美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「海北友松」展をみる

京博の「海北友松」展もいよいよ終盤を迎えた。
関西だけでなく首都圏からも多くのお客さんが見に行かれては感嘆の声を挙げている。
早く感想を挙げねばと思いながらバタバタしていてとうとうこんな時期になった。いつものパターン「既に終了した展覧会だが」で挙げるわけにはいかない。
とはいうものの、前期は見たが、後期は今週末に行く予定のわたしなのだ。

サイトに紹介がある。
「海北友松(1533~1615)は狩野永徳や長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠です。近江浅井家の家臣の家に生まれた彼は、若年を東福寺で過ごしましたが、主家や兄が信長に滅ぼされるに及び、還俗して狩野派の門を敲き、画の道に進んだと伝えられています。いま遺る作品のほとんどは狩野派から独立して以後の晩年期(60歳以降)のものですが、鋭い筆遣いが駆使された気迫溢れる水墨画や詩情豊かな大和絵金碧画などは、ほかの誰の作とも似ていない、まさに友松ならではのものといえましょう。
最晩年まで絵筆を握り続け、83歳でその生涯を終えた桃山最後の巨匠の世界を、心ゆくまでご堪能ください。」

かいほう・ゆうしょう
耳だけで聴くと気分が大きくなる。字面もいい。いい名前だ。
観たものだけの感想を挙げる。後期だけの展示はまた後日に。

第一章 絵師・友松のはじまり―狩野派に学ぶ―
83歳という、当時としては長い生涯のうち、本当に絵師として働いたのが60歳以降と言うのは凄い。
それも僧侶として人々を啓蒙しようとして絵を描いたら人気が出た、と言うのではなく、当時の最高機関の一つへ正式に学びに行ったのだから、相当な覚悟だったろうと思う。
後で絵の領収書が展示されるのだが、きちんと職業として絵師を選択したのだ。
とはいえ、本人はそのことを色々と苦渋の選択のように記しているが。

歌舞伎の先代雀右衛門丈は長く戦争に取られ、映画俳優として人気を博し、ある程度の年になってから女形になった。
その時舅から言われた言葉が「60代になってからでないと本当の女形にはなれないよ」だったそうだ。
若い頃の準備がないのでその年からしか開花しないということだった。
実際、雀右衛門丈が大輪の花を咲かせたのは確かにその年周りからだったが、それからは自分の息子世代どころか孫世代とも濃厚な濡れ場を演じ、長年にわたりいつでも魅力的な女形を演じ、最後まで素敵だった。
友松もまた雀右衛門丈の先達だと言えるだろう。

狩野派の門をたたき、そこで修業したころの絵は当然ながらその影響下にある。
まだオリジナリティを出せるほどではない。
だが、それだけにしっかりした絵を描いている。

菊慈童図屏風 赤と白の菊が綺麗に列を成す。菊慈童は赤衣を身にまとう。
物憂い顔で俯いている。自分の境涯を思うのか、穆王を想うのかはわからない。
淋しい。たった一人で菊の中で生き続けている少年。

山水図屏風 松に始まり視線が右から左へ動くにつれパノラマが広がる。衝立のある亭がみえた。色のない笹、松が続く。字のない伝言板みたいなものがある。田圃の雀払いみたいなあれ。
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柏に猿図 黒、白の猿が四匹。右幅の猿はアクロバティックなことをしている。白猿が横に伸びる枝を鉄棒のように掴み、黒猿はそれを支えに花を取ろうとする。 左幅は黒猿が二匹、機嫌が良い。
柏は猿に頼られても大丈夫。
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西王母・東王父図屏風 侍女が鉢に桃を入れたのを持つ。白に青緑のとりあわせの上衣に黒金の短いものをまとう西王母。白梅の頃、松の流れる幹に座る。まだまだみすみずしい。一方の東王父は頭巾をかぶって左端にいる。あまり面白くはない。

友松の書が残っている。源氏物語絵詞に彼の手が残っているものがある。


第二章 交流の軌跡 ―前半生の謎に迫る―
史料がよく残っていて、感心する。この時代を生きた人々の逸話はとても興味深い。

夫妻像もある。妻は春日局より拝領した着物を着ていた。
その縁は、春日局の実父・斎藤利三の首を供養したからだった。
明智光秀の重臣である斎藤は処刑されたが、彼と友松は友人だったそうだ。
情義に厚いな。戦国の世にこうした逸話はあるが、やはり知るとこちらも感銘を受ける。
老夫婦の肖像画は息子や孫が賛も含めて描いたもの。めでたい。
揃って絵を見る老夫婦。
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海北家の由緒書き・系図などもある。なかなかの家柄。しかし戦国の世で信長に関わって滅ぼされた家の子で絵師になる、と言うたらもう一人いてはるよなあ…
絵師になる、と言うのはどういう意味合いを持っていたのだろう。

