美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

生誕130年 小村雪岱 「雪岱調」のできるまで その2

続き。
今回は小村雪岱の真骨頂と言ってもいい白と黒の美を大いに堪能した。

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3.「おせん」以後
日本で「お岩」と言えば四谷怪談のお岩さん、「お菊」と言えば皿屋敷のお菊さん、健さんといえば高倉健、剛さまと言えば加藤剛・・・(ちなみにマツケンは松平健か松山ケンイチかで意見が分かれるところ)
要するにある程度決まった認識がある。
それで「おせん」と言えば誰かというと、これはやはり「笠森稲荷の茶屋のおせん」を措いて他にないのだ。
「おせん」をそこまで人気者にしたのは、彼女と同時代を生きた春信。
おせんも春信本人も疾うに亡くなったが、死後数百年後の今も「おせん」のヴィジュアルは人々の意識に生きている。
そのおせんを描いたもう一人が「昭和の春信」と謳われた雪岱。
かれが昭和初期におせんを描いたことで、もう一度笠森おせんがクローズアップされたと思う。

春信描くおせん数態。
若侍の客を相手にしているところ、おせんのいる茶屋の様子などなど。
ルーカス・クラナッハ(この表記が好きだ)と春信。東西の違いを超えて二人の巨匠描く美人はとても似ている。

文章でおせんを活かしたのは邦枝完二。東京朝日・大阪朝日の夕刊で1933年に連載。
青空文庫に作品がある。こちら
「虫」3  おせんは行水する。そこへ母親がくる。これも人気の絵。

挿絵下図6点がある。
「虫」7  おせんが縁側で爪を切る。(これを拾う奴がいるが絵には描かれない)そんな前提がある。
「紅」3  不忍池の蓮を駕籠から眺めるおせん。下図では墨と朱が簡素な構図を拵え、ほんのり朱が蓮の鮮やかさをみせる。
「雨」6  傘の集まる巧い構図。おせんはここから逃れ出る。これは今日に至るまで印象的な構図として知られる。
「月」4  室内で蹲りながら鏡をじっと見るおせん。
「夢」6  菊之丞の命が旦夕に迫ったことを知らされ、おせんは駕籠をとばしてやってくる。意識の戻った菊之丞がみんなを部屋から出しておせんと二人きりになり、昔からの偽らぬ心を告白する。

今回初めて原作「おせん」を読み、昭和初期の時代小説が江戸の黄表紙と地続きの良さを持つことを、改めて実感する。
わたしは子母澤寛は好きだが、邦枝は読んでこなかったので、これからは読んでみようと思う。

おせんもかのじょの愛する菊之丞もほんの子供の頃から美貌の子どもで、互いに面白がって化粧し合う。
それがラストの菊之丞への死化粧につながる。
更にかれに恋い焦がれすぎ正気を失いかけている旗本の息女・お蓮の登場の描写が恐ろしい。
亡くなった菊之丞のもとへ到着するお蓮の描写でこの物語は終わるのだ。
引用する。

 おせんはもう一度ど、白粉刷毛を手に把った。と、次の間から聞きこえて来きたのは、妻女のおむらの声だった。
「おせんさん」
「は、はい。――」
「お焼香のお客様がお見えでござんす。よろしかったら、お通し申します」
「はい、どうぞ。――」
 あわてて枕許から引下さがったおせんの眼に、夜叉の如くに映ったのは、本多信濃守の妹お蓮の剥げるばかりに厚化粧をした姿だった。


この「おせん」は人気が非常に高く、いい本も出た。
それらが展示されているのをみると、昭和初期の大衆文学ブームの豊かさをしみじみ感じる。
いい時代の出版なのだ。

もうひとつの代表作「お傳地獄」がある。
「おせん」ともども雪岱の他、誰も描けない挿絵だと言える。
挿絵は一目見て心を掴まなくてはならず、その点においてポスターとよく似ている。
大衆に迎合する必要はないが、大衆の心を知っていないといけない。
そうした意味ではある意味とても扇情的な存在でもある。

チラシ下左の刺青絵は「お傳地獄」の挿絵の中で、夜の川からニュッと突き出る太腿の絵と双璧だと言える。
この頽廃美は特に外国人にも喜ばれたようで、著者や物語の背景など無関係に「ニホンいいネ」な絵葉書が横行していた頃、名無しで販売されていた。
わたしはこのシーンの絵葉書を赤坂のニューオータニホテルの売店で1993年の11月に購入している。
一目見て雪岱だとはわかったが、それまであまりかれの絵に興味がなかったのが、この刺青絵を見て一遍に沸騰した。
後に「おせん」同様に言えば「絵本」を出した時、この絵に彩色したのが世に出たが、彩色せずとも白黒だけで十二分に蠱惑的だと思った。

