美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

近代画家の描く近松作品「大近松全集」付録木版画より

尼崎には近松門左衛門の墓がある。
「元禄の人」として認識され、当時の文化の中心にいた一人だと言われている。
現代にいたるまで近松の芝居は上演され続けているが、歌舞伎、文楽だけでなく、商業演劇や映画にもオペラにもその作品は使われている。

その近松の研究者・木谷蓬吟が編集した「大近松全集」という本がある。
台本そのままではなく、活字を組んだ翻刻ものであり、そこに木谷の解説もあり、更には付録として当時一流の画家たちによる口絵版画や物語の現地写真が付録につく、という構成だった。
以前から折々にこの近松作品を版画化したものは見てきたが、今回、園田学園女子大近松研究所での展示は、地元の熱意も感じられて、とてもよかった。

なお、以前に見た「大近松」の版画の感想は
大商大での北野恒富展がこちら
白鹿ミュージアムでの近代日本画展はこちら
木谷千種展での感想はこちら

今回は二期目ということで出ていたのは数点だが、参考資料として大正時代に刊行された当の「大近松全集」本が並んでいて、読んでもよいとのことなので喜んで5巻「蝉丸」を読んだ。
本自体は1923年の近松200年忌にあわせての刊行である。
装幀は藤井達吉によるもので、どこかアールヌーヴォー調の可愛らしい文様が拡がっていた。

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天網島「小春」 菊池契月 白い顔の女、というのは契月の特徴の一つだが、経年劣化による顔料の黒ずみが更にその顔の白さを浮かび上がらせている。
劣化というより、その黒ずみはこの薄幸の女の運命を見せているかにも感じられるのだ。
黙ってじーっ と俯き加減に煙管を見つめる小春。
小春という女の感情の現れ方を思う。
廓にいる間の静けさは鬱屈の現れではないか、だからこんなにも無表情でありながらもありありと寒々しさが浮かんでいるのではないか…などといくらでも想像が広がる。

嫗山姥「山姥」 小川芋銭  近松の芝居では実は金太郎のお母さんではなく嫁さんと言う設定なのだが、芋銭はそれをやめて、金太郎を育てる山姥と言う設定で描いている。担いでいるのは茄子ではなく藤。
自然の中に息づくヒト以外の者、物の怪などを楽しく描くことの多い芋銭。
山中の山姥もまたその仲間なのだ。

大経師「おさん」 岡田三郎助  こたつにもたれながら、実家の父の借金をさてどうしようと考えるおさん。この頼りなげな女を三郎助はモノクロだけで表現する。
軽く開いた唇からは鉄漿が見える。ぼんやりと白い女。黒目がちの大きな目、というのは三郎助の美人画の特徴だが、版画でもその美は発揮されている。
この可愛らしさに手代の茂兵衛もとんでもない泥沼に溺れこむのだ。

博多小女郎「毛剃」 野田九浦 甫も使っていたが、ここではサンズイ。
船上で物思いにふける毛剃九右衛門。芳年の浮世絵の毛剃の大きさを想うが、ここでは普通の海賊の頭領である。

酒呑童子 玉村方久斗 首を切り落とされた酒呑童子が跳ね回る様子。真下ではさらわれた美女たちが右往左往している。
不思議なグロテスクさも併せ持つ特異なセンス。
2008年に彼の回顧展を見たことを想う。

蝉丸「蝉丸」 菅楯彦 これはタイトルロールそのまま「蝉丸」である。
菅楯彦はさらさらとした人物画が多いが、この蝉丸はさらさらとした筆遣いでありながらもその美しさをあらわにされた青年である。
延喜の帝の皇子でありながらも盲目の身となり、逢坂山に捨てられる。
そこへ琵琶の名手・源の博雅が訪れる…というのが大体の話だが、ここでは細部が違っている。
物語は後で記すとして、先に絵を見る。以前からとても好きな絵である。

美少年蝉丸が逢坂の関の庵で一人しょぼんと腰かけている。杖を手にして片方の足にはまだ草履があるが、これは外から帰っての様子なのか・今から出てゆくところなのかまではわからない。
庵には琵琶もある。見捨てられた美少年の儚い美しさが沁みてくる。

わたしは今回「大近松全集」の5巻を手にとり、そっと本を壊さぬように気を遣いながら「蝉丸」を通読した。
初めて読む話である。62ページ目から近松の脚本が掲載されている。

冒頭から色々と後の状況を想像させる話がある。
ここでの蝉丸はその美貌故に女たちに憎まれタタリを受けて失明する。
こうした話の展開は近松以前の中世の闇を思わせる。
「當流小栗判官」にもそうした展開がある。

ある宴の最中のことである。
実は彼は北の方を裏切り、二年経つのに手も触れず、その言い訳に仏道修行を言い立てるのだが、衛士として男装する愛人が全てを告白し、めちゃめちゃになる。
結果、女の恨みで失明する蝉丸。
その後は色々とトラブルが続く。
やがて安居院の小聖のおかげで彼を呪う北の方も成仏し、復活の日を迎える。
ここで安居院が現れることにも中世の闇が活きていることを感じる。
更には説経節などに多出する「千秋萬歳」で終わるのだ。
古い物語にはそうした闇がまといつくのだが、一方でこの蝉丸は確かに近松当時の青年でもあったのだ。

展示は12/18まで。
こちらは来季のチラシ。
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そして終了のものも。
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また次も見たいと思う。



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