美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「茶の湯」展にゆく

東博で開催中の「茶の湯」展の感想を挙げたい。
「茶の湯」と究極の言葉を使ったタイトルの展覧会である。
これに対抗できるタイトルはもう「茶道」しかない。
知ったことだが、1980年に「茶の美術」展が東博で開催されて以来37年ぶりの特別展だという。

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サイトに展覧会の狙いが記されている。
「禅宗寺院や武家など日本の高貴な人々の間で浸透していきました。彼らは中国の美術品である「唐物」を用いて茶を喫すること、また室内を飾ることでステイタスを示します。その後、16世紀(安土桃山時代)になると、唐物に加えて、日常に使われているもののなかから自分の好みに合った道具をとりあわせる「侘茶」が千利休により大成されて、茶の湯は天下人から大名、町衆へより広く普及していきました。このように、日本において茶を喫するという行為は長い年月をかけて発展し、固有の文化にまで高められてきたのです。
本展覧会は、おもに室町時代から近代まで、「茶の湯」の美術の変遷を大規模に展観するものです。「茶の湯」をテーマにこれほどの名品が一堂に会する展覧会は、昭和55年(1980)に東京国立博物館で開催された「茶の美術」展以来、実に37年ぶりとなります。
各時代を象徴する名品を通じて、それらに寄り添った人々の心の軌跡、そして次代に伝えるべき日本の美の粋をご覧ください。」

わたしはこの展覧会に二度で向いた。最初は内覧会である。
内覧会は興奮するもので、わたしなども血が沸き立つのを感じながら会場へ入っていった。
心を鎮めるための茶の湯ではなく、心が勇躍する茶の湯展だった。
二度目に行ったのは夜間開館の夜だったが、こちらも熱気が凄かった。
感想は期間が入り混じり、既に展示終了したものもある。

第1章 足利将軍家の茶湯─唐物荘厳と唐物数寄
第2章 侘茶の誕生─心にかなうもの
第3章 侘茶の大成―千利休とその時代
第4章 古典復興―小堀遠州と松平不昧の茶
第5章 新たな創造―近代数寄者の眼
この章立てを見ただけでも気合が満ちてくる。
茶の湯で心を鎮めるのは、わたしにはムリそうですな。

第1章 足利将軍家の茶湯─唐物荘厳と唐物数寄
静嘉堂の曜変天目と東洋陶磁の油滴天目が同座している。
これだけでもなんかもう凄いなと。
わたしは地元っこひいきで油滴さんが好きだが、比べることの無意味さを改めて知りましたね。
違う宇宙、別々の銀河がそこにある。
しかも360度近くを観まわすことが出来て、本当に嬉しい。
これはさすが東博という見せ方。
阿修羅の展覧会以来、多方面から見せてもらえるようになり、それが今や定着している。ありがたいことだ。

会期を変えて牧谿の絵が続く。
室町時代、最も牧谿が尊ばれたことを想う。
三幅対の観音猿鶴図がある。大徳寺からきた。
丸顔の猿たちが可愛らしい。

展示期間が違うので一堂に会するということはないが、伝・牧谿の名画が何点もラインナップされている。
そしてそれらを収めた図録がいい。
布袋、叭叭鳥、竹雀、みんなスヤスヤ眠る様子を描いていて、その図版が名がよく並ぶのもいい感じ。

禅宗の六祖図、寒山拾得図もここに集まる。
描き様も様々でそこがまた面白い。

東アジアは花や虫を愛してきた。「死を思え」ではなく、精一杯生きるはかない命を愛した。
彼らを描いた絵は悉く優しい。
南宋時代のいい絵が配置よく並ぶ。

丸顔でない、ニホンザルのような猿もいる。
伝・毛松の猿は物思いにふけっているような顔つきをしている。

作品とその所蔵先を見るのも楽しい。
そこから「以前にあの展覧会でも見たな」と思い出すことになる。
更に私設美術館、個人コレクションで名を明かしているものだと、その人がどのような経緯で名品を得たのか、どのような逸話があったのか、そのことを思い起こしたり、想像するだけでも楽しい時間が過ぎる。
そして自分はそれらと最初に向き合った時、どのように感じたのか。

こうした記憶が次々と湧いて出るのも「茶の湯」に関する展覧会ならではかもしれない。
茶の湯では連想、追想を大切にし、そこからお道具の銘をつけることが多い。
そうして考えると、やはり茶の湯というものは人間の精神の在り方と非常に深くかかわっていることを、改めて思い知らされる。

南宋から元のよいやきものが現れる。
一点だけよりも、いくつも並んでいる壮観さに惹かれる。
中でもやや釉薬の厚めにかかった元代のやきものなどは特にいい。

やがて趣向を凝らした、あるいは意図せぬ様相をみせるやきもの群が現れた。
天目茶碗たちである。
かれらに再会できる喜びは深い。
東博、三井、東洋陶磁、京都の龍光院…
わたしは龍光院の油滴天目とは初対面かもしれないが、そのつつましい愛らしさに微笑んだ。

手の込んだ木彫の天目台、漆を重ね重ね彫り込んで作られた堆朱、堆黒。
南宋時代に生まれたのに、時折ウィリアム・モリスの商会から現れたようなものや、アールデコの作品としてパリで愛されたように見えるものがある。
不思議な一致だとおもい、それが楽しい。