女の膚に刺青を入れるといえば谷崎「刺青」、高木彬光「刺青殺人事件」、赤江瀑「雪華葬刺し」の三作が特に有名だが、このお傳だけは苦痛も心の内も全て隠して冷たい顔をする。
冷たい官能の極北だと言ってもいい。

絵が世に出てから数十年後、当時の好事家たちが「おせん」「お傳地獄」から名画を選んで交換札にして頒布した。
1960年。当時、かれの作品はどの程度愛されていたのかを知らない。

吉川英治 「遊戯菩薩」がかなりの数出ていた。
これについては以前こちらに詳しく書いた。
銀座三越で見た小村雪岱の挿絵など
最初に見たのはこちら。
小村雪岱の世界

彩色のいい絵が色々出ていた。
雑誌表紙絵などである。「春泥」「演芸画報」「サンデー毎日」などなど。
ジャケ買いしてしまいそうになるな。
いずれも江戸情緒あふれるものばかりである。

矢田挿雲「忠臣蔵」挿絵原画もかなりある。5年も連載していたので今では全貌を見ることは無理だろうか。
珍しいところでその続編「義士余聞」の挿絵もある。
武士道がメインなのであまり女性は描かれない。

土師清二「旗本伝法」 この挿絵は図録にかなりたくさん掲載されていて、とても嬉しかった。
痴情の縺れみたいなのもあれば抜き合いもあるようで、とてもそそられる。
ああ、こういうのを見ると「どんなことが書いてあるのか」と興味がわくのだ。
挿絵の罪深さ・魅力とはそういうことなのだ。

そして最後の作品となってしまった「西郷隆盛」の挿絵。これもなかなか面白いのだが、結局いい作品を世に贈るのに辛苦して働き過ぎてしまい、それで疲れがピークを越えてしまったのだ…
哀しい。

後世の我々も惜しんだが、当時の人々の嘆きや驚きも大きかったろう。
そのことを思うと本当にもったいない…

挿絵はここまでだった。
「山海評判記」「突っかけ侍」がなかったのは無念だが、仕方ない。
なお「山海評判記」の挿絵はこれまでに金沢の鏡花記念館で見ている。
雪岱挿絵で読む『山海評判記』展
当時の感想はこちら
そして埼玉近美では複製だが、幡のようになって出ていたのもよかった。あれ撮影したかったなあ。

数年前の埼玉近美での雪岱展の感想も挙げている。
小村雪岱とその時代
当時の感想はこちら
また、今回の展覧会でも田中屋コレクションがたくさん出ていたが、初めてこの川越市立美術館へ来たのもそれを見るためだった。
小村雪岱展
当時の感想はこちら

4.雪岱の日本画
静かな美人画が出ている。
春告鳥、見立寒山拾得、赤とんぼ…
白衣観音は初めて見た。
最後に里見弴が文を選んだ墓碑銘のその拓本があった。
読んでいて里見弴ファンでもあるわたしとしてはちょっと涙ぐんでしまった。

十年前、埼玉近美での展覧会の感想
雪岱の作品を見る
この頃からあまり進歩もせずただただ雪岱が好きだという気持ちだけが大きくなっているだけだが、今回の展示は本当に良かった。

常設にも少しばかり雪岱作品があるのもいい。
一緒にしてもいいのにと思いつつ、常設室で楽しんだ。
それに今回の図録は資料ページに他の挿絵がかなりたくさん入っているのがいい。
ありがたいなあ。
3/11まで。

最後にごくごく個人的なことを記す。
2006年2月にわたしはこの記事を挙げた。
鏡花本とその周辺
その時から「カイエ」のlapisさんと交流が始まった。
かれの雪岱への愛情の深さに強く惹かれた。
そこから始まり、互いに好きなものを共有出来たので、とても嬉しかった。
しかし悲痛なことがあり、lapisさんは帰らぬ人となった。
このように追悼文を挙げはしても、それでも悼みと痛みは消えない。
「カイエ」追悼
だから今でも雪岱のことを思うと、あのlapisさんを想うのだ。
このささやかな感想がかれの心に届けばいいと願っている。
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