美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

運慶 ―鎌倉幕府と霊験伝説

神奈川県立金沢文庫特別展「運慶 ―鎌倉幕府と霊験伝説」は良い展覧会だった。
先般東博の「運慶」展を見たが、あれは彫像そのものを前面に出したダイナミックな展覧会で、時代背景や歴史的な意義など考慮せずとも、その空間に、運慶仏と共に在ることに喜びを覚える展覧会だった。
金沢文庫は「文庫」という特性で以て展覧会を構成していた。
イメージ (697)

展示リストをそのままお借りした。pdfなのでお気をつけて。
全部漢数字なのでちょっとびっくりした。

地蔵菩薩坐像 康慶作 一躯 木造彩色玉眼 像高八四・八㎝ 治承元年(一一七七) 静岡・瑞林寺
もろに平安末期ではないか。あと数年で平家滅亡。その時に運慶パパの拵えたどっしりしたお地蔵様である。ここのお寺は黄檗宗だそうだ。

箱根山縁起并序 一巻 紙本墨書 三〇・二×五五二・六㎝ 寛正五年(一四六四) 神奈川・箱根神社
箱根と興福寺の奈良仏師との関わりを記したそう。内容はわたしにはわからない。
後日調べるとこういう話が出てきた。pdf注意

言泉集(堂供養) 称名寺聖教274函1-32 一帖 紙本墨書 一六・五×一二・七㎝ 鎌倉時代 神奈川・称名寺(金沢文庫管理)
安居院の澄憲とその息子の聖覚とが編纂した唱導集。伊豆堂のこと、東大寺のことが記されていた。
安居院の澄憲というだけでちょっとときめくのは、平家物語がお好きな方にはわかっていただけるだろう。
安居院の唱導・・・素敵だ・・・

他に特別展示でこういうのもある。
転法輪抄 田中家旧蔵文書典籍類 二帖 紙本墨書 一六・〇×一三・八㎝ 鎌倉時代 国立歴史民俗博物館
澄憲の唱導集。

釈門秘鑰 称名寺聖教273函3-7 一帖 紙本墨書 一五・五×一一・七㎝ 鎌倉時代 神奈川・称名寺(金沢文庫管理)
しゃくもん・ひやく と読むそうだ。法会で読みあげる唱導(尺)を編纂したもので、前掲のものと関係が深い。
この辺りをもっと勉強しないといけないな・・・

阿弥陀如来坐像 一躯 木造金泥塗泥地古色彩色 像高五五・五㎝ 鎌倉時代 埼玉・慈光寺
髷が消失してしまった。天台宗のお寺。頭飾りもない。

月輪形銘札(不動明王立像納入) 一枚 檜薄板製墨書 縦七一・五㎝ 文治五年(一一八九) 神奈川・浄楽寺
マイク型というかしゃもじ型というか・・・和田義盛発願。

永福寺跡出土品 一括 鎌倉時代 鎌倉市教育委員会
鈴もあり、瓔珞も残り、肘まである・・・幡の細部と躰のパーツ。天衣、小手、炎髪・・・
香雪美術館で見た悉有仏性―全てのものに仏性がある―「磨滅の美。」佐藤辰美コレクションを思い出す。
当時の感想はこちら

天王立像 一躯 木造彩色玉眼 像高九二・〇㎝ 鎌倉時代 神奈川・大善寺
かなり剥落しているが衣装はよくわかる。しかし割れているのもすごい・・・

イメージ (696)

十二神将立像 十二躯 木造彩色玉眼 像高六七・八~九一・四㎝ 鎌倉時代 神奈川・曹源寺
ずらりと並ぶ十二神将だが、説明を読むと、並べ方は元々の干支順にしてあるが、頭上に坐す動物たちが後補のもので本来の干支と合うてないそうだ。中には合うのもあるが、基本別である。
わたしがあんまり熱心に見て、更にこれはあれかな?と推理している様子に監視員さんが気の毒に思われたようで、正答をくださった。ありがとうございます。誤とはアタマの動物の一覧である。
正: 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
誤: 卯・戌・丑・寅・申・巳・午・子・未・辰・酉・亥
ただし、わたしの目には違って見えた。
犬らしきものが二つもあるのがそもそもよくない。
なお、手に持つ得物を干支順にあげてゆく。
矢・三鈷杵・三叉戟・斧・三叉戟・刀・斧・矢・三叉戟・独鈷杵・刀・棒
色々あるなあ。

