美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「江戸の女装と男装」を愉しむ

歌舞伎は男性が女装する。子役はともかく舞台の上の女性は全員が男性である。
老齢男性が化粧し、長年の鍛錬と訓練の成果により、瑞々しい娘になったり、ねっとりした妖艶さをみせる年増になったり、あるいは凛々しい武家の奥方や貴婦人に化ける。
その変身はまず変装から始まる。
同じく宝塚歌劇の場合、長身の女生徒が男役になり、現実男性には全く見当たらない魅力を舞台で発揮する。
男役の生徒さんのダンディさにときめき、その腕を夢見る。
歌舞伎も宝塚歌劇もみんな異装することで魅力を弾けさせるのだ。
わたしなどは結局その倒錯性にときめいている。

日本は古来から男性の女装・女性の男装が行われてきた。
特に古い時代では己の持つ以上の力を期待するとき、そうした異装をする。
天照大神は弟・素戔嗚尊と相対するとき男装して相手を警戒し、互いの心の清さを確認してから通常の装いに戻った。
神功皇后は三韓征伐の際に男装し、身重の体に石まで抱えて出産を停止した。

神に仕える女性は巫女、神に仕える男性は男巫。時にかれらは異装した。
それは近代になっても起こり、出口王仁三郎は中国大陸を女装して回った。

江戸時代の代表的な男装は祭の折の芸者による「手古舞」。
鯔背な若い者に仮装することでいよいよその美貌が映える。集団で同じ装いなのもいい。
そう、ファッションの語源がファッショだということを思いだす。

対して江戸の女装は前述通り歌舞伎役者が代表である。
その関連として色子の女装もある。
また昭和半ばまでしばしば見受けられた風習に、子の健康を願って就学前の子供に本来の性とは逆な装いをさせて育てるということがあった。
これはたとえば「八犬伝」の犬塚信乃などはそれだし、横山光輝「狼の星座」の馬賊・大日向健作のモデルとなった小日向白郎などもそう育てられたそうだ。また茶木ひろみ「かのこ」や大和和紀のマンガにもしばしばそうした育てられ方をするキャラが現れる。
「八犬伝」の信乃は健やかな成長を両親が願ってのことだが、同じ八犬士の犬阪毛野は事情が異なる。かれは生命を守るために女装して育てられるのだ。

長々と前置きを書いたが、これはいかにわたしがときめいているかの証でもある。

展示は男装から始まる。今回は肉筆画はない。
文化年間の菊川英山、喜多川秀麿、二世歌麿、文政以降の国貞、歌川貞秀、芳藤、芳艶、明治の落合芳幾、楊州周延・・・
かれらは皆吉原で行われた「俄」あるいは「仁和嘉」で手古舞の姿を見せている。
チラシは芳年。
風俗三十二相 にあいさう 弘化年間廓の芸者風俗  いろっぼくもすっきりした笑顔の美人芸者の手古舞。
イメージ (770)
孔雀の羽の柄の袖がとても映えている。


国周は更に手が込んでいる。
1884年の「花競神田祭礼」シリーズでは「げい者」を描くと見せながらその実、彼女らに扮した歌舞伎役者を描いているのだ。
げい者新駒屋のお福 中村福助
げい者小槌のおきの 助高屋高助 助高屋高助は紀伊国屋(役者の屋号で書店でもスーパーでもない)からの「おきの」名。この役者の名は「山本山」同様上から読んでも下から読んでも同じ。時代的に四世だろう。なお現在50年以上この名跡は途絶えている。
そして「お福」の福助は後の五世歌右衛門であり、当時は18歳の大変な美貌のわかものだった。彼の人気の高さは様々な伝説があるくらいで、とても面白い。
それだけにこちらはきりりとしている。

国芳 祭礼行列  こちらは大津絵キャラを描く。コスプレ行列と言ったところか。

手古舞の他の男装では「女虚無僧」がある。
英山 女虚無僧 肩に髪を垂らし「丸ぐけの帯」をする。

だいたい虚無僧姿というものは本物であってもなんとなく隠密の仮装では?と思わせてくれる要因がある。
時代物にはそうしたパターンが多い。
横山光輝「伊賀の影丸」では由井正雪とその門弟たちが虚無僧に扮して集結するシーンがなかなか印象深かった。作中では実は正雪は忍者だったというオチがある。
中上健次の路地の物語では早死にする若者たちは虚無僧に仮装して「歌舞音曲にうつつをぬかし」遊ぶ。

女の虚無僧といえば第一に思い出すのは「毛谷村」のお園である。
許婚者の六助に会いに来たとき彼女は虚無僧姿で、尺八を武器として使った。
その後六助が自分の許婚者だと気づくやコロッと態度が変わる。そのあたりにふっと笑いが起こる。
英山のこの女が何故虚無僧スタイルなのかはわからない。そのあたりの事情をしりたい。

歌川国政 三代目瀬川菊之丞 娘おその  尺八を持った凛々しいお園である。

日本ではそうは聞かないが、欧州では男装は罪だった。
「異端の罪」で処刑されたジャンヌ・ダルクは男装していた。
考えたこともない罪状だった。

さていよいよ男性による女装にきた。
正直な話ドキドキするのはこちらである。

石川豊信 若衆三幅対  色子らの優雅な様子を描く。髪型を守るためにそっと編笠を上げる者もいる。
これで思い出したが南原幹雄「修羅の絵師」は鳥居流初代の生涯を描いている。彼は役者になろうとして成りえず、色子として働くのだ。そのとき人気が出てしまうが…