春日局像 探幽 上畳に座す、緋袴の凛とした老女姿。
彼女を描いた作品で好きなのは大和和紀「イシュタルの娘」。
主人公・小野のお通の教えを懸命に学ぶおふくさん。

琴棋書画図襖 永徳 聚光院 大柳が印象的なのだが、それよりもその引手、水木しげる描く妖怪ヌリカベの目にそっくりではないか。

友松はこの師匠の死後に独立する。
思えば京博では2007年に永徳展、その「三年後には等伯だ!」と看板にあった通りに2010年に等伯展、そして冒頭にある通り「狩野永徳や長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠」友松が満を持しての登場である。
その間に狩野山楽・山雪展、永徳の後継者たち展といった次世代の絵師たちの特別展覧会があったが、これでもう大がかりなプロジェクトに参加した大物絵師の大回顧展は、あと数十年はないのかもしれないな。


第三章 飛躍の第一歩 ―建仁寺の塔頭に描く―
サイトから
「六十歳を過ぎて頭角を現わし始めた友松の活躍の舞台となったのが建仁寺でした。大方丈の障壁画をはじめ、大中院や霊洞院、禅居庵などの塔頭にも障屏画や掛幅が伝わっており、いつしか建仁寺は「友松寺」とあだ名されるようになりました。」
近い割に案外行かないお寺なので、本当にあんまり知らないのだ。
昨夏ほぼ初めてと言うてもいいレベルの訪問をしたくらいかな。
当時の感想はこちら

山水図襖 太中院 薄墨で静かな世界を表現。
花鳥図襖 霊洞院 彩色がなかなか。白椿、金蕊白牡丹、くっきり松。
唐人物図襖 霊洞院 「袋人物」のハシリ。友松キャラがいよいよ。
松竹梅図襖 禅居庵 わたしが見たのは梅図。薄墨だが力強い。厳しい梅。


第四章 友松の晴れ舞台 ―建仁寺大方丈障壁画―
全52面!そのうちの50面が現存するが、保存のために掛軸に変身。
建仁寺は確か今では所蔵する絵画類はデジタル複製品にしたのを展示・使用して、本物は京博に委託していたのだったかな。

雲龍図 8幅 ベロを出す龍、大きい。力強い。礼の間の絵らしいが、迫力あるなあ。とはいえ、雪村えがく呂洞賓、彼が乗るのもこんな龍だわな。
目が活きている。だからナマナマしさがある。

花鳥図 激しく鋭い。孔雀と牡丹なのだが、この孔雀はヤマタノオロチくらい食べてしまいそう。すごい勢いがある。

竹林七賢図 「袋人物」登場。もさっもさっとした衣。この衣の膨らみ方で「袋人物」と言うわけだが、近衛信尹が天神様を描いたのと似た感じもある。
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山水図 玉澗の画法に基づく早体画による図。山水と言うても山は見えない。見えないがそれは即ち己がその山の中にいることだと知る。そんな絵。薄墨で山の空気が表現されている。しかし人間を拒絶する峻厳さはない。
なにしろあちこちに小さい建物がポコポコ建っている。
旦那の間にあったそうだが、なるほどおっちゃん向けですな。

琴棋書画図 真体画法だとある。色んな画法を使いこなせるようになったのだ。
絵はきりりとしている。欄干の彩色もいい。侍童もいる。敷物、椅子に座る高士たち。とはいえ、ヌリカベの前にいるようで、そこに何か書くのだろうか。


第五章 友松人気の高まり ―変わりゆく画法―
実に様々な絵があった。

瀟湘八景図も5点あるが所蔵先もそれぞれ。頴川美術館の洞庭秋月図は観たように思う。

おお、三藐院近衛信尹の書状。わたしは彼のファンなので、何が書いてあるのかわからなくても嬉しい。
付き合いがある、と言うのがこの時代らしくていいな。

山水図屏風 山中とはいえヒトの住まうところでもある。二階建ての建物がある。山際には道もある。これくらいならほっとする。
山から出てゆくことも出来るし、ゆくことも叶う。

飲中八仙図屏風 ここに描かれた少年たちの可愛らしいこと!壺の蓋をあける少年、お酌をするロン毛の少年、特に可愛い。飲んでグデグデのジイサンらのお世話を細々しく焼いている。
左端のはなにやら耳打ちされている。
「もぉあれだ、飲んでも誰もわからん、水に入れ替えてしまえ」とは言わないだろうが。
今回の作品中、いちばんニコニコしてしまったよ。可愛い少年でしたわ―

