美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

没後20年 司馬遼太郎展「21世紀 未来の街角で」

阪神百貨店で司馬遼太郎没後20年の展覧会が開催されている。
イメージ (89)
96年に亡くなったからもう本当に20年をすぎてしまったのだ。
没後何年目か、司馬さんの自宅が仲良しの安藤忠雄設計によって記念館となり、河内の人々の熱心な運営と全国からのファンの来訪により、大阪府下有数の魅力ある文学館となっている。
今回その司馬記念館から司馬さんの膨大な仕事のうち・戦国もの・維新から明治・街道物などをピックアップして阪神百貨店の8階に集結させた。
いそいそと出向くと、司馬さんと一緒に歩ける拵えがあった。



いいねーみんなここで記念撮影。
わたしはこの司馬さんを見て「街道をゆく」司馬さんと、我が道を行く須田刻太画伯の様子を思い浮かべた。

中に入って仰天した。
産経新聞で連載していた「竜馬がゆく」全話1335回分の新聞掲載時のコピーが壁面にズラリ。つまり岩田専太郎の魅力的な挿絵もずらり。
わたし、アタマ沸騰したわ。


ここだけでどれだけ時間がかかったかわからなくなった。
叫びだしそうになりながら写真をパチパチ撮った。知ってたらカメラにしたのに。
絵を見て文をチラチラ見るうちに初めて読んだ時の感動と興奮が蘇ってきた。
長らく再読していないのに、様々なシーンやエピソードや文章が次々に浮かんでくる。
わたしは小学5年生だった。夏休みのある日、家にあった5巻もの単行本を読み始め、1日一冊ずつ読み進めたのだ。あまりに面白すぎて、毎日朝の8時から夜中の2時まで読み耽っていた。その5日間は何処にも行かず、ひたすら「竜馬がゆく」を追い続けたのだ。
その時に今も続く熱狂と偏愛の性質が形を取ったのだと思う。

なおわたしの撮った専太郎の挿絵は別項で挙げている。
さてその「竜馬がゆく」壁面を過ぎると、「国盗り物語」が現れた。
斎藤道三のあたり。1行だけで強く惹き込まれるのを感じる。
そばに信長の肖像画があった。
ふっと大河ドラマでの本能寺の変の回を思い出した。
放映当時はそもそも知らないのだが、便利なもので映像が残されていたのでつい近年見ることが出来たのを思い出す。

「関ヶ原」がある。これも家にあった。3巻本。印象深いシーンがいくつもあり、長らく疎遠にしたとはいえ、その文章や状況が浮かび上がってくる。
司馬さんの文章の力にくるめとられることに、いささかの反抗心もないことに、改めて気づかされる。

「燃えよ剣」や「新撰組血風録」がある。
本を読む前に既に栗塚旭主演のドラマを見ていた。あまりに素晴らしいドラマだったので、いまも土方は彼以外考えられなくなっている。尤もこれは半ば以上親のリードにも依った。

普通はどちらかに力を入れるものだろうが、わたしは竜馬も新選組も高杉晋作も河井継之助も等しく好きだ。これはやはり司馬さんの本に導かれたからに他ならない。

あまりに耽溺すると冷静な眼が持てなくなる。
しかし歴史小説の場合、その場にいなかった後世のものは、著者の力業にうまいこと巴投げされて、のめり込むことが少なくない。
たとえば聖徳太子についてだと、わたしは山岸凉子えがく厩戸王子以外はどうしても受け入れられない。
偏狭だとも言えるが、それがファンの情というものだ。

「菜の花の沖」がある。函館に行った時、嘉兵衛の像を見たことを思い出す。
その時も嘉兵衛がどういったことを考えていたか・何をしたかということは全て司馬さんの作品を根拠にして、思い出している。

司馬史観から抜け出すことはもうありえないし、その居心地の良さを手放すことも厭だ。
そうした人が多いからこそ、今日に至るまで絶大な人気が続くのだろう。
しかも新たなファンを獲得し続けている。

「坂の上の雲」をドラマ化した時、NHKはとても力を入れたそうだ。
司馬さんの小説を映像化することはほぼ無理だとよく言われる。
わたしも期待はしていなかった。
しかしあのドラマはよく出来ていた。
「まことに小さなこの国が」と地の文章をナレーターに「言わせた」時、強いやる気を感じた。とてもよく研究してドラマ化している、これは期待してもいい、と第一話を見始めたとき、思った。

司馬さんの読んできた本が記念館にある。
実際には同じ本を集め、展示しているのだが、あれを見たとき、ときめきと共に反省が生まれる。
生涯にどこまで本を読み、咀嚼し、更に求め、違う意識や意味を知ることが叶うのか。
自分はどこまで学べるのか。
だが、現実はずっとに厳しい。
そして司馬さんへの畏敬の念はいよいよ巨大化する。

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刻太さんの挿絵が並ぶ。
ああ、懐かしいモンゴルのツェベックマさんがいる。
「街道をゆく」のモンゴル編は中学の教科書に採用されていて、わたしはそれで「街道をゆく」を知ったのだ。
特にモンゴルのヒトなどそれまで本当に知らず、大昔のチンギス・ハーン(当時はジンギス・カン表記)くらいしか知らなんだのだ。
あのころのわたしに今の大相撲の様子をぜひとも教えてやりたいくらいだ。

刻太さんの展覧会もよく見ている。近年はちょっと企画展がないが、それでも関西にいる一得で刻太さんの作品を観る機会は少なくない。
司馬さんは刻太さんの不器用さを愛し、旅の時、ご自分もものすご゛゛゛゛゛゛゛ーーーーく不器用なのに剋太さんの世話をよく焼いていたという。
とてもいい話だ。

剋太さんが亡くなり、それから何人かの画家が旅を共にし、安野さんも司馬さんの旅を描いた。
しかし本当の意味での「旅の道連れ」はやはり須田剋太以外にはいなかった。

小説の挿絵は専太郎、中尾進、風間完、三井永一らの手練れがよいのを残した。
挿絵愛好者である私としてはとても嬉しい展示でもある。
司馬さんご自身の絵や地図もあるのが楽しい。

今、自分は旅に出ることがまだ出来る。月に一度東京へ出かけるのを旅とは思わなくなってしまったが、それでも何かで旅をしていると感じることがある。
そんなときに司馬さんの「街道をゆく」に向き合うべきだなと思う。
それはまた昨日挙げた鷗外の「即興詩人」と安野さんの旅を想うときでもある。
わたしはどこかへ出かけようと思う。司馬さんの展覧会を見る今、そんなことを想う。

若い頃、産経新聞の記者だった司馬さんの遺品などをみる。
数年前みつかった本願寺所蔵のソファや「金閣炎上」をスクープした時の記事などを見る。
それをみて思い出したが、井上靖は毎日新聞の記者だったころ、創造美術の立ち上げを知り、時宜を待って、大きなスクープ記事にした。これもいい話だ。

司馬さんは「韃靼疾風録」で小説家を卒業し、社会思想家になったとでもいうか、この国の行く先を心配して若い人たちに言葉を残すようになった。
没後20年、司馬さんはむしろ今の世を知らなくてよかったかもしれない、と思うことが強い。
展示を見ながら、最後のコーナーで考え込んでしまった。

24日まで
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