芳年 月百姿
小碓皇子 最初に女装した古代の英雄・ヤマトタケルである。美少女に化した小碓皇子は熊襲兄弟を襲撃する。そのときの衣裳は旅立つ前に会いに行った伊勢の斎宮である叔母・倭姫から賜ったものだった。

五条橋の月  遮那王というより牛若丸と言った方が通りの良い少年が弁慶を翻弄する図。
被衣をかつぐ、その一枚だけでの女装である。

国貞 対牛楼  毛野大暴れ。なにしろ一族の敵討ちである。女田楽・旦開野(あさけの)に身をやつしついに敵の内懐深く入り込んで毛野はそこに自分の意思をはっきりと露わにする。「鏖」みなごろしという恐ろしい文字を書くのである。
旦開野に口説かれ、「結婚しよ」と思った小文吾も正体を現した毛野に失望するどころか却って加勢している。

国芳 毛野、小文吾  二人はようやく敵方から脱出するや支度した小舟に乗りこんで逃亡を図るも、追っ手がしつこく、小文吾はついに乗り損ねる。振袖を襷でおさえ、その下に鎖帷子を着込んだ毛野は櫓を手にしつつ、強く口を結んだまま岸の小文吾をみつめる。浪人姿の小文吾は敵を斬り伏せつつも舟に乗ることを既にあきらめて、こちらも強く口を結んだまま毛野をみつめる。
この二人の視線の交わり、固く結ぶ唇。
言葉はなくともそれ以上のものが胸にひびく。

ときめいて苦しかった。小文吾と毛野の別れは一時的なものだが再会までに時間がかかる。引き裂かれる二人の眼と眼…
ああ、素敵だ…

国貞 しらぬひ譚  これも本当に好きだ。大友若菜姫が男装して「白縫大尽」になり吉原で豪遊という設定もいいし、敵方の忠臣・鳥山秋作が女装して慎ましい娘・千種に変じ、互いにそうと知らずに接触する。
絵は二点ある。
・男に無体を働かされそうになった千種実ハ鳥山秋作を助けた白縫大尽実ハ若菜姫が修験者のあばら家に一旦避難する。
・見顕し。正体を晒す二人。若菜姫の使い魔・大蜘蛛も出現する。
こういう二人の付き合いというか出会いと言うのは本当にもう好きで困る。

先般国立劇場で「しらぬひ譚」が上演されたが、こうした倒錯美を薄めたのは無念だった。

国貞 三人吉三廓初買  今は「巴白浪」である。黙阿弥の芝居の中でも特に好きだ。
絵は火の見櫓へ登るお七に見立てたお嬢吉三を中心に捕り手と戦う和尚・お坊たち。
女装の盗賊といえば黙阿弥はこのお嬢吉三、弁天小僧それから「都鳥廓白浪」の傾城花子実は天狗小僧霧太郎実は吉田松若の三人がいる。この三人はそれぞれ性根が違うので同じような心持で演じてはいけない。
三人のうち、芯から娘に近いのはお嬢吉三、弁天はそれで稼ぐ少年である。松若に至っては三層の変装をするくらいなので色々ややこしいが、かれは霧太郎の時に部下で互いに腹に一物の相手を籠絡しようと「てめえの下歯になりてえのさ」と誘うのである。
しかしそれはあくまでも自分の色気を自覚しての醒めた意識でのことなので、女装は弁天小僧同様手段に過ぎない。
その意味ではお嬢が最も自然な女装者なのである。

女武者の絵が出た。
広重 巴御前 騎馬で敵を伏せる巴御前。目元はあくまでも静か。クールビューティーぶりを見せている。
芳年 板額  髪を挙げている。この女も強かったそうだ。
女武者と言えば日本ではこの二人が代表だが、中国の「水滸伝」では梁山泊に数名のかっこいい女たちがいる。

役者絵・芝居絵のいいのが続く。
国周 三代目沢村田之助死絵 1878.7  田之助の悲惨な生がついに終わる。かれがいかに魅力的な役者だったかを綴っている。そして在りし日の妖艶なかおを描く。
田之助については皆川博子「花闇」南條範夫「三世田之助 小よし聞き書き」杉本苑子「女形の歯」舟橋聖一「田之助紅」などがある。いずれも深く暗い中で耀く作品。

芝居は時折「書き換え」をする。本来は男性の役を女性に置き換えることもままある。
女暫、女助六、曽我姉妹、女団七…
女団七に至っては舅殺しが姑殺しに転換する。
「やつし」「見立て」として女に変更する手もある。やつし寒山拾得、やつし費長房、見立て忠臣蔵、見立六歌仙、見立二十四孝 大舜…ゾウさんと働く手古舞な大舜が可愛い。

芳年 月百姿 高倉月 長谷部信連  以仁王に被衣をつけさせ(これで女装だというのもなんだか面白い)逃がす。

結城合戦の際、安王・春王の少年二人は女装して難を逃れたが、やがてこの兄弟は囚われて斬られてしまう。
女装で逃げ切ったと言えばメンシェビキのケレンスキーがいたな…

国貞 近世水滸伝 鬼神の於松 坂東志うか  この女形は伝法な魅力のある人だったそうで、この絵を見ても目元に殺気に似た艶がある。かっこいい。かれは自殺した八世団十郎とは公私にわたって仲が良かったが、自殺の知らせを聞いて「俺だったら嫌いな奴の二三人も道連れにしてやる!」と騒いだそうだ。その物騒さこそがいい。

絵を見ながら次々と妄想や連想が湧きだしていってドキドキした。
特に好ましいのは「八犬伝」。ああ、素敵だ…
そして歌舞伎。二重三重のあぶなさにゾクゾクする。

とても楽しかった「江戸の女装と男装」
いつかまたこの続編が見てみたいものだ。
3/25まで。
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