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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「日本の四季 近代絵画の巨匠たち」 @汐留ミュージアム

4/2から4/15までの短い期間だが、汐留ミュージアムで「日本の四季 近代絵画の巨匠たち」展が開催された。
春に始まり冬に終わる近現代絵画は主にパナソニック創業者・松下幸之助生前の間に世に出ている作品だった。


奥田元宋 池畔研 1978 「赤の元宋」と呼ばれる人の春の風景画である。奥多摩にこの原景を見出し、写生と自身の心象とを重ねて描いたのでは、と思った。
左手前に一本の桜があり、あとは静かである。赤はない。緑が清々しく周囲に広がる。
タイトルの意味は知らない。英語訳がついていた。The shore of pond そのまま池畔である。
「研」の意味はなんだろうか。それも含めて絵を眺める。

伊藤小坡 醍醐の花 桃山風俗の貴女らしき女性が唐草文様の被衣をかけつつ、傍らの少女に傘をさしかけられて花を楽しむ。太閤の最後の大イベント「醍醐の花見」に参加したのだろう。扇で口元を隠しつつ、楽しそうな様子が目元ににじむ。
この絵は対になる秋の「紅葉狩」共々以前に何かの展覧会で見ている。こうした作品を楽しむ幸せは深い。

洋画が現れた。中川一政と林武の椿の競演がある。
中川の好きなマジョリカの華やかな彩色の瓶に、濃く盛り上がるように塗られた椿が活けられる。左にはミカンが三つ、背景はカレー色。
林のはやはり林らしい力強いべた塗の椿で、椿の葉の固くて艶やかなところをピカピカするように表現していた。
どちらも厚塗りだけに椿の花びらのふくよかさが迫ってくる。

再び日本画。
山口華楊 清薫 1970年代 遠目からでもわかる華楊の世界。薄灰青の背景に白梅とウソ鷽。小さな小鳥の羽毛の色が可愛く、それが背を向けて止まる。
鳥の数の増減はあるが、ほかの美術館にもこの絵の仲間がある。

福田平八郎 春汀 1955-1960 左に猫柳の膨らんだ穂の連なり。右に黄色い腹に水色の背の小鳥。色と植物の膨らみで春を知らせつつも、水はあえて描かれない。しかしそれでいて汀にこの風景があるように思えるのだ。

前田青邨 双鯉 1950年代 全体が靄と濃い青に覆われた中に白い鯉が二匹力強く泳ぐ。
水の色が透けて、その鯉の表面にも青が乗る。青に染まる白い鯉。

堂本印象 入船漁報 1970年代 うっとりとした曖昧な空気の中に、小さな帆を立てた小舟。春の空気が全体に行き渡る。岸には小さな茅葺民家も並ぶ。居眠りしそうな午後の良さ。
とはいえ、ここだけでなく、描かれていない先にも風景が続くのを予感させる。


小野竹喬 厳島 1968 山は青々、しかしそれは一色ではなく、奥は青が深く、手前は緑の濃い山。そして海が広がる。その海と山の間に小さく鳥居が立つ。鳥居は赤く、小さいが全てを引き締める。しぃんとした景色。連絡船も動かず、波の揺れも静かな時間。

高山辰雄 月光新緑(三日の月) 1950年以降 若い頃と転換期の間にある絵.
名前に「辰」があることで高山辰雄は「日月星辰」をテーマにもした。竜ではなく星である。
三日月の光の下に広がる野。森の中の一隅。その平地にやさしく月光が行き渡り、新緑が照らされる。

横山操 暁富士 1965 横山らしい力強さが横溢する絵。朱富士。激しい松に松。まるで溶岩を噴出した後のような富士と、その下で溶岩を払いのけたような松原。強い生命力がある。

再び洋画。今度はバラである。
中川、林、そして梅原龍三郎。三人の奔放で華やかなバラ。
牡丹もある。
梅原の牡丹はバラに負けない力強い生命力がある。
金地に近い背景に明るい壺に活けられた牡丹、花が重すぎて頭を垂れているが、その花びらのふくよかさはとても賑やかで、一枚一枚がわいわいわさわさと騒がしいくらい。

