐怖を感じた。何が原因かと考えたとき、殯(もがり)の情景にあることに気付いた。特に怖がらせようと描いているわけではないだろうが、だからこそ、読者であるわたしは非常な恐怖を感じ、それ以降玄室などを見るのが本当に怖くなってしまった。

アラベスク 前述したとおりで案外読んではいないが、だからこそ新鮮な眼で作品に対することが出来た。
カラー原画の美しさはまた異なるものではあるが、それでもやはり綺麗な配色といい背景の美しさと言い、はっとなるものばかりだった。
第一部連載時の「りぼん」が出ていた。ノンナの筋肉がとてもいい。リアルな強さを秘めた体なのである。
そのときの他の連載陣が懐かしい。
72年6月号 アラベスクの他に「おでんぐつぐつ」弓月光、「おとうと」一条ゆかり、それからもりたじゅん、井出ちかえ、のがみけい といった作家性の高い人々の名があった。懐かしい作品ばかりだが、さすがにリアルタイムには読んでいない。
わたしが本格的にマンガを読み始めるのは1973年からなのだ。

アラベスクは旧ソ連が舞台である。
背景は当然ソ連。その背景画の一つに萩尾望都さんが描いているものがあった。
茶色の建物と緑の木々に囲まれた都市。素敵な背景だった。
そういえば「ポーの一族」当時の1974年、木原敏江「銀河荘なの!」終盤にエドガーがカメオ出演するシーンがある。
当時はそういうことも少なくなかったろう、マンガ家の方々の交流を垣間見るようで嬉しくなる。

そうそう、「アラベスク」にはエーディク・ルキンという魅力的な男性舞踏手がいる。
彼の風貌はデヴィッド・ボウイに似ていると思う。
調子麻呂や井氷鹿もそう。
少女マンガには彼の系統がいた。
木原さんも三原順も大島弓子さんも池田理代子さんも描いた。
みんな彼が好きだったのだ。
そのことを想う。

山岸さんの絵の綺麗さについては数多の人が知る所だが、今回の展示で改めて「知らされた」ことがある。
当たり前のことだったのかもしれないが、今までそのことを考えて来ていなかったことだ。
山岸さんはとても努力し、そして工夫を凝らしているのだ。様々な技法で華麗な絵を描き読者を陶酔させるが、その絵は1コマ、1シーンであってもその美意識に満たされ、鋭い神経が行き届いたものなのだ。文字通り心血を注いでの作画である。

展覧会での例を挙げれば「アラベスク」の点描などがある。
それから「ダフネ」の蔦の絡む肉体と妄想の情景など。
無限に例はある。

そしてこの展覧会は絵を見るだけではない。
マンガというものは絵と物語が共に活きていなくてはならないのだ。

山岸さんの紡ぎだす物語にはある種の冷徹さがある。
それは言葉として物語にはっきりと示されているときもある。
救われる人は努力した人であり、救われぬものは自己の責任を取らないものなのだ。
努力をせぬもの、責任を放棄したもの、他者に罪をなすりつけるものたちは無惨なラストを迎える。
死んだとしても決して救われないし、死ねない地獄もある。
その冷厳なまなざしに怯える度、わたしもせめて怯懦でないようにしたい、と思った。
その意味では山岸凉子ファンであることは、努力し続ける人間であろうとすることだと思っている。
山岸さんに感謝すべきは、素晴らしい作品を世に送り出してくれたことと、努力を怠ると「ああなる」ことを教えてくれたことかもしれない。
尤も、非常に不条理で無惨な物語も決して少なくなく、それら<悪意>を描いたものに対しては、どのように対応するのが良いか、主人公たちのようにわからないままなのだが。


今回の展示で初めて知ったことだが、山岸さんは上村松園さんのファンだそうだ。
それを聞いてから改めて山岸さんの描く和装女性を思う。
着物に関して一家言のある方だけに作品にもそうした作品があるのを思い出す。
また、随分以前に「日曜美術館」でハインリヒ・フュースリが取り上げられた時、山岸さんはとても綺麗な振り袖姿で出演されていた。やや緊張されていたが、はきはきと話される姿を今も忘れない。

そして着物の絵では「神かくし」の文庫版表紙絵の「家老の令嬢」の姿が出ていた。
きちんとした美しさがそこにある。

他にもまだある。
安彦良和さんが「アリオン」を映画化したとき、衣裳を山岸さんがデザインした。ステキだと思った。
それから「テレプシコーラ」の第二部でもバレエの衣裳についての重要な挿話がある。
実際山岸さんのデザインは本当に魅力的なものばかりなのだ。
山岸さんのファッションセンスの良さを想う。

「妖精王」やその同時代の短編物などではミュシャが描いたような官能的な衣裳を山岸さんもよく描いた。
いずれも豊かな肉を見せる女性がそれらを身に着けていた。
ただし完全な洋風ではなく、文様などが和風であったりして、その独特の感性に強く惹かれた。

次々と現れる美しい絵。物語の悲惨なもの・無残なもの・恐ろしいもの・愛らしいもの、区別なしに素晴らしい絵がそこにある。
「ひいなの埋葬」「天人唐草」「落窪姫」「スピンクス」…
いずれも象徴的なシーンや重要なシーンがここに展示されている。

「妖精王」のクイーン・マブの綺麗な娘姿もある。彼女はダーク・エルフの女王となってからは恐ろしさを表に見せるようになったが、それ以前は愛らしい娘だったのだ。
そしてここでも和と洋の融和がある。爵(ジャック)がペガサスに乗って駆けるシーン、その背景には紅葉する葉が描かれている。
洋の美ではなく和の美である。だが乗るものはギリシャ神話の天馬なのだ。

