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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

信仰の美・世俗の美 大和文華館

大和文華館へ行く。
信仰の美・世俗の美と銘打って主に大和絵でそれらを構成する。
佐竹本三十六歌仙『小大君』が出ている。出光の『歌仙の饗宴』で東京まで出かけてはったのが、ご帰還されたのだ。
「こんにちは、先日はどうも・・・」「ようお越し」「お疲れも取れましたか」「まぁだいぶ・・・」
架空の対話を終えてから、『笠置曼荼羅図』に目を向ける。
「太平記」をご存知の方なら、笠置山の意味はおわかりだろう。わたしはあまり仏画は好まぬが、この絵はかなり好きだ。
今現在、摩崖佛は焼失し、光背のみ岩肌に刻まれたままになっている。
ハイキングでそれは確認していた。

本地垂迹という思想は考えれば日本でないと生まれ得ぬご都合主義なのだが、それを確立させるために次々と名作が生まれ続けたことは喜ばしくもある。
『柿本宮曼荼羅図』 月下の寺社境内図には小さく柿本宮があり、人麻呂との関連がわかるのだが、絵画としては小さすぎて確認しづらい。研究者の目には面白い物件なのだろうが、絵画としては果たしてどうなのか。
『春日曼荼羅図』 珍しく鹿がいない。藤も見当たらない。月に並ぶように仏たちがおわす。釈迦も弥勒も善財童子も。
こうした境内図と言うものは、人の姿が多く描き込まれれば遊楽名所図になり、人の姿がなくなれば仏画になるという性質があるように思う。

室町になると禅宗の思想が絵画にも溢れて一大ブームになり、水墨画を好まないわたしには長らく『鬱陶しい』時代だったのだが、最近は考えも変わった。
室町時代はなかなか享楽的だったことがやっと飲み込めてきて、その反動で禅宗の高僧や山水図を描くようになっていたのだと思えば、なかなか楽しくなってきた。
『松雪山房図』 賛にはこんなことが書いてある。雪と松 それぞれ天と地にあり清浄の気を伝える、と。

厳島神社が台風の被害を受けて、急遽社宝を奈良やその他の地区で展覧して、言ってみれば勧進したことは記憶に新しい。
ここに出ている『一字蓮台法華経』は平家納経とは違うが、同時代の優雅にして華麗な法華経巻子である。
雅な絵がある。僧たちの読経を聞く公家と女房たち。そしてそこから法華経が一字一字蓮台に乗せられて、綴られてゆく。普賢菩薩勧発品、と注意書きにあるがその深い意味は知らない。

そういえば前述の厳島社宝展のとき、同時開催していたのが多武峰と談山神社展だった。’05.1 そのとき私は藤原鎌足公の像に亀裂が走ることで吉凶を占う御破裂と言うのを知り、唖然忙然となり、爆笑してしまったことがある。申し訳ない。
今回またもや『多武峰曼荼羅』として鎌足公と長男・定慧、次男・不比等との三位図があったのでそれを思い出したが、しかし数日前の『歴史マンガ好き50質問』で『眉月の誓』などを読み返していたため、違う感慨にふけった。

南北朝の『白衣観音図』は柔和な面持ちで描かれ、『子守明神』は十二単の婦人が赤ん坊を抱いているが、そちらもにこやかに描かれている。ただしこれは実は鬼子母神の十二単姿なのである。仏に自分の子を取られてからは、世界中の子どもの守り神になった女神。インドから始まる神様、ああこれもまた垂迹なのか。
私は鬼子母神と言うとすぐに高階良子の『赤い沼』を思い出すのだが。

遮莫という僧が描いた寒山拾得は温和な顔をした童子風である。
寝る虎をソファにする豊干に二人は会釈する。虎の顔の可愛らしさときたら、長谷川等伯の虎もビックリ仰天である。

他に雪舟、一休、維摩などの肖像が並び、『信仰の美』巻末に桃山時代の婦人像があった。これは追善のための作品で、時代に沿うて辻が花を着ている。img024.jpg


一口に美人と言っても、追善絵と遊楽の美人たちとは違うようだった。

世俗の美にさしかかる。
やっぱり私はこうした享楽的な絵が好きだ。
国宝の中でも特別楽しい『松浦屏風』が出ている。いやもう実に好き。見れば見るほど好きになるし、細かいことに気づいたりして、いつも新しい楽しみがある。
img026.jpg



それから阿国歌舞伎草紙、これもクリスマスに見たばかりだが、楽しい絵で、わたしの好きなキャラもいた。img028.jpg

左端の観客のお姉さん。

総勢七十人ほどの女たちが輪になって踊る『輪舞図屏風』。店は餅屋のようなのがあるが、少ない。しかし彼女たちは何を踊るのだろう。マイムマイムだろうか。
もしそうなら間違っても私はお仲間に加われないな。いまだにマイムマイムがどうしても出来ないのだ。わたしはオクラホマミキサーとジェンカしか出来ない・・・

天明六年八月十八日、応挙が東山の料亭でお仲間と遊んだときの絵がある。
『東山三絶図』 詞書から月日が確定できる。丙午秋分後三日とあるからだ。
わたしも東山辺りの料亭でお昼ご飯なといただきたいな・・・誰を誘おうか。

宮川長春の美人は笹柄の着物を着た寛政美人だが、そういえばこの世俗の美には狭義の意味での浮世絵はなかったな。近世風俗画を主体にしていた。img025.jpg


しかし、最後の締めくくりとして、明治の菱田春草の『晩秋図』の淋しい心細さ。小さい鳥が舞い舞いしている。この作品が並ぶことの意味を少し考えた。

最後に琳派の美が並ぶ。光琳の筆による工芸品などである。京の裕福な人々はこうした素晴らしい工芸品を手元においていたのだ。
散逸せず、壊れず、本当によかった。
img027.jpg

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2006/05/11(木) 08:57 | | #[ 編集]
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