美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

ティツィアーノの描く膚から思い出すこと

先日、東京都美術館で「ティツィアーノとヴェネツィア派」展を見た。
その感想はこちら
そこでも書いているのだが、ティツィアーノ描く女の膚の艶めかしさ・張りは本当に素晴らしい。

以前に見てきたティツィアーノの絵のうち、このブログで挙げているのは大まかなところでこの二つの展覧会。
・ウルビーノのヴィーナスを観て (2008/05/07) 感想はこちら
・カポディモンテ美術館展 (2010/07/25) 感想はこちら
ウフィツィ美術館で見たときもティツィアーノの女たちの膚にくらくらした。
今回の展覧会のコピーにも既にそのことが示されている。
「バラ色の女神の誘惑。」
バラ色の膚を称えている。

ゆったりした美人の広がる膚。触り心地の良さそうな肌。
よく肌の滑らかさは日本人のそれが第一だと言うが、それは湿潤な気候あってのことで、ヴェネツィアあたりの気候から考えると、やっぱりこの艶めかしい膚の表現というものは凄いのではないか。

彼がどのように絵の具を塗り重ねたのかは知らない。
しかし膚の美しさを出すためにはたいへんな辛苦があったろう。

これで思い出すのが水野英子と北島洋子の合作である「赤い肖像画」という1978年の作品。
「花とゆめ」に読み切り掲載された。
わたしもはるか昔の記憶なので細かいことは忘れたが、ある画家が貴婦人の肖像画を描くために自分と付き合いのある女の血をもらう。その血を使わねば貴婦人の肌の美しさは表現されないと画家は考えたのだ。
それで貴婦人は実物以上に美しく描かれるのだが、嫉妬と絶望と怒りから女が絵を切り裂いたとき、貴婦人もまた斃れる。
そして男はまた別な道を行くのだ。
今ちょっと調べると京都国際マンガミュージアムにも花とゆめの掲載号が所蔵されているようだ。
合作ものなので単行本化ができなかった、という話は水野英子展が弥生美術館で開催されたとき、美術館を通じて水野先生からお答えをいただいている。

膚を描く、ということは大変な労力である。
望月玲子「ヴァルダ―迷宮の貴婦人」もまた膚の美を描くために血が使われ、更に愛憎故に貴婦人に呪いをかけた画家の執念が貴婦人を吸血鬼にする、という恐ろしい話だった。

どちらも外国が舞台の物語となっている。
日本で膚の美を再現するために辛苦する話は知らない。
しかし、人の膚ではなくやきものの膚への執着について書かれたものならいくつか知っている。
また、谷崎潤一郎の小説にはしばしば延々と膚の美について書かれている箇所がある。
芸術家の執着。
そんなことをティツィアーノの描く女の膚を見ながら思い出した。

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