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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ひねもす蕪村

逸翁美術館は今「開館60周年記念 ひねもす蕪村」展を開催している。
もともとここは蕪村のいいのを多く所蔵しているので、とても楽しみにしていた。
それに前日に天理参考館で蕪村のいいのを見たので、ますます楽しみになっている。
で、蕪村を見た後は名古屋に芦雪を見に行ったから、この日は18世紀京都画壇dayになるかと思ったら、最後にリカちゃん人形展を見に阪急に行くところがいかにもわたし。

先般「若冲と蕪村」展が開催されたが、そこで改めて蕪村の飄々とした良さに心地よさを感じたなあ。
イメージ (461)
蕪村は絵と俳句とを同時に作品にした。絵の心を句にし、句の味わいを絵にした。だからどの作品にも抒情が活きる。

蕪村は芭蕉をとても尊敬していたそうで、それだから「奥の細道」を何本か絵巻にしていたし、肖像画を描くときもわざわざ道服に頭巾と言う姿にして想いを示した。
芭蕉の行った先を歩くという「聖地巡礼」もし、ファンとして嬉しい日々を過ごしたようだ。
それらが作品となって、後世のわたしたちは大いに楽しめることになる。

淡白な面白味を味わったが、これはやはりそのまま芭蕉を楽しんだのではなく、元禄の芭蕉の後の時代にいた蕪村のフィルターであっさりした味わいに変わったものをわたしたちが愉しんだというべきだろう。
芭蕉の句にたまに感じる脂っぽさが巧い具合にさらりとしたものになって、蕪村風味になる。

とはいえ蕪村の絵が全て淡々としたものではない。
中国を舞台にした絵などを見るとそのことがわかる。

晩秋遊鹿図屏風  月下で三頭の鹿がそれぞれ好きに立っている。その鹿の胴回りなどを見ていると確かな肉付きがあって、触ると存外重たそうだと思わせてくれる。そこがいい。

イメージ (462)

闇夜漁舟図  親子で漁をする。舟には小さな篝火があり、そして程近い自宅には母親がつける灯りが闇に広がる。広く遠くまで広がる明かり。
こちらの心にも光が拡がる。

後赤壁図、帰去来辞図、濯足万里流図 これら故事に基づいた絵もいい。
一種の物語絵として人々が活きている。

和歌浦に遊んだ蕪村はその印象を絵にしている。私淑する米芾の技法を使って奇岩などを描く。
そしてそのことをこのように記す。
「紀州和歌浦奇岩磊磈尽如香木有紋理甚可弄翫本邦■如米海岳…」

蕪村の書簡もある。
上田秋成との交友もあれば、大好きな鳥貝が高値だということを記したものもある。タケノコの粕漬けを貰った礼状もある。
生活者としての蕪村の姿が垣間見えて楽しい。

俳句短冊もいい。そこに小さな絵が入るのがとても愛しい。

やっぱり蕪村が好きだと思った。
なんとなく気持ちよくなる展覧会だった。
12/17まで。

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