美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「人体 神秘への挑戦」をみる…

「無駄なものがない整然と並ぶ腸を見たか 当たり前のようにある肝臓腎臓 全く人体と言うのは機能美の極致だね!」 
庄司陽子「聖域 サンクチュアリ」より。

科学博物館で「人体 神秘への挑戦」展を見た。
「人体のふしぎ」展や昭和半ばまであった「衛生博覧会」は結局はいかがわしさが勝つ見世物だった。
展覧会そのものも本質的には見世物なのだが、しかし今日的なそれには人権意識が活きている。

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このチラシにある通り「汝、自身を知る。それは人類が挑み続ける永遠の謎。」こそが人体なのだ。
わたしが冒頭に挙げた言葉は庄司陽子さんが1993年に発表した「聖域 サンクチュアリ」での主人公の台詞である。
後にゴッドハンドと呼ばれる外科医となる主人公が大学で初めて解剖にあたった直後に、昂揚しての台詞だった。
四半世紀前の作品だが、この言葉はわたしの中に生きている。
その言葉を思いながらこの展覧会を見た。

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今回は撮影可能な個所が限定されている。
それも当然で、本物の人体の臓器が展示されているのだ。
骨は撮影可能でも臓器は禁止と言う境界線が、実はわたしにはよくわからないのだが、従う。

どうぶつたちの内臓の展示、つくりものの臓器やダ・ヴィンチのノートなどもある。
そして壁で囲われた先には注意書きの通り、人体の臓器標本がある。
ああ、こうなっているのか…という改めて認識したり、初めて知ったりすることがいくつも出てくる。
皮膚の下、骨に守られた中にある臓器たち。

正直な話、ヒトの臓器は別に気持ち悪くも怖くもなかった。普通に臓器だなと思った程度である。
むしろ「どきんどきん」と人工の心臓の音を聴こえさせたりぴこんぴこんと動くつくりものの方がいやですわ。

脳をみたとき、高階良子さんの「ガラスの墓標」を思い出した。天才的な科学者の青年が事故で全身不随になる。彼の脳を惜しんだ同僚たちが脳だけ取り出してコンピューターと繋ぎ…という物語で1970年代に描かれた。
脳が肥大化してゆくのも恐ろしかった…
そしてある天才科学者の脳の輪切りをみた。気の毒に思った。
だが、そうしたくなる「ファン」のキモチもわかるとは思った。
御釈迦様の骨をみんなが取り合った話を思い出す。
仏舎利状態にされた切片…
そういえば夏目漱石の脳、藤原義江の喉笛もこのよううに保存されていたな…

脳の神経線維模型が素晴らしかった。19世紀末から20世紀初頭によくここまで…
脳の様子を見ていると「AKIRA」を思い出すし、「ドグラマグラ」の脳髄論も蘇る。
無限に妄想が広がってくるのを感じる…

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人体模型というと、横溝正史「面影草紙」が怖いことを書いていた。大正頃の大阪を舞台にした話で、骨格標本なのだが、それが自分の父の骨ではないかという疑念を持つ男の一人称で語られるのだ。

羽海野チカさんが二次創作されていた頃、面白いマンガを描いていた。
学校の人体模型を壊した咎で、「体で支払ってもらう」と先生にマジックで半身に人体模型図が描かれる男がいる。
ところが油性マジックなので取れない。クラブの時間になり、かれは半身を人体模型したままバスケにいそしむのだった。
あるジャンルのアンソロジー本に収録されているので、古書で探せば今も読めるかもしれない。
92-94年の話。

しかしこの見た目、やっぱりなんといっても「超大型巨人」だよなあ。ベルトルト…今はアルミンが継承したが。


こちらはレオポン一家。阪神タイガースの本拠地・甲子園に隣接してかつてあった「阪神パーク」で生まれ育った「交雑」の子どもたち。母はライオン・父が豹。その逆の組み合わせだと「ライガー」と呼ばれるそうだ。
詳しいことはwikiにある。
以前にこのブログで挙げた記事がある。「思い出の阪神パーク 」として遊具とレオポン一家の剥製を撮影したもの。
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レオポン一家
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やっぱりレオポン一家に会えたのは、とても切ない反面うれしかった。


最後にネットワークシンフォニーコーナー。
臓器のネットワークをイメージしたもの。
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こういうのを見ると、ある同人作家さんのマンガを思い出す。
愛する人に食事を拵える。喜んでその人は食べる。
すると体内の様々な擬人化された要素たちがその食べ物を分け合う。
最後に残った見知らぬ人に「みんな」は話しかける。
「きみはだれ?」かれはこたえる。「おれは”あいじょう君”だ」
とてもいい話だと思う。

で、わたしは何か学んだのか。…わからないな。
しかし自分の臓器がどんな形をしているのか・何のためにあるのかはわかった気がする。
面白い展覧会だった。
6/17まで。
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