毘沙門天立像 一躯 木造彩色玉眼 像高七一・七㎝ 鎌倉時代 神奈川・清雲寺
和田の合戦の際、和田義盛に代わって矢を受けたという。兜は着脱可能のもの。手に五輪塔を載せる。
和田の合戦と言えば木原敏江「夢の碑」の「風恋記」にその模様が描かれている。

四天王立像(大仏殿様) 木造彩色玉眼 像高三九・九~四一・〇㎝ 鎌倉時代 岡田美術館
截金がよく残っている。それだけでもきれい。

ああ、大きいのが出ているな・・・
菩薩面 一面 木造彩色漆箔 二三・二㎝ 鎌倉時代 神奈川・鶴岡八幡宮
舞楽面(陵王・散手・二ノ舞) 3面 木造彩色 面高三三・〇~二三・六㎝ 鎌倉時代 神奈川・鶴岡八幡宮
龍が大きく前に出てたり、大笑いしてたりの面。なんだかニガテでしてな。

東寺講堂御仏所被籠御舎利員数 称名寺聖教222函13 一巻 紙本墨書 二七・六×二五三・八㎝ 鎌倉時代 神奈川・称名寺(金沢文庫保管)
修理中に舎利を一般公開したそうだ。大勢の観客が来た。今もあまり変わらない。1197-1198年の話。

金剛力士立像(東寺南大門様) 二躯 木造墨書 像高(阿形)三三・〇㎝/(吽形頭部欠)二四・六㎝ 江戸時代
わぁ、右側の吽さん、アタマないですがな。力強いのは確か。

梵天立像 伝運慶・湛慶作 一躯 木造彩色 像高一〇六・五㎝ 正治三年(一二〇一)頃 愛知・滝山寺
チラシの彩色像。平安時代に東寺にあったのを、鎌倉時代になってから翻刻(!)したとある。翻刻というのか、こういう像も。
いや、そんなはずがないので、わたしの見間違いだと思う。
フルカラー。なんだろう、これはやはり英語のfigureという感じが強い。

今回、読める資料でいちばん興味深かったのがこちら。
滝山寺縁起 一冊 紙本墨書 三〇・七×二〇・二㎝ 寛永二十年(一六四二) 愛知・滝山寺
内容についてはこちらに詳しい。
引用する。
「惣持禅院の堂は、鎌倉右大将家の御為なり。彼の鬚と歯を仏身に納め、彼の等身を、仏の寸法として造るなり。(略)右大将は正治元年己未正月十三日に崩御す。土御門の正治二年庚申月日より造り始め、同三年正月十三日に供養を遂ぐるなり。第三年に当たる故なり。本尊は聖観音、脇士は梵天・帝釈なり。仏師八条の運慶・同子息湛慶18才。両界の曼陀羅泥絵・八祖の御影、右大将家御菩提の為に、式部僧都寛伝造立す。建仁元年に供養す。」
このほかにも鐘の由来について記されている。
「鐘 寛元四年三月十三日 鋳之衆徒合力也」前の鐘は「平家争乱」で「伊勢平氏」により壊されたそうで、その後は蓮花寺の阿弥陀の鐘を用いていた。その鐘も一緒に鋳したらしい。
他に仁王堂についても言及されている。

大威徳明王像 運慶作 一躯 木造彩色玉眼 像高二一・二㎝ 建保四年(一二一六) 神奈川・光明院(金沢文庫管理)
チラシ左上 これは胸に金が残り、一面は欠落しているが、いい。腕も2本しか残っていないが、いい。
以前に撮られた写真、なかなか男前だった。
この像は頼家、実朝の養育係を務めた大弐殿(局、女性)の発願によるもの。

ところで次に見た仏像、ほっぺたがむき出しで傷んでいるようだった。
それもそのはず、通称「頬焼阿弥陀」というそうな。
阿弥陀如来立像及び両脇侍立像 三躯 木造漆箔玉眼像高(阿弥陀如来)九七・〇㎝/(観音)六一・二㎝/(勢至)六一・二 鎌倉時代 神奈川・光触寺
金はよく残るがホッペタは黒い。
そしてこの三尊を描いたものもある。
阿弥陀三尊像 一幅 絹本著色 一二八・〇×六九・二㎝ 鎌倉時代~南北朝時代 神奈川・光触寺
絵の方が後。
更にその由来もある。わたしが見たのは下巻。
頬焼阿弥陀縁起絵巻 二巻 紙本著色(下巻)三二・八×一二一二・三㎝鎌倉時代 神奈川・光触寺
もう既に修理中の場面が出ていた。
詳しい話はこちらのブログに。
疑念による処刑と信心と仏による身代わりと・・・
仏師が修理しても身代わりとなった仏の頬焼けは治らない。奥にはどうやら元々のこの仏像を頼んだ女主人ら三人の女がいる。酒を注ぐ者もいる。犬が嵯峨人形風なのも面白い。
疑念から仕える者を無慈悲に罰すると、日頃信心の仏の力が顕現し、無実は明らかになるが、主人の罪は却って消えなくなるものだ。家から別な地に堂を建て、やがてその面前で往生する女主人。
最後は救われたのか。