慕帰絵 巻五、不動利益縁起、祭礼草紙などの絵巻の一部も出ていた。酒食と喫茶とが描かれている。

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第2章 侘茶の誕生─心にかなうもの
古人の心のありようをおもう。
彼らの愛した茶器、掛物などを見ることで追体験したいと願う。

…のだが、実際のところ、わたしは侘び寂びがわからない。
ある種の抑圧を感じて苦しくなる。
たぶんその抑圧こそが心の平安を齎す何かなのだろうが。

シックな、という表現をしていいのかどうか、地味な味わいの唐物が続く。
そして禅僧の書。

大井戸茶碗 銘・喜左衛門  これを見ると必ず思い出すのが溝口健二のエピソード。
映画「西鶴一代女」制作の最中、プロデューサー児井英生が孤篷庵と縁があることを知り、茶碗に触らせてほしいと希う。
児井が席を設けると、さすがの溝健も緊張し、非常な感激をあらわにしたそうだ。
近年の根津美術館の井戸茶碗展の時にもそのことを思い出していた。

さてその中でわたしの「心にかなうもの」がみつかった。
飛ぶ烏を表面にうかべた釜。形も真形。しかも大好きな尾垂ちゃん。
ういやつよのう。
芦屋の真形釜で尾垂、というのはもう本当に可愛くてならない。
ほかにもいくつかあって、とても嬉しくなった。

そう、自分の心にかなうものが必ずどこかにある。

第3章 侘茶の大成―千利休とその時代
正木美術館から利休像が来ていた。
正木美術館に所蔵されている絵画のうち、肖像画がとても面白い。
非常に価値があるというか珍しいというか他にないものがここにはある。
存命中の利休、一休禅師と森女、なかなかかっこいい六祖慧能。
この三点が一緒に出た展覧会は未見だが、その機会があればと思う。
そして今回生前の利休と六祖慧能とが東博に来ているのだった。

利休の拵えた竹一重切花入を見ることが出来たのもよかった。
かれの愛した長次郎の茶碗も有名なものが集まっていた。
東近美に出ていないのはなんでだろうと思っていたら、こちらに出ていたのだ。
東京に長次郎の名品が集まっているのだ。

安土桃山の美意識はわたしには少し肌が合わないのでさらさらと見て歩いたが、ふとその先に古めかしいガラスケースが見えた。
東博所蔵の展示ケースのうち、特に古いものである。
わたしはこのガラスケースがとても好きなので嬉しくなって寄って行った。
可愛らしい香合がちんまりと並んでいた。
黄瀬戸根太香合、志野重餅香合 どちらも三井でみては「可愛いなあ、美味しそうやなあ(後者ね)」と愛でているものたち。
織部さげ髪香合 ポニーテールですがな、かわいいな。
そしてリストにはないが、急遽展示されたミミズク香合。織部木菟香合。
毛並みが可愛く描かれていて、あまりにかいらしくて、撫でたくなった。
これは有楽斎から予楽院に伝来したものだそう。

ああ、可愛いものが好きだ。
ワビサビから離れてほっとしたわたしに更にプレゼントがあった。

田中丸コレクションの名品・絵唐津菖蒲文茶碗と目が合ったのだ。
可愛く咲く菖蒲。いいなあ。

光悦の赤樂・毘沙門堂と黒樂・時雨、そしてかれと深いかかわりを持った道入の黒樂・残雪がある。
とても嬉しかった。

第4章 古典復興―小堀遠州と松平不昧の茶
好きなものがたくさん出ていたので再会の喜びがある。

ここでも香合の可愛いのを特に愛でた。
古染付辻堂香合、祥瑞蜜柑香合、交趾台牛香合、白呉州台牛香合
みんな可愛らしい。
仁清の色絵鶴香合、色絵玄猪香合、乾山の銹絵染付鎗梅文香合
作家性が強いものも等しく愛らしい。

つつくづく思ったことがある。
平和な時代の茶の湯は、茶人たちがそのことにのめり込む、つまり「茶の湯狂い」をしており、一方戦国の世では茶の湯は生き死にの境涯にある地点で楽しむものとなっている。
どちらがいいとかよくないということではなく、時代の違いをつよく感じたのだ。

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第5章 新たな創造─近代数寄者の眼
近代の名高い数寄者が愛した茶道具が会期ごとに現れる。
この趣向はすばらしいと思った。

藤田香雪の愛した茶碗、彼が死の床でも望み続けた大亀香合、そして美少年の牛飼いを見守る黒牛の「駿牛図」。

五髻文殊像の少年像の可愛さにも惹かれた。右手に剣、左手に花を持つ美少年が吠える獅子に乗る。

益田鈍翁の愛した蓮華残片(東大寺三月堂不空羂索観音持物)は菓子皿に使われていたそう。

黒樂・鈍太郎は太郎庵の披きに使われたとか。
ここで思い出すのが鈍翁の長男が「益田太郎冠者」と名のっていたこと。
彼は実業家であったが、帝劇の役員となって「コロッケの唄」を拵えている。

茶の湯の深みに落ちることはないのだが、深い満足感と、不思議な焦燥感とがある。
茶道具を見るのが好きなくせにきちんと習っていない、そのことを悔やむ気持ちが生まれている。
それはやはりこの「茶の湯」展で素晴らしい名品に囲まれたからだと思う。

もうこの規模の茶の湯の展覧会はあと数十年はないと思う。
行ける機会のある方はぜひ。そうでないともったいない。
6/4まで。



なお、今回の展示にも作品を貸し出している北村美術館のいいチラシを紹介する。

北村美術館「薫風」展
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光琳の鵜。
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