美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ut pictura poesis ―詩は絵のように コレクションにみる文学を彩る書画の魅力

世田谷文学館がリオープンしてその記念にムットーニ展が開催された。
その時の感想はこちら
とても楽しい展覧会だった。
ムットーニの作品は世田谷文学館には数機常設展示されていて、時間が来れば動いてくれるので、普段からいい心持で世田谷文学館へ来ていた。
嬉しいな、世文。

さてリオープンした常設展。
こちらがまたとても素晴らしい展示を見せていた。
もともと好きだったところだが、更に好きになった。
イメージ (645)

今回の展示のコンセプトをサイトから。
「古代ローマの詩人ホラティウスの『詩論』の一節「ut pictura poesis ―詩は絵のように」に端を発し、詩と絵を「姉妹芸術」とみる「画文一如」、「画文共鳴」の芸術観は、長い年月を経た今も共感をもって受け入れられています。現在では、文学と美術の共鳴と言ってもよいでしょう。
古来より神聖な空間や経典などで尊い言葉の荘厳を担い、教えや物語を絵解きで視覚化して伝えた絵画や装飾美術は、近代以降も挿図、挿絵、装幀などで言葉や文学と深く結びついてきました。毛筆の運びと七彩に譬えられる墨色により、文字は語意にととまらず絵は極彩色に劣らない無碍の表現を誇る東洋の書画でも、詩句と絵を一体にして理想郷が描かれました。このように文学と美術、言葉、絵画、装飾は、長きに亘って共に様々な形で人間の営みを豊かにしてきたのです。
そして、想像力に優れた古今東西の詩人、文学者の多くは書画を愛好し、自らも絵筆を揮いました。一方で文学作品の精髄を汲んだ画家が傑出した画を成し、詩歌や文章でも才を開かせることは少なくありません。
今回のコレクション展では、毛筆の詩歌句、室や書斎に掛けた敬愛する文学者や友人の揮毫、文房具など、文学者による、または文学者にまつわる書画とゆかりの品、そして詩や小説、児童文学を彩る挿絵やデザイン、近代を代表する表現芸術である映画を支える美術の仕事をご紹介します。文学者の美意識や趣味を、画家による文学と美術との架橋を、当館秘蔵のコレクションを通して「読む・観る」の両面からお楽しみください。」



受付でチケット見せてすぐ右手壁面に乱歩の言葉がある。
乱歩が愛した村山槐多「二少年図」への頌である。
その全文はこちらのブログに記されている。
そして乱歩の言葉を読み終えた先に槐多の絵がある。


草野心平の本も共にある。
始まり方からして魅力的な常設展。

井上靖「風と雲と砦」の紹介がある。挿絵は江崎孝坪。前田青邨の弟子。
墨で人々を描く。
挿絵としてはこのほかに大佛次郎「乞食大将」、吉川英治「太閤記」などがある。
映画や舞台装置の仕事もしていたようで「七人の侍」の衣裳考証、「新忠臣蔵」の舞台装置も。ちょっとときめくな。

世田谷には多くの文学者・美術家が住まった。彼らの作品が紹介されている。
池田満寿夫、亀倉雄策、難波田龍起、詩人の山之口獏、ダダイスト高橋新吉も。
そして鴎外の娘・小堀杏奴。

西脇順三郎のコーナーがある。
「永劫の旅人は帰らず」
「旅人かへらず」である。
西脇は自ら筆を取り水彩画をよくした。
キース・ヴァン・ドンゲンのモダンな美人たちが闊歩する庭園、そんな絵を見たが、素敵だった。
いつかまた西脇の展覧会が見たい。
その西脇の「ポイエテス」が掲載されていた詩誌「無限」がある。

宇野千代は多くの恋をしたが、それで現実的には色々と苦しい状況にもなった。
彼女は後悔などしないが、しかしつらいことに変わりはない。
その宇野千代と一時期恋仲だった東郷青児の挿絵があった。

挿絵と言えば松野一夫「黒死館殺人事件」がある。
イメージ (646)
松野は「新青年」表紙絵でモダンなセンスを見せていたが、この作品だけは全く趣が違う。
これは特殊な技法で拵えたさくひんで、それがこの特異な世界をより魅力的にした。
随分前に弥生美術館で松野一夫展があり、そのときにこのことを知った。

そしてもう一つ、竹中英太郎「鬼火」挿絵が出ていた。
これこそが、わたしが最初に見にいった弥生美術館の展覧会だったのだ。
1989年春、竹中英太郎・懐古展。そこで「鬼火」を始め「孤島の鬼」「ココナットの実」などを見たのだ。
予想以上に素晴らしく、いよいよのめりこんだのだ。

つい先日久しぶりに「鬼火」を取り出し、挿絵を想いながら再読した。
おぞましい物語が挿絵により、いよいよ底が深くなっていったのを感じた。

「富士に立つ影」などの白井喬二の水彩画がある。
文人画と言うより今流行の一枚ものの絵てがみのような闊達さがある。
彼の作品に挿絵を提供した画家達を見て、かなりときめく。
河野通勢、木村荘八、川端龍子らである。それぞれ魅力的な挿絵だった。
挿絵と言うものは、一目で読者の心を掴まねばならない。
絵を見て「どんな話なんだ」とそそる力がなくてはならない。

白井の原稿用紙がある。専用のもので、上部に鳳がデザインされていた。

「人間」と言う雑誌があった。
表紙は須田国太郎の裸婦だった。須田のこうした素描に近い絵はなかなか見ないので嬉しい。
わたしは須田の重厚な洋画もいいが、能狂言デッサンの素早さ・闊達さがとても好ましい。

須田の他にもフジタ、棟方志功らの絵がある。昭和21年には萩原朔太郎、舟橋聖一らも書いていたようだ。

あっ三井永一の挿絵もある。
このヒトと言えば式場隆三郎「二笑亭綺譚」の挿絵ではないか。嬉しいぞ。
なんだかんだと色々あるのが楽しい。

次に映画の資料を見る。
柳生悦子のファッション画がある。「妖星ゴラス」、「若大将」シリーズ、「忠臣蔵など。
映画の場面を髣髴とさせる。

ウルトラマンタロウのヘルメットや銃もある。
前々から円谷プロ関連の資料は見ていたが、タロウとは珍しい。

びっくりしたのは次。
「プルガサリ」のデザイン画。鈴木儀雄。
日本のスタッフが向こうに行ってたのは知ってるが、これが出るとはなあ。
あの当時、本当にビックりしたな。
今も資料を見てびっくりした。
…なんだかすごいな。

他にも作家の愛用品なども出ていて、とても興味深い展示構成になっていた。
今の展示は9月までだが、機会があればまた見たい。
次も楽しみだ。

常設展のよいところへゆくと幸せな心持になる。
ありがとう、世田谷文学館。



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