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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

道成寺と日高川 ―道成寺縁起と流域の宗教文化―

和歌山県立博物館はときめきをくれる博物館だ。
正直な話、北摂から行くのが億劫なのだが、しかしここの展覧会を見ると「ああ、遠くても・ムリをしてもやっぱり来た甲斐があった」と満足するので、やめられない。
隣接の近代美術館もそうだし、南海の駅近くの市立博物館もいい。
この三か所を回るのはとても楽しい。
とはいえ、今回はJRで行ったので、市立博物館に行けなくなった。
申し訳ない。

ここへは「蘆雪溌溂」展以来になるのか、思えば年に一度秋にしか訪ねていないので、大きなことは言えない。
言えないが、いい展覧会のことは声を大にして言いたい。
「道成寺と日高川 ―道成寺縁起と流域の宗教文化―」
たいへん興味深い内容だった。
イメージ (471)
だが、例によって例の如く、終了間際に行ったので、感想は終了後になってしまった。

序章 宝暦12年、鐘巻銅鐸出現 ―鐘の重なり―
最初に谷文晁の熊野奇勝図帖を出し、どのような場所なのかをこれで想像させる。
熊野の本宮をロングで捉えた図会、それがとても興味深い。

鐘巻銅鐸(道成寺銅鐸) 地文は渦巻き文。外観がどうも「サザエさん」を思い出させる。
頭頂部にぐりぐりが並びサイドにもグリグリが並ぶのだが、これが「鐘巻」ではなく、地名が「鐘巻」。渦巻き・蕨の親族。
そしてこの出土の来歴についての口上書もつく。宝暦12年(1762)、銅鐸の似せ絵もある。
みつけた源蔵さんはてっきり古寺の水煙かと思い、道成寺に収めたそうな。

1章 観音霊場道成寺 ―道成寺縁起の縦糸―
・道成寺創建―「吾朝の始出現」千手観音―
箱谷遺跡三号墳出土遺物  なにやら魅力的なものがずらり。
琥珀の棗玉、菅玉、勾玉、切子玉、直刀、高坏、埴輪に鏃も。

日本霊異記 下巻 現代の再現物で道成寺についての記事のページが開く。
そんな時代からの道成寺。

丸や平の軒瓦の装飾もいい。奈良時代のブーム。

千手観音立像が佇む。それは本物で、それを囲むようにパネルの仏像たちが壁面にいる。
ふと見れば部材が。ばらばらの部材。・・・なかなか凄い眺め。手首だけとか合掌する手のみなど。
楠と檜はこの時代特に多かったのだろうか。
植物相、その地の特性など知らないことばかりなので、色々と想像が拡がる。

・道成寺の仏像―古代・中世の法灯を伝える―
千手観音が道成寺にたくさんある理由を知らないけれど、救いを求める人のために差し出される手は多いほど良いのは確かだ。
それからゆくと、特定個人ではなく庶民を救うための仏がここに多い、と思えばいいのだろうか。
いや、道場だから…
知らないことばかりでアタマがぐるぐる。

千手千眼陀羅尼経 平安時代  綺麗な色遣い。「果実豊饒ニシテ人民歓喜」うむ、納得。
望みを叶えてくださいのお経。

先般、香雪美術館で神仏の躰のバラバラ部位を集めたものを見たが、ここでも同じようなものをみる。
天部の頭部、着衣の断片、蓮弁などなど・・・
物理的なバラバラを見るだけでなく、バラバラになってもなお神仏の威力は衰えないということを知るのだ。

二頭のゾウが仲良く寄り添う六牙象、武神のような大黒天像もある。鎧から下の天部立像もいい。

・日高川流域の仏像
平安の仏たち。素朴な信仰心と教義についてちょっと思う。

2章 日高川流域の熊野信仰―道成寺縁起の横糸―
・熊野信仰と日高地方
読むべき資料がたくさん並ぶ。説明もいい。
所々にものすごくそそられる記述がある。
地名だけかと思っていた「〇〇王子」、熊野権現の御子神だったのか。
わたしなどはそんなことも知らないのでとても面白かった。
中でも「切目王子」の伝説が中世の闇を感じさせてくれる。
熊野権現に命じられ、守護する僧を殺したが、その罪を問われ、片足を斬り落とされて山へ追放になる。
そこで「荒ぶる神」として猛威を振るうのだが、黄な粉の誓いを課せられてからは、顔に黄な粉をつけた人を襲うことが出来なくなる。
切目王子は杖を突いた姿で描かれる。
仏の弟子を殺した罪科、不具になる神の末裔、たいへん面白い。
しかも殺人教唆をした熊野権現は何らかの咎を受けたのかどうか。
実行犯のみの処罰というのは、処罰が惨いほどにその影にいる者への牽制にもなる。
ドキドキするなあ・・・
「麁乱神」ソランジン。こんな「麁」なんて字は普段目にしない。
「鏖」もそうだが「鹿」の字の変化が恐怖を運ぶのが面白くてならない。
こうしてどんどん別な方向へ脱線し、こちらの妄想も大きくなる。

