美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

生誕150年記念 水野年方 ―芳年の後継者

水野年方は芳年の後継者として画塾で多くの弟子を育て、自身も綺麗な絵を描いたが、早死にしたのがたたり、今日では知る人ぞ知る絵師となってしまった。
太田記念美術館が「生誕150年記念」と銘打って「水野年方 ―芳年の後継者」展を開催しているのは、とても意義のあることだと思う。
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年方の弟子にはまず鏑木清方がいる。
彼の弟子には伊東深水、寺島紫明、山川秀峰らといった錚々たる人々がいる。
そのまた弟子たちは現代にも続き、国芳―芳年―年方―清方―…と続くようになった。
同僚に右田年英がいて、こちらの弟子には鰭崎英朋、伊藤彦造らがいるから昭和も浮世絵の血脈が生きていたことがわかる。

年方は芳年だけでなく南画、歴史画、花鳥画の大家にも学び、品の良い美人だけでなく日本画家として歴史画も多く残した。
年方の人となりについては清方が随筆に多く書き残しているが、とてもまじめな人だという印象が強い。
年始に書くものは〇、弟子たちもそれに倣い〇。みんなで〇を描いてゆく。
清方も自分の画塾を開いた時に先師に倣い〇。
この話は「こしかたの記」にもある。

わたしは少女の頃から清方ファンだったのでその関連で年方を知り、挿絵を深く愛するのでこれまた早くから年方を知るようになったが、それでも弟子たち・先師の知名度に比べ年方は印象が薄いのが気の毒だと思ってきた。
この十年の間、年方の絵が出た展覧会といえば、2009年の「三井家のおひな様」展がある。
そのときに代表作の一つ「三井好 都のにしき」シリーズが一括寄贈されたそうで、以来三井記念美術館ではこのシリーズを折々に展示し、絵葉書も販売するようになった。
当時の感想はこちら

肉筆画をみる。
年方の印刷物や版画は見ているが肉筆は初めてである。
彼だけでなく師や弟子の絵もある。

芳年 雪中常盤御前図 1878-84  明治初期の混乱もようやく収まりつつある頃、芳年の神経もようやくなだらかになり、色々大作も描き、更には弟子も百人近くになった時期の絵。明治になってもそうそう人々の嗜好が大転換を迎えるわけでもなく、依然として牛若丸義経の哀しい物語は人気があり、雪中を彷徨する憐れな美しい母子の絵は需要があった。
大変寒そうな様子の母子が雪中で佇む様子は、ある種の無惨な美をみせている。
これ見よがしな無惨絵ではなくとも、日本人のある種の嗜好に適うものだった。

芳年 深夜の訪問 1887-92  芳年晩年の絵である。再び神経を病んではいたが、それでも数多の作画がある。王朝時代かそれ以降か、貴人の男のもとへ逢引ではなく密使のような緊迫感を見せる官女らしき婦人が訪ねてくる。松を薄墨で描くことで深夜だと伝える。

年方 漁する童 1900-08  早い晩年の絵で、美人画ではなく、むしろ文人画風な趣がある。年方は「日本美術院」の賛助会員であったというが、こうした作品を見るとなるほどとも思う。
他にも同時期に「野婦」という働く農婦の絵もあり、それも風景の中の人物と言った風情がある。

水野秀方 西王母  年方塾の塾頭であり妻でもある。妻は弟子の清方ほどではないが長生きし、夫の死後に名を挙げたという。
この西王母はまだ若い婦人として描かれていて、なかなか美人である。桃を持つので西王母だとわかるが、その娘時分のような様子にみえる。

師の師にあたる国芳は武者絵で爆発的なヒットを出した。
それ以前にも「水滸伝」は刊行されていたが、<国芳の>「水滸伝」の好漢たちが世に出た後はそれ一色になった気配がある。
年方は明治に刊行された水滸伝の挿絵を担当した。
元の本が活字を組まれ新装版として出るわけで、年方は緻密な絵を描いた。
絵本忠義水滸伝 1883-84 燕青が素敵だった。
同じころ、九紋竜史進も描いている。「和漢十六武者至」シリーズの一。王進に負けて弟子になるあたりのシーンだが、どうもイマイチ迫力に欠ける。
まじめでおとなしい人柄だったというのもあり、剛毅で豪儀な絵はあまり見当たらない。
武者絵はある程度の破天荒さがないとダメなようである。