舞楽面 運慶作(抜頭) 二面 木製彩色 面高(陵王)縦三二・四㎝/(抜頭)三二.・二㎝鎌倉時代建保七年(一二一九・抜頭)鎌倉時代(陵王)神奈川・瀬戸神社
大きい!かぶると重たそうではある。

阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像 三躯 木造漆箔像高(阿弥陀如来)六七・六/(その1)二五・四/(その2)二六・〇鎌倉時代 静岡・伊豆山浜生協
所蔵先にまず「え゛」だった。それで今調べると、資料が出てきた。こちら
そこには常行堂の本尊だとあるが、金沢文庫の解説では「上常行堂の本尊」であり、脇侍は下常行堂にあったそう。更にこの脇侍たちの本尊は広島の耕三寺にあるのがそれだとか。
流転したのだねえ。
皆それぞれ欠落がある。脇侍らはどちらも両腕を失くしている。膝下もない。
しかし三体は1968年から1981年まで奈良博に出開帳してはったそうです。

阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像 宗慶作 三躯 木造漆箔玉眼像高(阿弥陀如来)六七・六/(左脇侍)二五・四/(右脇侍)二六・〇
建久七年(一一九六) 埼玉・保寧寺
金具は取り付けがはっきりしている。金がよく残っているのがめだつ。

不動明王坐像及び両脇侍立像 三躯 木造彩色玉眼像高(不動明王)七六・四㎝/(矜羯羅)五一・〇㎝/(制吒迦)五〇・〇㎝建久七年(一一九六)頃 個人
明王のデコの皺はアンテナが立っててつながりやすい状態を示すあれに似ている。
セイタカはスカーフの結び部分を掴み、裳裾は膝下、コンガラは合掌で総髪にし、裳裾は足首まで。

勢至菩薩立像(阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像のうち) 実慶作 一躯 木造漆箔玉眼 像高六七・六㎝ 鎌倉時代 かんなみ仏の里美術館
おお、手の印は影絵をするときの狐の顔。ちょっと寄り目なのもなんだか親しみやすい表情になっている。

大日如来坐像 実慶作 一躯 木造漆箔玉眼 像高一〇三・六㎝ 承元四年(一二一〇) 静岡・修禅寺
随分と髷が高い。

薬師如来坐像 一躯 木造漆箔玉眼 像高九〇・七㎝ 建久八年(一一九七) 神奈川・養命寺
どっしりとしたご婦人のようである。

薬師如来坐像 一躯 銅造鍍金 像高五三・五㎝ 鎌倉時代 神奈川・寿福寺
薬壺は木製だが、全体は銅仏。金っけの下の赤色がよく出ている。

阿弥陀如来坐像 三躯 木造古色塗玉眼 像高五一・九㎝ 鎌倉時代 神奈川県立歴史博物館 
とても静か。衣の裾が擦り切れているが、それが却って魅力的。

不動明王立像 三躯 木造古色塗玉眼 像高五三・三㎝ 鎌倉時代 埼玉・地蔵院
片方に長く伸ばした髪を括ったのを下げている。わたしはこの髪型をみると必ず「ザブングル」のラグを思い出す。
刀を担ぐ不動。片手には縄。凶器準備集合風・・・

不動明王立像 一躯 木造古色塗玉眼 像高四二・〇㎝ 鎌倉時代 長野・仏法紹隆寺
安定のぐりぐりヘアである。

読める文はわりと一生懸命読んだが、勘違いも多いと思う。
例によって勝手なことを色々書いたが、とても興味深い展覧会だったのは確かだ。
そして、もっと勉強しなくてはという心持になった。

この展覧会は多くの集客のため、普段と違う入り口から入館する。
3/11まで。




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