達磨図 あら白衣のだるまさん。なんだか困った顔で右下を見ている。「うーん」という感じでぼさぼさの眉も困った形に寄っている。

婦女琴棋書画図 絢爛な彩色。ツリ目の女、タレ目の女、様々な顔も描き分け。
向こう鉢巻の少年もいる。おっとりした風情もあり、白梅も咲いていい感じ。

鷹図 2幅共に動きがある。左はおる・右はくる。ごくシンプルな様子。

放馬図屏風 よく肥えた馬だな。ようけいるがのんびりしていていいな。
白馬は雪村風、黒馬は没骨、みんなのたのた。

群仙図屏風 やっぱり変なんは変なんよ。巻物開く呂洞賓をのぞき込む柏ケープは誰かといえば彼の師匠の鍾離権。恋文らしきものを見ているような女仙もいる。何仙姑かな。


第六章 八条宮智仁親王との出会い ―大和絵金碧屏風を描く―
目にピカーーーッ 全て目に鮮やかな金ぴかである。

檜図屏風 なるほど「金碧画」とはこれのことかと納得。大変鮮やか。この檜の強そうなこと、花粉を物凄く飛ばしそうである。

浜松図屏風 千鳥が飛んでいる。青海波風な海面。その波の様子はセイウチの群れのようにも見える。これは妙に近代的な様子もあるのが面白い。
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扇面貼付屏風 土佐派の扇面を貼るその下地は友松の絵。こういうコラボは楽しい。

第七章 横溢する個性―妙心寺の金碧屏風―
今度は妙心寺で漢画の金碧屏風。名声恣!めでたい。
なので前章とはまた作画の趣が違う。

花卉図屏風 豪華絢爛とはまさにこのこと。フルカラー。牡丹が物凄く態度大きく咲き誇る。将に華。金の背景、緑の岩が牡丹をいよいよ盛り立てる。
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一方左はハクセンコのような梅も貼り付けられたようにそこに咲く。白椿、薄紅の椿、とても愛らしい。この違いがいいな。
寒山拾得・三酸図屏風 仲良し二人組と酸っぱいのを共有した三人と。
珍しく二人組の歯並びがいい。
三人組は「すっぱ!」「う゛」「ぬぅぅ」。
大きめの瓶に寄る三人。
わりと人物が大きく描かれている。

わたしが最初にこの画題を知ったのは横溝正史「八つ墓村」からだった。
あれは田舎の素封家での話だが、先年国立歴博で「ニセモノ大博覧会」を見て、田舎では来客や宴会のためにニセモノだと知りつつもあえて立派な名前の絵師のこうした絵を購入していた、ということを知った。
なので、本物のこうした絵を見た旅絵師が田舎で似たのを描いてそれが残ったりしたようだった。
山水画や道釈人物画が田舎のニセモノに多いのはこうした事情もあるかもしれない。

琴棋書画図屏風 碁盤に琴を置いて居眠り中。傍らの人も侍童もぐーぐーぐー。それを見る人もいる。
巻物を持ってきたよーの人々もいる。
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妙心寺宛の屏風画料請取状がある。案外安価だそうだ。わたしはおカネのことがわからないのだが、そうか安かったのか。 
しかしこれは友松の戦略かもしれないとある。なるほど。
以前の知人に聞いた話だが、某庁に納入する仕事をとれたそうだが大変安価だった。しかしその省庁とつながりをもてたことが大事なので、安価でもいいという話だった。
高村薫「李欧」にもそんな話がある。


第八章 画龍の名手・友松 ー海を渡った名声ー
凄い龍の絵ばかりがある。みんな雲龍図。
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北野天満宮、観修寺の屏風に霊洞院の一幅、個人蔵の一幅。
不穏で生臭いような黒雲が広がり、そこに巨龍がうずくまる。
そしてこの展示室はこれらの龍の見せ方が心にくいばかりにうまい。

うろうろと歩き回りながらうーんうーんと唸るばかりになった。

朝鮮でも友松の龍に唸っている。
朴大根という人の書状に「東海の神龍」と記されていたそうだ。
凄い表現。


第九章 墨技を楽しむ ー最晩年期の押絵制作ー
押絵貼りの絵が色々。当時としては長命の友松。晩年まで衰えることなく旺盛に制作している。

禅宗祖師・散聖図押絵貼屏風 シンプルなポーズの高僧たち。

白鷺図 可愛い。岩の上にいるがシンプルな描線でささっと描いた鷺がとても可愛い。

鹿図 李文長賛 体は没骨で、角はしっかりくっきり。こういう異なる技法で表現するのも面白い。

交友関係も広いのでいろんな人の書簡がある。
豊臣家滅亡の年まで生きた友松は素晴らしい絵師として大きな仕事を遺した。


第十章 豊かな詩情 ー友松画の到達点ー
60年ぶりの帰国を果たした屏風で締められる。
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月下渓流図屏風 薄白い中、白梅と槍梅があり、墨の濃淡のみごとな松、途中で消える草花、土筆のみ少し色は濃いが皆静か。
椿の葉の緑は明るい。月は左5面に浮かぶ。
静かな静かな林の中、渓流のよい音が聞こえてくる。

よい展覧会だった。
振り返ると、極彩色の絢爛な世界より、濃淡の豊かな水墨画が心に残っていた。
特に愛らしい少年たちを思い出すと心が満ちる。
また週末、最後の展示を見にゆこう。
行けて本当によかった。
5/21まで。
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