とはいえ戦争画は描いている。
ただし後世の従軍画家のようなリアルさは無論ない。
伝聞と想像とで描かれたもので、真面目に事象を捉えたような絵である。

清仏戦闘之図 1884 基隆攻略の様子で水兵などもいる。
同年には浮世絵風に歴史の1シーンを描いている。
佐々木盛綱備前国藤戸ノ渡リニ平軍ヲ襲ハント漁人ニ水之浅深ヲ問フ図 1884 
初摺りは夜景、後摺りは朝の景色である。
前述の基隆の絵と製作年が一緒だからというのもあるが、大差はない。

これより十年後の日清戦争の際には戦意高揚もあってか勇壮なのを描くが、しかしそれも時代の嗜好に合わせただけという感じがする。
金州城攻撃中の自爆する兵、決死の上陸をする七人の兵などである。
新聞なり雑誌なりに発表されたこれらの絵はそれを見た人々に「勝った勝った」というキモチを齎したことだろう。

歴史画がもう一つあった。
日本略史図解 人皇15代 1885  即ち神功皇后の三韓征伐をモチーフにしたもので、堂々たる神功皇后の前に、新羅・高句麗・百済の使者が伏せているという図である。
実際こんなことがあったかどうかなどは誰も知らないのだが、当時は2016年の現在と同じく「日本エライ」の風潮があるので、こんな絵もよく出るのだ。

同年には大楠公を描いたものもあり、そちらは楠公が帝をお出迎えするところ。
時代の情勢が見えてくる…

教導立志基 翠香院殿 1890 「逃げの桂」を助けた幾松のエピソードを描いている。両名共に亡くなった後に、立派な行為としてこうした絵も出る。
要するに隠れている桂小五郎におにぎりをあげるところ。
京都の美人画の名手・三木翠山も状況は違うがやはり桂におにぎりをそっと渡す幾松を描いている。

雪月花之内 常盤御前雪中之図 1884  前述の師匠の絵とあまり違いはない。もしかすると同年の製作だった可能性もある。

雪月花之内 石山寺秋之月 1885  紫式部がここでカンヅメになってましてな。旧暦8/15の様子。二人の童女が傍らにいる。湖面に月が映る。

平家福原桟敷殿ニテ管弦之図 1885  1183年の平家の人々である。ひと時の安らぎを求めて管弦の宴を開くが、いずれも悲痛なものを表に浮かべている。
こうした悲傷を露わにするのは近代からの習いらしい。

冨山の奥に伏姫神童に遇ふ図 1885  八犬伝の最初の山場が近づいている。
山中で八房と暮らす伏姫に神童が予言を与えるところ。洞の中には八房が静かに座り、笹陰では大助が様子を伺っている。

源平雪月花之内 月 鞍馬山で遮那王が大天狗から兵法の巻物を受け取る。
義経の生涯は絵になるシーンが多い。
描かれないのは奥州藤原氏のもとで過ごすところくらいではないか。

美人画にゆく。
婦有喜倶菜 ふうきぐさ、と読ませて牡丹を指す。鹿鳴館に出入りするようなバッスルスタイルのご婦人方が牡丹園を散策する様子を描いている。
橋本周延もそうだが、貴顕の婦人方を描くのがブームだった時期があるのかもしれない。

今様柳語誌 数人の婦人を描く。それぞれ身分の違う女たち。
豪商の令嬢、すっくと立つ芸者、権妻(妾)、令室、商家のおかみさん…
風俗の違いを一目でわかるように描く、というのは割に多い。

