美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

「観光乙訓事始」と向日市文化資料館

向日市文化資料館に初めて出向いた。
そもそも向日市に関心を持たずに来た。
古い土地だということは知っていても、何があるのかすら知らないのだ。
だが、難読地名の物集女(もずめ)あり、近くの長岡京市には都もあったし、天神社もあり、春には筍が出るのだ。
この地域は「乙訓郡」オトクニ・グン と呼ばれ本当に旧い。
大山崎、長岡京、向日市とそれから。
その乙訓郡を中心にした「観光」の資料が集められていた。
名付けて「観光乙訓事始」、しかもpart2だとある。
17011401.jpg




現代でも花の寺として有名な寺社がこの地域にいくつもあるのだが、明治32年つまり19世紀終盤にもそこを紹介するパンフなどがあった。
桜の名所案内と社寺参観券などがついている。
このシステムは江戸時代位に確立されていて、現代まで案外変わっていない。

乙訓名所図会というパノラマ地図もある。比叡山から神戸まで一望。

名勝写真の中には大原野神社、大山崎あたりを写したものもある。
思えば現代ではこうした名所へ出かけた人が自分から進んでネットにその地の写真を挙げたり、名物の紹介をしているのだ。誰に頼まれたわけでもないのに。
そしてそれらは思った以上に活用されもする。

鉄道競争双六 1925 大毎号と書かれた気球に乗った子供らが日本を見下ろしている。日本全土を使った双六。

かつて新京阪電車という会社があった。沿線を見ると今の阪急京都線などである。とはいえこれは阪急の自社設営線ではない。
それでもこの時代にほぼ現在と同じ駅名と路線を持つようになっている。

1930年に乙訓郡の尚武会(軍後援組織)と町村会の代表の人々が朝鮮満州に向かって出立した。乙訓出身者の慰安の為らしい。
そこで集めた観光資料がここにある。
朝鮮の金剛山の鳥瞰図は吉田初三郎のもの。これは以前にも見ている。
峻厳な山中にところどころ休憩所などがあるようだ。

大阪商船の出した航路案内リーフレットは見返し図もなかなか可愛い。
「冬の船旅」には春駒を「台湾航路案内」にはヤシの葉を「大連航路案内」には何故か象の絵が描かれている。

昭和三年には御大礼があり、それに因んだ絵はがきやパンフがある。
大礼記念絵はがき、写真はがきなどを見ると絵のものはカラフル、写真はモノクロ、それぞれ魅力的。

大正から昭和初期の名所案内絵はがきもいい。
楊谷観音、山崎聖天、桜井駅の別れ、水無瀬宮、善峰寺などなど。
たった20年ばかりの愛宕山鉄道というのもあり、その沿線案内図もある。
淀の競馬は今もあるが長岡も競馬をしていたのか。これも短い年数。
向日市には競輪場が存続している。

イメージ (28)

かなり楽しめた。
1/15まで。

常設展を見る。
長岡京の時代の食事情とマジナイ関連が面白かった。
マジナイ(呪いと書いてマジナイなのだ)は木のヒトガタやミニチュアなど。
イメージ (32)

食事は再現され、更にカロリーまで示されていた。
庶民:つけもの、青菜の汁、塩、玄米。
イメージ (29)

役人:茄子の漬物、ワカメのすまし汁、なめる味噌、なます、イワシの炊いたん、栗に枝豆など。
イメージ (30)

貴族:タイの塩焼き、白米、アワビのウニ合え、サトイモ、茗荷・人参・麥縄、醤(ひしお)、酢、清酒。
二の膳もあり、蘇(チーズ)、ところてん、鴨のなます、塩、柿やクリなど。
イメージ (31)
なんだかもうたいへんおいしそうだった。

地方の歴史資料をみるのはやはりとても面白い。
また来よう。




確かこの地の阪急そばが美味しいと「酒場ミモザ」にあったので出向いた。
かつおだしの濃いおうどんをいただいた。
あったかくなったところで、阪急からJRへ向かって歩いて行った。

雪の降る中、向日市文化資料館―龍谷ミュージアム―茶道資料館―高島屋、そんなルートで遊んだのだった。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア