美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

クラーナハ ―500年後の誘惑― 

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わたしが子供の頃、その人の名は「ルーカス・クラナッハ」だった。
何で知ったかは忘れた。
彼が北方ルネサンスの、ドイツ・ルネサンスの代表的な画家の一人だと知ったのはたぶん十代半ば過ぎだったと思う。
青池保子「エロイカより愛をこめて」の中で、美術コレクターである伯爵がとてもクラナッハを評価していて、そこから知ったのだと思う。
青池さんは「パリスの審判」という作品で同題のクラナッハの絵を登場させ、元ナチの潜伏逃亡者らのクラナッハの絵への執着の様子を描いた。
とても印象に残った。
絵そのものはカールスルーエ美術館所蔵のそれの別バージョンと言う設定だった。

作中でNATOの部長がクラナッハの裸婦の魅力について語るシーンもあり、エーベルバッハ少佐がそれを聴いて厭味ったらしい返答をするのが面白かった。
それから版画家・山本容子の愛犬はそのまま「ルーカス・クラナッハ」だった。

外国語の名の日本語表記は揺れやすい。
近年は「クラーナハ」に決まってしまっている。
しかしわたしの中では依然として「クラナッハ」であり、ただ世間に合わせて「クラーナハ」表記をする、というだけなのだった。

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デューラー、クラナッハ、グリューネヴァルトの三巨頭、それぞれ全く似ていない仕事を残している。
デューラーは比較的よく見てきたと思う。
デューラーに影響された日本人画家も岸田劉生をはじめ少なくない。
ところがクラーナハに似た絵を描いた、というかその影響をもろに受けた画家の絵はよく知らない。
ただ、クラーナハを知らなかったろう浮世絵師・鈴木春信の女の絵を見ると、これもまた特殊な官能性があり、知らぬ者同士の近似性というものを感じる。
むしろ浮世絵から先に絵の世界へ入ったわたしにとっては、クラーナハの特殊な官能性は春信と同種、というものに見えていた。
が、今回の展覧会でその認識が少し変わった。

クラーナハの官能性は「特異な官能性」と解説にあったが、確かにその通りだった。
春信には愛嬌があるが、クラーナハにはそれはない。
春信の女は男と一緒にいてもくれようが、クラーナハの女は男も女も魅惑しても本当には誰も必要とはしないし、誰に身体を開いても決して心を開くことはなかろう、と思った。
「冷たい視線が惑わせる」とあるが、なるほどそのとおり、温度の低さがヒシヒシと身に染みる。

最初の宮廷画家時代の作品ではそうそうそのことは感じなかったし、女の肉のありようも考えられなかった。
特に聖書の絵を描いたもの、貴顕の肖像画なども「変わった表現だ」くらいしかわたしなどには思えなかった。

版画が出ていた。
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聖アントニウスの誘惑
モノノケたちの表現は面白いが、しかしこれは他の画家が描いても別に構わない気がした。

いい作品なのだろうがわたしにはあまり響かないままだった。
だが、そうこうするうちにだんだんとこちらの心もちが変わり始めてゆく。

クラーナハの絵に影響を受けた、というかその絵の言えば二次創作をした画家や写真家の作品が現れた。
ピカソ、マン・レイ、デュシャンらの作品がある。
そこでわたしも初めてクラーナハにたぶらかされた芸術家たちの仕事をみることになったのだ。
が、結局誰も本家には勝てない。
彼ら自身のオリジナル作品に比べると、これらの作品は力が足りないと思った。
そしてその原因は何かと考えると、やはりクラーナハの作品から立ち上る不可思議な官能性が原因だと思えた。

貞淑なルクレティア、彼女の自害を描いた絵を見る。
衣服をきちんと身に着けたままの自害。まだここにはそんな変な官能性は感じられなかった。
というより、抑制していたのだろうか。
そんなことを勘ぐらせる。

が、このチラシに選ばれたユーディットが登場すると、全身がざわめき始めた。
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非情に冷静で静かな女は殺したての男を顧みることもしない。手につかんだ生首も剣も傍らの装飾品くらいにしか思っていないのではないだろうか。
凍りついた官能とでもいうか、その冷たさこそが見るものを強く揺さぶるのだった。

ところで時代が時代だから衣服などの表現も素晴らしいのだが、このユディットの衣裳も見事だった。
それで今回改めて青池さんの「エロイカ」の該当巻をみると、この衣裳をモチーフにしたものだということがわかった。
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丁寧な衣裳や装飾品の表現、しかしそれらを外した女たちの魅力に囚われる。
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正義の寓意  どこらあたりがだとききたいが、確かに手には天秤があり、剣がある。
しかしそれだけである。そんな正義などどうでもよくなるほど、この裸婦の魅力に掴まってしまう。
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クラーナハの裸婦について青池さんは前掲の作中でこのように書いている。
芸術音痴の少佐が「この裸の三人娘は発育不全ですね」というのに対し、自身も絵を描く万年部長はこう答える。
「これがクラナッハの魅力だよ、少佐。
小さめの胸と丸みを帯びた下半身が微妙にエロチックなのだ。
この絵は透明感のあるお色気がポイントなのだ」
それに対し少佐は冷たく切り捨てる。
「部長がいうと濃厚なわいせつ感がありますな」

部長の言うことも少佐の言うこともどちらも正しいと思う。
この発育不全の裸婦たちは濃厚なわいせつ感があるのだ。
そこに500年後の観客までもが強く囚われてしまうのだった。

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ヴィーナス  邪な微笑を口元に浮かべるヴィーナス。見ているだけで目で犯してしまい、指先が何かにまみれそうだ。
しかしそれでいてこの裸婦たちは素知らぬ顔でいるのだ。

誘惑する女たちは他にもいる。
老人を誘惑する女たちのいやらしさはもうおぞましいくらいだ。
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父ロトを誘惑する娘たちも同じだ。
しかしこれは娘たちの悪徳ではない。そのように仕向けたのは誰か。
そしてその娘たちの表情は恐ろしいくらいだった。

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クラーナハはルターの親友だったそうだ。しかし彼の描く男性には全く魅力を感じない。
いや、魅力を感じようと感じまいと、そんな対象ではないのだ。
なのに女たちはなぜあんなにも官能的なのだろう…

多くの絵を見、他の画家たちの絵も見ていながら、やはり印象が強いのは暗い背景の中に佇む裸婦たちだった。
衣服を付けていても、男と共にいても、彼女たちはやはり裸婦と同じだった。
これまで本当に知らなかったことを知ったように思う。
ヒトに言えないようなときめきが自分の身のうちにある。
それはやはり彼の描いた女たちに誘惑されたせいだった。
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