連作物・三十六佳撰が出た。フロアを変えてバラバラに並ぶが、13点出ている。
これは様々な時代の様々な商売・身分の女性の風俗を描いたものである。
そしてこのシリーズは全作が絵葉書になっていたが、どこで購入したかが思い出せない。
もしかすると高名なホテルのショップでだった可能性がある。
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美人画であり、風俗考証画であり、年方の勉強家ぶりも伝わってくる。
・網笠茶屋 寛永頃婦人 吉原に行く嫖客たちに顔を隠す編笠を貸す商売の女である。店の外に二匹のわんこがいる。
可愛いなあ。
・辻君 応仁頃婦人 ストリートガールというわけだが、客寄ってくる者の他はシルエット、女ははっきり。
・菖蒲 延宝頃婦人 花菖蒲をみにゆく江戸の女。
・観瀑 貞享頃婦人 武家の婦人が滝を見ている。この時代の
・湯あかり 寛政頃婦人 にゃーとお出迎え。
・眺月 上代之婦人 緋袴をはいた姿を見ると平安時代の婦人にも見える。
・ひさぎ女 文安頃婦人 頭上に籠を乗せて筍などをひさぎに(売りに)ゆく女と、村の子供が楽しそうにかけてゆく姿が描かれている。わんこも子供の後を追いかける。
・芝居見物 承応頃婦人 被衣(かづき)を頭からかけてお出かけする身分のある婦人。
・雪見 寛文頃婦人 意外と寛文小袖とは関係のない着物だったな。
・樽人形 延宝頃婦人 樽から人形を出して一人で動かす女とそれを見る男たち。
・卯月 延享頃婦人 杜鵑を聴く。
・虫の音 寛延頃婦人 三人で聴きに来ているところ。仕える若い男はすっかり寝入っている。

主に江戸の風俗を巧く取り入れている。
目次がまたとても素敵なのだった。
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二階では芳年「月百姿 いてしほの月」が出ていた。これは色差しは年方がしたそうな。

婦人抹茶会 1890 三人の婦人がお客である。
明治になるまで茶の湯は完全に男の遊びだった。女で茶の湯をたしなむのは太夫くらいだったのだ。
それとお城の奥勤め。一般の女性は茶の湯の楽しみは知らされてはいない。

先般裏千家の茶道資料館でも「錦絵にみる茶の湯」展があった。
当時の感想はこちら
ここで年方の連作「茶の湯の日々草」が出ていた。
今回も「席入り」から「帰るところ」まで11点がある。
上品な年方の絵をみて、してみたいと思うひとも少なくなかったかもしれない。

明治半ばころの年方の活躍は大きい。
多くの美人画、歴史画を描き、雑誌の口絵を描き、とても多忙だった。
歴史画では小楠公が弁の内侍を救う絵、村上義光が錦の御旗を取り戻すところなどがある。
弟子の清方も弁の内侍の絵があるから、師匠のを手本にしたのかもしれない。ただし構図は違う。
しかしやはり年方は美人画がいい。それも挿絵や口絵のそれが素晴らしい。

当時人気の雑誌『文芸倶楽部』では13年間に52枚の口絵を担当したという。
雑誌の売れ行きに絵は大きく影響したから、年方の絵がある雑誌はよく売れたそうだ。

鏡花「外科室」もある。これも以前に見ているが、原作にないシーンである。
原作を読む以前にまず作品を描いていたそうだ。
これは挿絵にはよくあることなので仕方ない。

江見水蔭「船長の妻」、幸田露伴「夢がたり」…
明治の風俗が盛り込まれた素敵な挿絵ばかりである。
カーテン、パラソル、リボン・・・
尤も小栗風葉「恋慕ながし」は洋物はなく、明治の庶民の哀感を感じさせる挿絵だった。
流しの男女、男は尺八・女は胡弓を持って町を流し歩く。明治らしい楽器の選択である。
これが大正になると「鶴八鶴次郎」のように三味線の流しのペアになる。

小説時関係のないショットのものもある。
女学生がパラソルを傾けながら写生をしたり、湯上りの娘が涼んでいたり、日露戦争勝利の報知新聞号外を読んだり…
その時代の風俗画としても貴重である。

シリーズ「今様美人」もいい。
園芸会で盆栽に水をやったり、七五三に子供を連れて出たり、海水浴に出たり、雪見をしたり。

日露戦争の頃、「三井好」または「三越好」というシリーズが出た。
これは現在三井記念美術館で絵葉書がいつでも購入できるようになった。
「都のにしき」という副題がつき、様々なシーンを描いている。
春の野、土用干し、愛犬、乳母の家、朝の雪、隣の子…

長く生きていたらもっと良いのが世に出たろうし、賛助会員となっていた日本美術院でも活躍したろうに、本当に惜しいことをした。
しかしこうして平成の世になって、三井記念美術館にシリーズものの絵葉書が常時販売されるようになり、太田記念美術館でこのように立派な回顧展も開かれた。
泉下で年方も喜んでいることだろう。

12/11まで。

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