美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 後期

山岸凉子展の後期をみてきた。
やはり光り輝いていた。

前期の感想はこちら

今回はサンコミックスの単行本「メデュウサ」の収納作品のうち3点のカラー表紙絵が出ていた。
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アフリカの女性を思わせるような衣裳や装飾で、裸足の足にはアンクレットが何重にも巻かれている。
「籠の中の鳥」の表紙絵である。
表紙絵と内容とは全く無関係だが、それがまた山岸さんの場合魅力でもあり、ファンとしては楽しみでもある。


こちらは単行本「メデュウサ」表紙ともなった「ダフネ―」
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古代の地中海あたりの衣裳のようにも見える魅力的な衣裳だが、その意匠をみると和のイメージが活きていた。
山岸さんはミュシャやガレにも強く惹かれたということを言葉にされているが、確かにこのカタチはミュシャの女性たちが身にまとうているそれのようでもある。
わたしが最初に山岸さんの描くファッションに惹かれたのはこのカタチのもので、たとえば「妖精王」のクイーン・マブのそれなのだった。
山岸さんは映画「アリオン」でも監督の安彦さんの要望を受けて衣裳を担当されたことは前期展のときにも書いたが、本当に魅力的な衣裳を創造されるのだ。

続いてこちらはタイトル「メデュウサ」である。
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単行本の背表紙となっている。
今回その原画を見て、このメデュウサの肉体の魅力に強く惹かれた。
筋肉の在り方、肌の張り、ピンと立つ乳首。浅黒いその肌の色。
柔らかさはないがとてもかっこいい肉体だと思った。

続いて「ひいなの埋葬」は見開きページのカラーだったが、その一部をスキャンしたものが単行本表紙となった。
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絵は大胆な構図だった。蜘蛛の巣と蝶の打掛を脱ぎ掛けた美人は実は手に花の枝を持つのだ。
花はおそらく桃だろう。この物語は「ひいな」の時期、つまり、桃の節句の話なのだ。

稚児髷に結うた少女の美しさもここに出ていた。牡丹柄の着物から筥迫ものぞき、とても丁寧な美しい絵。
わたしの持つ本ではカラーではなくモノクロ印刷なので初めてその色彩を見たことになる。

そして今回もまた「日出処の天子」にときめく。
懐かしさに身もだえるのもある。
わたしの持つ単行本は初版本でカラーはすべて入らないからだ。
ただ雑誌を購入していたので当時見て忘れなかった色彩に再会できた、忘れていなかった、という喜びがある。

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王子は孔雀の上にいた。
改めて王子の美に強く惹かれた。

モノクロの美しさは線の美を愛でることになる。
いつもとても綺麗で丁寧な和の美がそこにある。
王子の着物の美しさ、本当に素晴らしい。

…とはいえ、この巻末の付録でこんなのがある。
王子がジタバタしながら「服の模様のスクリーントーンも限界に達しているというのに」と言うのだ。
それに対し毛人が「毎回変えるあの服はどうやって手に入れるのですか」と質問すると、王子曰く
「調子麻呂が夜なべして縫っているのだ」
花飾りも調子麻呂が摘んできたのを遣うそうだ。
そうか、そうだったのかーーーと当時のわたしは納得したのでしたw

「リリカ」で連載した「落窪物語」ラストページが出ていた。
これはアメリカ向けなので日本と逆綴じなのだ。
実はいまだに山岸さんの「落窪物語」を読んでいないので、こうしてみることが出来てよかった。

「りぼん」時代の「白い部屋の二人」がある。少女同士の恋愛感情のもつれである。
わたしは子供の頃からフジョシだが、女性同士の恋愛と言うものを知ったのは、実に山岸さんの作品からだった。
むしろある時期まで山岸さん以外のヒトで女性同士の恋愛を描く人は他にいなかったと思う。
池田理代子「おにいさまへ」は恋愛とまでは言えなかったが、「クローディア」はそうだった。
やがて有吉京子「アプローズ ―喝采」があらわれ、小野塚かほり「愛い奴」があるものの、他はほぼ知らない。
あるのだろうが、読んでいない。
とはいえ大正から昭和初期の少女小説のなかの「エス」は後年知ることになったが。
そう、わたしは山岸さんの「アラベスク」で女性の同性愛者を知ったのだ。
前掲の「メデュウサ」も同性愛者で狂気に陥る女の話だった。
「ゲッシングゲーム」を読む以前、山岸さんは女性同士は描いても男性同士は描かないのかと思っていたくらいだった。

山岸さんの昔の作品をしばしば再読するのだが、やはり70年代後半以降のものは今読んでも全く「時代性」を思わせない。
普遍的な状況がそこにあり、何十年も前に描かれていながらも、そのことに気付かないくらいなのだ。
だからまったく「古さ」というものがない。
稀有の作家性だと思う。

「狐女」「グール」のカラー表紙絵を見ながらその発表年を見て「えーっ」と驚いた。
「そんなに昔とは思えない」からだ。
「ドリーム」については前回も書いたが、これはもう読めば読むほど、こちらが大人になるほど、忘れることのできない作品になってゆく。
わたしが現在近代建築を愛し、東洋の古美術を愛するのもこの「ドリーム」の影響を受けたからではないか、としばしば思うこともあるからだ。
今回展示されていた「ドリーム」見開きページのカラーの美しさにも強く打たれた。
わたしが持つ単行本では色の再現がないからだ。
美人画の屏風または衝立が美女の背後にあるが、今こうして眺めると、懐月堂と宮川長春の間くらいの絵に見え、これはこれで魅力的だと思うのだ。
まさに近世美人画であり、その屏風を背景にした美女・丹穂生のどこを見るともしれぬ眼差しと共に、強い印象が残る。

日本画風の美ばかり紹介したが、それだけが魅力ではない。
73年の「ティンカー・ベル」の愛らしさがここにある。
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何を見てもどれをみても山岸さんの画力の高さ・冷徹な眼差し・物語の強さにただただ惹かれるばかりになる。

そして最新作「レベレーション 啓示」
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このシンプルさにもまた打たれる。

最新の「モーニング」にも作品が掲載されていた。
わたしはそれを読みながら次の展開が待ち遠しくてならなかった。

山岸さんはどのジャンルの物語を描こうと、常に深い満足を与えてくれ、また強い恐怖を贈ってくれもする。
ここではホラー作品はあまり紹介されなかったが、わたしなどは「わたしの人形は良い人形」「汐の声」が怖すぎるあまり、単行本ではなく文庫本で購入したくらいだ。これは本が小さいと少しでも恐怖が和らぐのではないか、というオロカな考えからのことだったが、そんな本のサイズくらいで山岸さんの描く恐怖も悪意も消えるはずなどない。
あまりの怖さにとうとうわたしはその本を自室に置けず、母の部屋に預けている。
母は呆れているが、いつもわたしに反発する妹もこれだけは完全に同意し、わたしに同情した。
山岸さんのホラー作品はもう本当に…いたたまれないくらい怖いのだ…

いい展覧会をありがとうございました。
余韻がいつまでも残るのがとても嬉しい。
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