バラは7点。これはもう本当に豪華絢爛。
梅原、林、中川と時代をリードした洋画家の雄。彼らのバラを手に入れた松下幸之助はやはり気宇壮大。
こちらまで妙に気合が入ってくるバラの集合だった。
切り花でも繊細さも滅びもなく、元気いっぱいのバラなのだ。

そして不意にその興奮を鎮めるかのようにユリが現れる。
堂本印象 純心 1946 白ユリがふんわり開きつつも決して顔を挙げない。ユリの花に聖性を見出すキリスト教を踏まえている。「純真」でなく「純心」なのもそれか。ユリのつぼみも共にある。
印象は仏教絵画も多いが、キリスト教の絵画も少なくない。玉造の教会にはかれの原画を用いたステンドグラスもあり、高槻の教会には彼の絵からの銅像もある。
戦後すぐの年に描かれたことを想う。

そしてそこへまた梅原の現世的なユリが現れる。
百合 1951 青磁の瓶に活けられた宇宙人ぽいようなユリ。金チカチカ。梅原のエネルギッシュさはどんな時も変わらない。

小倉遊亀の植物とやきものの静物画が現れる。
彼女の「静物画」は英語のStill Lifeが「死んだ自然」という意味合いを持つのとは違った様相を見せる。切り花は生き返ることはないが「生け花」であり、そこには花や果実にそぐうやきものがある。観察眼は鋭いが、決して冷たくはない。

くちなし 首が長く下部が丸い染付瓶に白花びらに黄蕊のくちなしが活けられている。緑葉が深い色を見せる。この立つ蕊をなめたくなった。

ききょう 1960年ころ 赤絵の鉢に桔梗が立つ。九谷焼の鉢も花柄。白と紫の桔梗が剣山は見えないが、そこに生き生きと立つのはいい感じ。木机の上の情景。

メロン 1960年代 九谷焼の大鉢に網目のはっきりしたメロンの大ぶりなのが乗る。傍らには九谷焼の瓢型の瓶。それらは一つの大盆に収まる。まるで盆山のような景色。

中村岳陵 燕子花 紫の花である。緑の葉は鋭い剣の形を見せ、なるほど端午の節句の時にこの花が鬼を祓うのも納得だと思わせる。花の線は途中白線でも描かれる。この優美さが好きだ。

橋本明治 菖蒲 ピンクと濃い紫の花がある。つぼみもある。輪郭線は太く、ステンドグラスのような作画は、もう明治のスタイルが確定してからのもの。

山口華楊 爽朝 ナスが一つふっくらと実る。黄蝶が来る。花も少し残る。まだまだ大きくなりそうなナス。ああ、おいしそう…

川合玉堂 鵜飼 1950年代 わりと鵜匠と働く鵜たちとを間近に描く。小舟から身を乗り出す鵜匠、その手に握られる紐の先にいる鵜たち。小舟には篝火も燃える。きちんと頭巾も身に着けた古式ゆかしい装束の鵜匠。鵜たちも鋭い目をして水面をにらむ。これぞ「鵜の目鷹の目」というやつか。中には捕まえたアユをぽんっと宙に飛ばして今から口にという鵜もいる。
ところでこの中部地方の鵜匠が国家公務員だと知ったときはかなり驚いたのでした。

竹内栖鳳 白鷺 1941または1942 制昨年から考えて亡くなる少し前の絵らしいが、ちっとも衰えていない。見返る白鷺が一羽立つ。

イメージ (884)


堂本印象 朝陽 1928 対幅 左は針と糸を持つ坊さん、右は猫の家族。
「破納を穿ち月に対し残経を悟る」を絵にしたそう。で、この言葉をわたしは探しきれないでいる。写し間違いかもしれないのでどうにもむつかしいことになった。
正直なところ坊さんは別にいいんだが、猫の絵にはやはり関心が強い。
イメージ (885)
白地にぶちの母猫、しっぽは黒。子猫はこちらを向くグレー系のキジ猫、白に茶しっぽ、三毛柄、黒猫の四子猫。可愛いなあ。
やっぱり猫の絵を見ると幸せな気持ちになる。

橋本明治 舞妓 屏風の前でやや親しい態度を見せる舞妓の姿態。可愛いなあ。明治は舞妓をよく描いたが、それだけにこの舞妓にも緊迫感はなく、柔らかな空気がある。

伊藤小坡 紅葉狩 春の対。今度は傘をさしかけるのは髷を結った女中。やや年行きである。江戸時代の御新造だろうか。菊柄の着物を着ている。
名古屋辺りの展覧会で見ているような気がする。

川端龍子 好秋図 リスがどんぐり食べている。可愛いのう。爪が強そう。目はくりくり。
意外に小さい絵だが、その分手元で愛せる作品。

杉山寧 柿図 1940年頃 戦後の大転換を迎える前だからまだそんな大仰なこともないし、タイトルもわかりやすい。臙脂色の柿。丸々とした枝付きの柿。背景は白いがこれは色を置かないままのもの。

竹内栖鳳 錦秋 1937-1938 柿はどうやら渋柿らしい、先端が尖ったのがたくさん木に張り付いたまま。小鳥が来たが食べるかどうか。和紙の荒れ具合がいい。なんというか、雑味のよさがある。

徳岡神泉 菊 1946 背景と溶け込みそうな菊である。しかしまだ様式を確立する前の作品。菊は白、葉ははっきりし、三本の茎が立つ。

小倉遊亀 静物 左にマスカット一房がある。なかなかみずみずしいのできっと美味しいだろう。
右に赤絵の碗があり、その花柄が可愛い。

小倉遊亀 桃 茶系の地に赤絵の碗と右に寝転がるように桃が一つ。まるで裸婦のようだ。

堂本印象 奇麗な秋 1970年頃 カラフルな一枚。小舟に棹を差す人が一人。薄い色が様々に塗られた川と丘。
現実から離れたような情景。

熊谷守一 紅葉 山に…山のところどころに赤が。

奥田元宋 遠山早雪 1978 さかしまがみえる。赤々とした木々。木々が映る水面。山は遠い。
赤はやはり元宋のもの。

東山魁夷 山峡朝霧 1983年 澄んだ空気が肺に届きそうな山。朝霧も心地よさそう。
イメージ (883)


石本正 雪景図 一目見てブリューゲルのあの山の図を思い出した。冬山の狩猟から帰ってきた人々。
だがここには人はいない。妙高高原らしい。金色の葉がうっすらと雪に映える。
石本は一旦は完成したかのように思われる絵にもよく筆を加えたそうだ。
京都の中信美術館での展覧会のときに、何十年もかけて絵を描き続けることを知った。

小野竹喬 大観山の富士 1962年頃 富士山と芦ノ湖の図。ああ、箱根駅伝。波のまにまに。その水面に様々な色彩がある。

中村正義 雪景色 1960年頃 雪の止んだ後、木々は遠近。…殺人事件がありそうな予感がする。

山口華楊 雪晨 1970年頃 ああ、雪持ちの枝。その下を鳥がすっと飛ぶ。同工異曲に近いものをいくつか見ているが、いつも雪は色を置かないものだったか…

小倉遊亀 山茶花 1960年代 信貴山型の瓶にいけられている。薄紅、白、紅。山茶花の影は金色。

水仙が並ぶ。
華楊のそれは黄色花で色も鮮やか、松篁さんのは墨絵に近い。静と動のようにみえた。

福田平八郎 蜜柑 銀に近い地にミカンがどんっと二個あるが、緑や赤もまじっていて、逆にそれがもう実に美味しそうに見せるのだった。

竹内栖鳳 ウサギ 1938 草の上でけだるく寝そべるウサギ。そんなんしてたらあんた、亀に負けてしまいまっせと声を懸けたくなる。

杉山寧の難しい感じのタイトルの作品が出てきた。難読漢字のタイトルと大仰な絵とがよく合っている。

鶴の絵が並んだところで終わり。
杉山寧、松篁さん、川端龍子。杉山の「私たちを見て!」な鶴たちのキメッキメっポーズの連中をじーっと見るかのような松篁さんの鶴たち、そして無関係な五羽の鶴がいる龍子の絵。
まあ物語と言うものは見る側が勝手に拵えることも少なくはないものだ。

松下幸之助の集めた絵画をみて、この経営の神様に対しとても親近感を覚えた。
わたしと趣味が合うなあと思ったのだ。
松下は工芸の時もそうだったが、買うことで作家を支援した。
立派なパトロンだったと思う。

いい絵を見れてとてもよかった。



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