・愛徳山熊野権現信仰と日高川
資料を自分なりにマジメに読むうち、膝がガクッとなってしまったことは内緒ですが。

剥落磨滅は著しいが、獅子・狛犬が可愛い。
中世の鼓もまだ残っている。

3章 道成寺縁起への道
パネルと現物と資料が並ぶ。
本朝法華験記、今昔物語、中右記、元亨釈書、箕面寺秘密縁起。
地元なので箕面寺に反応すると、麁川の鬼女の登場する話が紹介されていた。
これ「あらかわの桃」のあらかわなのか。
桃は美味しくいただくが、あらかわがどこにあるのも知らない。
いや、あらかわ=日高川らしい。川が荒れた流れを見せたからの言葉か。
知識が足りないから
そして役行者は和歌山でも箕面でも活躍する。
わたしの中では「新八犬伝」での活躍がいちばん目覚ましい。

・道成寺をめぐる創建譚-本堂建立、そして能-
金春流の謡本や黒川能の謡本から「道成寺」を想う。
やはり古典芸能を思い浮かべるとき、特に能の場合は道成寺や鉄輪のヴィジュアルが真っ先に浮かぶ。
先般、山本能楽堂の内部にお邪魔させていただいた折、楽屋の上に、はりぼての鐘が釣ってあるのを見て、非常に嬉しくなった。
「ああ、これがあれか」
鐘の実感が伝わったのだ。
そうそう、「獄門島」も道成寺の鐘がトリックに使われた。
戦時の金属供出でお寺の鐘が出て行ったのが、復員の知らせと共に島へ帰る。
その知らせは福音にならず、惨劇の調べを奏でる。

そういえば金春家の末裔の金春智子さんから伺ったか、お父上はお家に伝わる代々の流派の大切なものを寄贈なさったとか。
人類の貴重な財産を公共のものになさったことを心から尊敬する。

お面もいくたりか。じぃっと見ていると、自分の心の中から声がするような気がする。

イメージ (472)

4章 道成寺縁起の全貌-織りなされる物語-
そういえば琉球舞踊「執心鐘入」は道成寺を基にした作品だが、ここでの男は女のすきを見て鐘から逃れ、身を保つのだ。
鐘はやはり助けてはくれない。

道成寺縁起 室町時代 道成寺  秋である。無縁で無辜なヒトは餅を食べたりしている。そこの女がなかなかきれい。
そして追いかけてきた女がついに激怒し「己は!」となった直後から火を噴きだした。
こうなるともう誰も手に負えない。

日高川草紙 江戸時代 和歌山県博  助けてくれと駆け込んできた若僧。その場に稚児も二人いる。
鐘に隠した直後に鬼にも蛇にもなった女が来て、みんな動顛する。土佐派の綺麗な絵も怖さが大きくなる。

賢覚草紙 室町時代 根津美術館  原本はどれか知らないが、わたしが以前に見た国立公文書館のと和歌山県博のとも似ているように思う。
ただしどちらも「賢学」である。
和歌山県博の絵巻はこちら
公文書館で見たものはこちら
京博にもあるが、絵の細かいところはちょっと思い出せない。
ただ、どちらも蛇になった花姫は顔だけ女の形を残し、鐘を砕き割って賢学を掴まえるや、共に川に沈んでゆくのだ。
憤ったままではなく、無理心中を強いる女。
どちらがいやだろうか・・・


5章 近世道成寺と道成寺縁起
・道成寺創建縁起の再構築
・②創建縁起系の道成寺縁起

藤原不比等に関わる伝承は案外と多いな。しかも海女との関連で。
ここでは娘の宮子を生んだのはこの地の海女であり、宮子には髪がないという状況になっている。
宮子は後に文武帝に入内し首皇子(後の聖武帝)を生むが、その頃から心が思わしくなくなるが、髪を持たずに生まれたという伝承とそのことを結び付けて考えるべきなのかどうなのか・・・

道成寺宮子姫伝記 塩路鶴堂筆 2巻  文政4年(1821)
清姫鐘巻伝記 塩路鶴堂筆 2巻  文政4年(1821)
どちらも以前にチラ見しているが、綺麗な絵である。
じっくりと眺めたい。


終章 縁起と人を紡ぐ―道成寺縁起の絵解き-
絵解きが好きなので嬉しくなる。
道成寺のは未見だが、見た人によると非常に巧いそうな。
いつかぜひとも見に行かねばならない。

やはり絵解きの巧いというのがキモで、それ見たさ・聴きたさに人が集まり、人から人へここのお寺の話が拡がっていったのもあるだろう。

面白い展覧会だった。
また良い展覧会の時になんとか訪ねたいと思う。

見終えたとき、少し時間を過ぎていたが、二階で学芸員の大河内さんが講演されているのを少しばかり聴きに行った。
時間の都合で長居できないので、そこから少し離れたところで聴いていたが、とてもいいお声で話も面白く、いつかまたじっくりとお聴きしたいと思った。
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