美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ありがとう、高畑勲さん

高畑勲さんが亡くなられた。82歳だという。ご病気による死。残念だと思う。
高畑さんのこれまでの功績がニュース・新聞・ネットを通じて押し寄せてくる。
その中に一つフランス大使館のツイートが目を惹いた。
引用する。



わたしを始め日本の、また世界の子どもたちの多くは、高畑さんの作品を見て育ってきたと思う。
「あれ、これもか」という風に後から知ることも少なくない。
意識して高畑作品を見る以前に、既にその作品世界を楽しんでいたのだ。

こちらは新聞の高畑さんの訃報である。
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フィルモグラフィーを見ていると、自分がリアルタイムに見た一番古い作品はやはり「アルプスの少女ハイジ」だった。
これはもう再放送がある度に見ている。
そしてハイジの世界は自分の中に深く根付いている。
いつもそうだが、チーズを食べるときには必ずハイジのとろけるチーズが浮かぶ。
固いチーズであってもそれは変わらない。
ベッドのシーツを整えるとき、たまにちょっとだけ飛んでみる。
ハイジの干草ベッドに常に憧れがあるからだ。
牛乳も時折「おいしいわ、おじいさん」と嬉しそうに独り言をいうときもある。
自分の日常に高畑さんが世に贈ってくれたものが活きる。



正確には’73年当時に外国向けに拵えたハイジの宣伝用の絵の一枚だったそうだ。
2008年の展覧会でそのことを知った。

大きくなってから「ハイジ」を改めて見直した時、様々な「気づき」があった。
原作に直接に描かれていないことなどがここでは影として見えていたりもするのだ。
これまではただただハイジの物語だと見ていたが、そうではなく、「アルムおんじ」の魂の再生の物語だということに気付けたのはよかった。
ただの偏屈爺さんが無邪気な孫娘の無垢な愛に触れて、というだけではないのだ。
かれは若い頃「人を殺したそうじゃないか」と噂されているが、犯罪としての殺人ではなく、傭兵としての殺人だったらしい。
そのことを踏まえて改めてその行動・考え方・表情などを見ると、非常に興味深い変化が現れ続けていることを知る。
そう、変わり続けていくのだ。そのこと一つにしても知ることが出来て良かった。


「母を訪ねて三千里」も非常に心に残る作品で、実はわたしにとってアルゼンチンのイメージとは、この「三千里」の他はウォン・カーウァイ「ブエノスアイレス」、ミルバの歌う「泣かないでアルヘンチーナ」に尽きるのだった。
そしてたまにカラオケでこのOPを歌うと、その映像が出てくるわけだが、途中で涙声になって歌えなくなる。
白いお猿のアメデオ可愛かったなあ。
仲良くなったペッピーノ一座の旅路もまた丁寧に描かれている。そしてOPで旅の空の下、ペッピーノが馬車の側で眠るとき、その手に護身用の銃があることの意味も見るほどに分かる。


「赤毛のアン」もとても心に残る作品で、アニメを見てから原作を読んだ。以前このブログでも「赤毛のアン」展を見た感想に細かく記したが、やはり三善晃のOPの素晴らしさがまず胸に迫ってくる。曲の展開のあの力…素晴らしい。

「ハイジ」にしろ「アン」にしろ、わたしはこのアニメがいちばん好きで、原作より好きで、常に自分の中に生き続けているのを強く感じる。

「ルパン三世」1stがもうこの世で一番好きなルパンだ。
大隈さんの後に高畑・宮崎コンビが入っているので物語やキャラにかなりの変化があるものの、それでも全体として素晴らしすぎる作品で、何度も何度も見てしまう。
1本見終えた後にまた見直すこともあるくらいだ。
このことについてはいくらでも記せるので、今回はあえてやめる。

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急遽追悼番組として「火垂るの墓」が来週放映されることになったそうだ。
つらすぎて見れるかどうか自信がない。

「じゃりン子チエ」も大好きな作品だ。これは映画よりTVシリーズがやはり面白い。
最初に見たのが中学の時で、それから原作を買い続けた。今も折々読み返している。
それも頻繁にである。
この作品にたどり着いたのはやっぱり高畑さんのアニメがあったればこそだ。
わたしは大阪人だが、地域的な違いがあり、チエちゃんの界隈が遠いのだ。
とてもよく出来た作品で、特に声優としてチエちゃんの中山千夏・テツの西川のりお・小鉄の永井一郎が素晴らしいが、他にもネイティブな大阪弁を話す方々を揃えてくれはったのは、本当に嬉しかった。

ところでツイッターで興味深い話が出ていた。
高畑さんはこの作品を作る前の会議で「アタマの悪い人の気持ちがわからない」と仰ったそうだが、それでわたしにもとても納得のゆくことがあった。
アニメ第一期は単行本13巻あたりの大学の応援団とテツが大ゲンカする話のあたりで終わった。
ラスト、神明神社のお祭り、チエちゃんは屋台を見て歩く。
そのとき、原作ではアホな展開があるのだが、それをサラッと流した後、高畑さんはオリジナルなシーンを入れた。
何かと言うと、そこでテツと絶対に相容れず・感化されないレイモンド飛田が、本来の知恵の輪職人として屋台を出し、チエちゃんに知恵の輪をあげるシーンがあったのだ。にこにこと機嫌よく笑いながら。
それについてある評論家が「高畑さんでも読みきれないか」と指摘したのを今に忘れないが、こういうことかもしれないな、と思った。
レイモンド飛田だけはテツ同様最後の最後まで決して「更正」しない。
他の人々は皆テツと関わりあった後「更生」し、職に就いたり足を洗ったりしている。
もしくは同じような暮らしぶりであっても、テツの前から姿をけし、安穏な生活を求めようとする。
だが、ここに一人何があっても決して変わろうとしない男がいる。
それがレイモンド飛田なのだ。
彼もまたテツ同様、いやそれ以上に大阪弁でいう「どアホ」なのだ。
たぶんそこのところを高畑さんは読み切れなかったのだろう…


映画の話を少しばかり。
「セロ弾きのゴーシュ」はアニメージュに誌上ロードショーという形で掲載されていて、今もその号を持っている。ふろくはゴーシュの住まう家の辺りの草原や森を椋尾篁さんがえがいたもの。
青年ゴーシュの苦悩についてアニメージュでヒトコマ書かれていたと思う。


「ホーホケキョ となりの山田くん」は興行的には赤字が出たと言うが、あのいしいひさいちの絵をよくもまあ…
実験的なアニメーション」だったと思う。そしてこの作品を作れるところに高畑さんの凄さがあると思うのだ。


「かぐや姫の物語」 だれも毛筆がアニメーションになるとは想像もしなかったろう。
背景画が毛筆である湖とは別に構わないと思う。しかし「動く」のだ。
そしてかぐや姫の心の動きー女性であることの痛み・もどかしさ・くやしさーそういったものが観客にも伝わる。
ラストの月の使者たちの出迎えと一瞬にしての変貌とは無残なほどに美しく、そして巧かった。
こうした作品が世に出て本当に良かった。

他にも無限に高畑さんを讃える言葉がある。しかし凡百の言葉を連ねるより、ただ一言「ありがとう」と伝えたい。
おそらく高畑さんは「どこがありがとうなの?」と聞かれるだろう。
その時には言葉を尽くし、自分の思うことをお伝えしたい。

高畑さん、良い作品をありがとうございました。
これからも繰り返し見て行きたいと思っています。
本当にありがとう。
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