山岸さんはファンタジックな絵にも素晴らしい技巧を見せる。
19世紀末から20世紀初頭の英国の絵本画家たちに比肩するような絵である。
ウォルター・クレイン、ケイト・グリーナウェイ、山岸凉子…

日本画を基礎に、線の美・色彩の美を追求する山岸さん。
それらはどの作品にも結実している。
「黒のヘレネ―」「あやかしの館」「ハトシェプスト」…

初期の作品も出ていた。読者受けする絵から自己の絵への変換を図り、拒絶された時の苦労話などを初めて知る。
難しいものだ…
「幸福の王子」「ネプチュナ」「シュリクスパーン」「ラプンツェル」といったあたりはもう初期の面影はない。

「ASUKA」が1985年に創刊されたとき、山岸さんの働きが大きかったことは知っている。
表紙絵は蘭陵王の装束を身に着けた美麗なヒトが足をみせているその姿で、このポスターが原宿のビルに挙げられたときは足先まで追加で描かれたそうだ。
あの時TVCMでも山岸さんの描く表紙絵の人物がアップになり「お嬢マンガよ」か何かそういった詞があって、キャラがウインクするのを見た。
山岸さんの描いたキャラが映像になったのを見たのはこれだけしかない。
この繊細美麗な絵が映像化できるとは思えないし、したとしても満足させてくれないだろうと思っている。

創刊当時の作品ラインナップが懐かしい。
竹宮、萩尾、名香智子、杉浦日向子、高口里純、谷地恵美子、神坂智子、酒井美羽…
何もかも懐かしく、そして古びもしていない。

山岸さんの雑誌表紙絵が並ぶのを見る。
シークレットラブと題されたものは膚にそれぞれ花の刺青を施した綺麗な女性2人の隠微な美しさを見せるものだし、如月の娘は黒地のチャイナドレスにポップさをみせていた。

再びモノクロの原稿の美を堪能する。
「夜の虹」、「セイレーン」の点描、様々な技巧を駆使して描く名画の数々がそこにある。

「牧神の午後」はニジンスキーを題材にした物語で、表紙絵は「青神」の青銅色のニジンスキーのバストアップである。
ニジンスキーを題材にした映画、小説、マンガ、展覧会、舞台、様々なメディアの中で最もよく描けているのが山岸さんの作品だと思っている。

「封印」「「青青の時代」「イシス」この辺りの絵も素晴らしい。
ただ山岸さん自身はこの時代かなり苦しんでおられたようだ。

「二口女」はどうも色鉛筆を使われたような感じがする。それはそれで面白い。
すこしばかり辻村寿三郎を思い出す。
「蛇比礼」の妖艶な幼女、「ヤマトタケル」の力強さ・・・無限に美は広がる。

ところで気づかなかったが「ねじの叫び」が山岸さんの初ホラーだったそうだ。あれも怖かったが、わたしはもう「汐の声」「わたしの人形は良い人形」があまりに怖すぎて、いまだに自室に置けないくらいなのだった。

「テレプシコーラ」の単行本表紙絵、「メデューサ」「ドリーム」「レベレーション 啓示」…
いつの時代も素晴らしい。
「妖精王」の後に描かれた短編「ドリーム」は当時よりもこちらが年を経るほどにその魅力にひき込まれてゆく。
物語の良さだけでなく、そこに描かれたモチーフ、背景、建物、インテリア、そういったものが常に自分の意識の底に活きていて、何かあればすぐに思い出すのだ。

山岸さんが日本美術に傾倒していた、というのはこれはもう作品を見るだけで納得できるものだし、それ以前にそうであろうと予測はつく。
山岸さんの美は日本画の素養に裏付けされている。
社会問題を取り上げた作品も多いが、絵の美麗さとそれとをわざと合致させないところも興味深く思っている。
タイトル、表紙絵から推測されない物語が広がり、あるいはそこに閉ざされている。
「緘黙(しじま)の底」「パイドパイパー」…

「鬼来迎」「笛吹き」などは大和絵として面白い。
「わたつみのいろこのみや」では青木繁の同題の絵を写している。
わたしが初めて青木を知ったのは実に山岸さんのこの絵からなのだった。

山岸さん自身が苦しんでおられた時期の作品に「鬼」「白眼子」があるが、どちらも素晴らしい作品だった。
特に私などは「白眼子」の予告にホラー作品かと思い、その意味で背筋が寒くなってわくわくしていたが、読んでみると全く別な怖さがあった。
本編のラストシーンなどはいついかなる時に読んでも本当に全身がこわばり、息が止まりそうになる。
恐怖ではなく、これは畏怖に近い感覚だと思う。
そしてこれらの作品は「他者を許す」ということを描いたものだという点が高く評価されている。
わたしは「白眼子」のラストで、幼時に彼に救われた光子(道子)が死の淵にある白眼子に、彼のその業績の尊さを説くシーンを思い出すと、いつも涙ぐんでしまう。
他者を許し、自己を許し、救済を説いた、と解説にあるがなるほどと思う。

しかし救済を描いたものであろうと仏の浄土を描いたものであろうと、恐怖は常に潜んでいる。
実話もの「ゆうれい談」の表紙絵にもなった「蓮の糸」などは、目を閉じた女の開いた口からしゅるしゅると一茎の蓮が伸びているのだ。これを尊く思うか・恐ろしく思うかは個人によるだろうが、わたしには恐怖だ。

最後に山岸さんのカゴメのために描かれたエッセーマンガが紹介されていた。
カゴメのトマトソースなどを使ってのマイレシピ公開である。
「トマトとあさりのスパゲティの作り方」。美味しそうだった。
そう、マンガでこのように作り方を示してくれるのはいいことだ。

展示も12月からはまた変わる。
今後も無限に広がる美の世界に溺れ続けたいと思っている。
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